帰依するものが
頬に涙を流しているのを、
しばしば見かけるだろう。
彼は不幸からではなく、
歓びから泣いている。
涙が流れるのは、
惨めさや溢れんばかりの歓びから、
内側の何かが
液体や気体になったときだけだ。


………

溢れ出るものがあるとき、
苦痛や歓びの極みがあるときは、
決まって涙が流れ出す。
涙腺が開き、涙が流れる。
帰依する者も泣くが、
彼らが泣くことには別の質がある。
帰依しない者には理解できないだろう。
何が起こって
帰依する者は泣くのか?


………


私たちの内側にはびこっていた、
あらゆるこわばりや堅さが
溶け始める瞬間がある。
そしてその出来事に気づくと、
涙が流れる。
その涙は、
存在への謝恩と感謝の中で流れる。
私たちのもとへと流れる恩寵に
捧げられるものは、涙しかない。
私たちは、
何を受け取ろうとも
自分はそれに値しない、
降りてくる歓びを
受け取ることができないと感じている。
そのような感情は、
想像したことすらなかった。
私たちには、
感謝の表しようがない。
言葉もほかの何ものも、
それを適確に表現することはできない。


………



帰依する者の涙には要求がない。
彼の目は、理由もなく涙を流す・・・・・・
彼はただ無力だ。
感謝を表したいときですら、
口からは言葉が出 てこない。
そして口がものを言えないとき、
目が自らのやり方で話し始める。
拝礼の極み、
そして完成は、涙の中にある・・・・・・
あふれる涙、
流れる涙の中にある。


Osho 隠された神秘 より










この説明できない涙の体験。

内側で、何かが触れて

そして溢れて

溢れて

涙となり

ただただ泣くことしかできない。




Osho が語るように
感謝を口にすることすらできない。

与えられたものがあまりにも大きすぎるとき

私たちは感謝すら口にできない

感謝以上の感謝を何て言えばいいのだろう





言葉にならない、涙。





Jai maa