学校に行けれないと訴えたのは六年生の夏休み明けの9/1。

とりあえず初日は授業があるわけじゃないから、休ませることにした。

もちろん明日は行けると信じてるので、1日くらいなら休ませてあげる。

ガミガミうるさい親では無いぞ。と理解のある親のように振る舞った。

それに夏休みのある出来事も気になった。

次女が体調を崩し入院をした。

すぐに退院できるはずだったが、思ったより長くなり、さすがに付き添いもしんどいなと思い始めた頃、長女がお見舞いに私の母と来たある日、自宅に帰りたくないと言い出した。

「ありえないでしょ。」
個室だけど、余分なベッドは無いし、わたしもギリギリの幅のイスをベッドのように設置して寝てるんだから。
「今日は帰ってからピアノ教室もあるし、とりあえず帰りなさい。」
それしか方法は無いと思ったが、どうしても帰りたくないと言うので、着替えも寝る場所も無いけれど病院にもお願いして泊まることになった。

そこからまだまだ退院できない次女と、長女との狭い生活が始まった。

我が家にはその時4歳の三女もいたけれど、どう過ごしていたのか。両親に任せっきりで全く覚えてない。

長女はすこぶる元気だったから、帰ってもらいたかったけど、そこはぐっと我慢だと親友からアドバイスをもらっていた。

家族で予定していた夏休みのディズニーランド旅行は入院とかぶり、夫と長女と三女で行ってもらった。
子供の為にキャンセルより行けた方が良いと思っていた。

そんなことがありながら、まさかこれが不登校の前兆になるとは思わなかった。

いや、原因となるあれこれを後から後から見つかってきた。。。。。