東日本大震災から13年。


あの日の事はずっと忘れられない。


1人でお店の地下を歩いていた時の事。


そばにいた親子が声をかけてくれて地上に出るまで一緒にいてくれた事。


地上に出た時の光景。


知らない私に避難所まで誘ってくれた女性。


その時はすぐに帰れると思っていたので

お断りした私の心は

周りの状況から強い地震があった程度に思っていた。


変なお天気。


すごい寒かった避難所。


誰かのラジオから聞こえてきた

初めて知った津波のこと。


避難所で見知らぬ人同士でグループになり

お世話になった人々。


ホッカイロや飴をくれた男性。


知らない私に

お菓子をどうぞと1袋もくれようとした若い男の子。


お気持ちだけもらいました。


1日避難所にいて

何も情報がないまま早朝に

来るかわからないバスを待ち

なんとかバスとタクシーで家に帰るまで

帰ってからの事。


何日も何度もくる揺れ。


情報もなく寒い日々。


ライフラインも止まり

スーパーやお水をもらいに並んだりしていた

被災していた時の日々。


最大で5人が避難に我が家に来た事。


先の事よりも

その時、その日をどう生きるかの日々。


1ヶ月くらい経って沿岸部へ行った時に見た

津波の爪跡

津波の何もかも奪う怖さ。


普通に流れているバラエティ番組を観ても

笑えない心。


そんなに被害が酷くてなかった私でも

連日地元ニュースで観ている被災地とのギャップに笑えなかった。


心がしばらく落ち着かなかった。


県内は一番犠牲者も行方不明者も多い。


どうして私の住んでいる県で??と思ったり。


あの日はブーツを履いていたけれど

もうヒールの靴を履くことはなくなった。


これからできることは。。。


自分で備えること。


私の場合は

食べ物やお水を予め備えておくと

長時間並ぶストレスが減って

心がまだ保てる。


お部屋には高さのある物を置かなくなりました。


地震が来た時に慌てずに

行動する事が少しは身についたかな。


あの時よりは冷静に行動できるようになり。


震災の日は私も怖かったけれど

怖がっていた若い女性に

「大丈夫?」と声をかけていた。


こんな時

1人は心細いから

少しでも話をすることで

少しは心が落ち着いたり保てるのかも。


災害にあって1人の時は

そっと声をかけてもらえると

1人の心細さが私もほぐれました。


それから対策として

常にバッグには飴を入れてます。


夏以外はホッカイロも。


いつ来るかわからない災害。


震災があっても

犠牲者が出ない未来になってほしいです。