とある友人に


"インドだけでなく、世界中に沢山のマスター(悟りを得た人)がいるけれど、どうしてあなたはAnandamayi Maを選んだの?"


と質問されました。






私がAnandamayi Maを初めて見たのは、パラマハンサ ヨガナンダの"あるヨギの自叙伝"でした。

書中にあったこの写真





この彼女に釘付けになり、そしてこの写真を時折何度も眺めていました。






それから程なくして、インド旅行のお誘いを受けて初めてインドへ行くことになるのですが

偶然にもその宿泊先がハリドワールのAnandamayi International center となるのです。


初めてここに来たとき、わけもなく涙が流れました。

私の内側に何かが触れた瞬間でした。



でもその頃の私は、devotee なんて言葉も知らなかったし、弟子になるというのは生きている師に対して起きることだと思っていたのです。


このアシュラムで働く人たちのように、彼女の近くにいれたらいいな

どうやったら(集まりなどに)参加できるのかな?

とは思っても、英語もできず

口にすることはありませんでした。










それから数年経ち、Osho に出会い、再びインドを往来するようになりました。



Osho に出会えたことで、Anandamayi との繋がりもどんどん深く感じられるようになりましたが、

"Anandamayi が○○だから、私は彼女をマスターとして選んだ"

というような説明できることは何もないのです。





本当に好きな人ができたとき、


何故相手のことが好きかなんて説明できないのと同じように。


ただ恋に落ちるように。











彼女を思うだけで涙が溢れ


彼女に思い焦がれ



彼女の前で、自分は小さな小娘のように

涙を流し、頭を下げることしか出来ないのです。









この説明出来ない何かが

マスターとの間に起きたこと。


これ自体が幸運なことなのだと感じています。



たぶん

バクティとは、これが起きて初めて起こること。

自発的な衝動なのではないかと感じています。










あと1月半ほどでグルプルニマ🌕




今年は会いに行けない分、思いは高まるばかりです。





Jai ma