誰かに語り、表現し、自分を全面的に受け入れてほしい。
それこそが愛の意味するものだーーー拒絶されないということが。
私がoshoのこの一節を読んだとき、我にかえりました。
ずっと昔、誰かに愛されたいと切望していた感覚。
自分を全面的に受け入れてもらいたい。
でも、そんな誰かを追い求めても見つからず
ある時、そんな人はいない。
もう探すのは終わりにしよう。
強く生きていこう。
そんな風に心に決めたのだと思うのです。
強く生きていこう
と決めたのに、
愛に触れると
この"強く生きていこう"とする私が揺らぎ、
"愛されない私"が表出するのを恐れて
愛を遠ざけていたのだと気づいたとき
この"強く生きる"という緊張
愛されないことへの悲しみの抑圧
解けて
解けて
深い寛ぎ。
自分自身に寛ぐこと
何にもしがみつかず
ただ委ね
自分自身への深い寛ぎ。
無為
それがタントラの教え。