朝ごはんのお店 まあだまだの

ヨウコと申します。


2025.5.5 朝ごはんのお店まあだまだで

生きていけるようにするべく、

日々、歩む私のブログです。


自家製の麹調味料を使った

体にも心にもやさしいごはんを作るのがモットー

現在は広島市内を中心にレンタルスペースなどを

お借りして、不定期でごはんを作ったり、お料理なワークショップをしています


※2025.5.5はとうにすぎましたが、

2026.2月より、

朝ごはんのお店まあだまだだけで

生きていけるようにふりきりました。

この道を楽しんで、毎日できることを全部



前回の続き


高校の時に

何にもできないわたしに気がついたことは

よかった


きっとあのままエレクトーンや吹奏楽は

今ひとつだとしても、

勉強だけはできるわたしだったら…

どうなっていただろう


勉強は最初はそれでもやってみたのだけど、

たぶんやり方もよくわかってなかった

上には上がいて、

目の光の色も違っていた

わたしは勉強のセンスもなかったのだと思う

卑下するのではなくて

もともと向いてなかったということ


高三になる時には

半分以上が選択科目になった

とっとと数学は捨てた


うちは

もともと短大に行きなさいという家だったので、

大学へ行く選択肢はなし


転勤族なので、

家から通えるとこを選んでも

卒業までいるかわからないから、

名古屋から西で選びなさいと

言われたくらいだった


国語、言語としての日本語の成り立ちや

どこから日本語が来たんだろうと

考えるのが好きだったので、

そういう本をよく読んでいた


わたしは

お気づきのとおり、

決して成績は良くなかったのだけど、

その高校は進学校だったので

評定偏差値というのが

抜群に高くつくというラッキーがあった


そして歴史の長い高校だったので、

指定校推薦の枠もたくさんあった

もう、わたしはこれを使うしかないと

狙いを定めた


指定校推薦なら、小論文と面接だけ

高校の中の選考で選ばれたら

ほぼ合格することは決まる


その頃、その高校で指定校を使う子は

あんまりいなかった


わたしはとある短大を受けたいと

担任に話した

校内選考も通り、

無事指定校推薦で受験できることになった


前述の通り、

指定校推薦というのは、

受けたらほぼ合格する

合格率は99%


わたしは前日から

県外にあるその短大を受けるために

ホテルに初めて1人で泊まった

夜、食事付きだったので

レストランで1人でご飯を食べていると、

系列の共学の大学も指定校推薦の受験日が

同じらしくて、

隣にお母さんと一緒に男の子が来て座った

甲斐甲斐しく、

息子の世話を焼いている母


今は自分にも息子がいるから

その母さんの気持ちもわかるのだけど、


あの時は


男のくせに1人で来れんのか!

マザコンめ!

と睨みつけたことを覚えている


受験日、席に座る

わたしの前に座っている子は静岡から。


みんな静かにしているのに、

わたしとその子はひょんなことから

会話が始まってしまい、

受験会場で大笑いしてしまった


そして、

無闇に声がとおるわたしは、

たった1人、その教室で注意された


そして、面接では

小論文の漢字の間違いを指摘されて、

日本語の成り立ちを学びたいという前に

まず漢字から始めた方がいいと

言われた


99%受かるけど、

残りの1%はたぶんわたしだ…

指定校で落ちるなんて、どうしよう


ついつい、初めての人と話すのが楽しくて、

教室ではその日のうちに

鳥取の子とも、

友達になっていた


友達になっても短大入れんかったら

なんもならん…と

帰りの特急は落ち込みながら帰ったのを

おぼえている


3日後、合格を知らせる分厚い書類が届き、

わたしはその短大に入学できることに

なったのだけど。


試験が終わり、

その書類が届くまで

最初は落ち込んでいたのだけど、

もうこれはネタにするしかないと

みんなに話しては笑ってもらっていた


理数は全て捨てて、高三の時間割は

単位数を埋めるために

食物とか体育とかを選択科目でとっていた


食物では全員で分担してフルコースを作ったり、

体育は一学期ごとに種目が変わるのだけど、

その中にバドミントンがあり、

普段の体育には絶対ない種目で楽しかった


消化試合みたいな時間だったのだけど、

その科目たちをとっている子は

わたしと境遇の似ている子が多くて、

気楽で楽しくて、

プレッシャーも全くなかった

楽しんでいる様子を

先生もいつも楽しそうにみておられて、

高三の時、

その二つの科目だけは10段階でいつも10


ヨウコさんは良妻賢母型ねと

言われたけど、違う違う!


勉強が嫌で、

楽しいことを楽しんでいただけ


その当時は共通一次という試験があって

そこに向かって頑張っていた

他のみんな凄まじかった


進学校って今もそんなとこあるのだろうか


あの頃はやる子とやらない子が完全に分化

やらない子でも

わたしみたいなふざけた人と

とんがって生きてる人に分かれていた


その高校へは自転車通学だったのだけど、

自転車の後ろに高校の名前のステッカーをはる


するとそれを見た町中の人がいうのだ


わたしが

たとえば

倒れている自転車を直していたりしたら


やっぱり○高の子や!


いや、それは○高とは関係ない

街の人たちからの信頼もあつかった


○高に通ってはいたけど、

中身は全く伴わず、

ふざけた生活をしていたわたしには

その信頼がとても面倒だった


誰かから見たイメージ、先入観、

それとはかけ離れた自分

そんな人ではないんです、わたしは。

ということは往々にしておこる


言えばいうほど、

どんどん墓穴をほるので

適当なとこで薄い笑いでフェードアウト


どうしたらいいんだろう、

誤解をときたいとき

それでも

説明できないとき


もう心の中で

念じるしかない

思いの波の不協和音に

気がついておくれよと


今日もまたどうでもいいこと

思い出してしまった