知識は植えつけられた言葉にすぎなくて
私自身、体験することで理解が起きてくるのだと感じており、
それは恐らく誰もがそうなのではないかと思っています。
内側で起きるどんなことに対しても
"ダメ"はないのだと
本当に理解すると、
スピリチュアルな学びで得た知識すら
制限となってきます。
そうすると、もう
それらを削ぎ落とすしかなくなってきて
学びを落とすというステージになってくるみたい
誰かから学んだ事実や概念、道徳。
それすら越えて、自由へ
これも愛へ向かうプロセスなのだと感じています。
もし、嫉妬があるなら
それもオッケーだし
誰かを嫌いなら
それもオッケー
誰かとやりたいという欲求があるなら
それすらオッケーで
そこにジャッジがあると、苦しみが生じるのだと思ってます。
〇〇したい
〇〇してはいけない
片側は右回り
もう片側は左回りという葛藤。
けれども本来、内側で起きていることを縛るものは何もないし
自分を愛するのに何の根拠もいらないはず。
何もダメなものはない。
内側で起きている全てにオッケーを与えていくことが
自分への愛を深めていくことなのだと思います。