あるとき、友人と話しているうちに
「愛とは何か?」というのがテーマにのぼりました。







私たちは愛について、"愛とはこういうもの"というアイデアを持っていたりします。





そして、自分が持つ愛のイメージではないものを愛でないものとし、それらを嫌ったり憎悪の対象としたりしていることがあります。






もしかすると
あなたの思う愛と
誰かの思う愛は
異なるかも知れません。




誰かが愛として放ったものが
あなたには愛と定義していないものだったのかも知れません。




または
あなたが愛として送ったけれど
相手はそれが愛だと気づいていないのかも知れません。
















例えば



親にぶたれた、放ったらかしにされた、構ってもらえなかった etc…







でも親のほうは、厳しくしつけるため、子供が悪いことをしたら打つことを選んだかも知れません。

放ったらかしにしたのは、あなたをしっかりしているから大丈夫と信じていたのかもしれません。














私たちがこれまで
"それは愛ではない"とし、受け取らずにいた全てが愛だったとしたら…














私がこれに気づいたとき、、

余りある大きな愛に泣き崩れました。











宇宙は、神は、あまりにデカく
私たちはちっぽけな存在です。





同様に、私たちの思う愛は小さく、宇宙の愛はデカいのです。








自分の中の"愛の定義"を外して見る







この自分のもつ"愛の定義"に気づき、それを一旦外して見える世界は、これまでとは違った世界かも知れません。