「朝日ニュースター」というテレビ局(ケーブルテレビなどで見ることができる)でやっている「噂の真相」という番組に、外務省機密漏洩事件の西山太吉元毎日新聞記者が出演していた。

 もちろん、もうかなりのおじいさんである。

 「吉野文六氏がなぜ沖縄返還の時の日米の密約についてしゃべったのか」について話していたが、なかなか興味深い、ある意味で歴史やドラマを感じさせる内容だった。

地上波の政治討論番組などでは、こんなに一人の人が長く話すことはできないだろうと思うし、だいたい西山氏を出演させて話をさせようと考えるプロデューサーなどいないのではないか。

以下が、その番組における発言。

司会者「まっ、当然、当事者である、そのー、西山さんは吉野発言をどのように受け取られましたか」

西山「ま、その前に吉野さんがどうして急にね、このー、今までまったく否定し尽くしてた吉野さんが、なぜしゃべったのかと。もー、それをみんな私に聞いてくるんですね。そりゃね、北海道新聞の、あの記者が初めて、あのー吉野邸に数回執拗に行って、そして、えー、ま、ようやく口説き落としたんだけれども、それを契機にして何十人行ったでしょうかね。吉野邸に。テレビ、新聞、雑誌ね。おそらく吉野さん、一人一人に、こうお茶をいれるそうですよ。ちゃんと。お茶入れてもうちょっとしゃべっていけよ、まで言ってる。すごい心境の変化ですよ。そりゃねえ。でまー、みんなこれとどうしてかっていう。不思議だっていうんですよねえ。私に聞いたってわかんないけれども。私に聞くわけですよ。どうしてかって…」

 西山氏は「私に聞いたってわかんないけど」というところでなんとも形容しがたい笑顔になった。

西山「…私も推察するには、まあ、あのねー、その後の吉野さんの発言をじーっと聞いてみるとねー、それからだいたいわかってきたんですけれどもね、やっぱり一つはね、あの、ガードする人がいなくなった。周辺に。まったく一人になった。顧問やってた研究所もやめてね。そしてガードする人もいなくなった。奥さんも亡くなられた。まったく一人になった。そしてずーっと、まあいろんなことを、も、自分なりにかんがえるような時間がたっぷりできたわけでしょう。え、まあ、そういうような環境の変化。これもあるでしょうけどねえ、やはり、ずーっと沖縄の原点、復帰の原点というものを全部もってるわけでしょう。彼は、あらゆる問題を全部知り尽くしているわけ。その後、沖縄が推移しましたねえ。今日、米軍再編問題に至るまで30年間のプロセスをね。彼はじーっとそのー、外から見ててね、非常に感ずるところがあったと思うんです。彼なりにね。やっぱり自分の考え方というものね、をどうしてもしゃべりたくなると、そういう気持ち、それがこうあったということ、もう一つはね、隠し隠しとうしてきた。彼はなんべんもいってるように嘘をつきまくってきたと、それに対するうっ積したね、やっぱりこの自己嫌悪っていうのかな、それはもうこの際一挙にはき出してしまえと。アメリカは全部しゃべってるじゃないかと。彼が言ってるように、今おれが黙ってる必要ないじゃないかと。国務省の発表と同じですよ。外交機密文章はねえ、詳細多岐にわたって自分が署名した非公開書簡まで全部でてきてるわけだ。スナイダーと吉野の非公表書簡、秘密書簡まで。それで自分がサインしたことまで認めてるわけでしょ。彼は。もうここに至ってね、さらに嘘、隠しをする、そういう条件がなくなっちゃったということですねえ。それで私は、一挙にしゃべったとおもうんです。…」

 沖縄返還や外務省機密漏洩事件は、私が小学校の頃に起きた事件で、名前だけは知っていたが、中身までリアルタイムでわかっていたわけではない。

 しかし、当事者がテレビに出てきて話しているのを聞くと、現在にも大きな影響を与えていることだということもわかるし、そんなに昔のことではなく、当事者がまだまだ生きていることなんだとわかり不思議な感じもする。