もうひとつ問題となったのは自分の心機能のこと。


移植コーディネーターから心臓のことは専門医に診てもらってね。それで手術に耐えれるかはっきりさせておいてって他人事のように言われたけど。


でもふつうは、移植の主治医からその病院の循環器科の先生に対診(院内での紹介)の情報提供があって決まると思っていたので、どうしたらいいのやら。


と心配していたら杞憂でした。しっかり主治医のH先生から循環器科のS先生の診察予約がしてありました。


ちょっとコーディネーターへの不信が芽生えた事件でしたが、無事S先生に繋いでもらえました。


S先生はとても賢くて、京大で仕事されてますが出身はT大です。T大より京大のほうが臨床レベルが高くこちらに自ら来られてました。


専門は不整脈でしょうか。まだ若いのに心電図解析についての医学書を数冊上梓されてます。


のちにその一冊を先生からいただきました。それは、のちのちお世話になるS先生の奥さん(女医さんです)との共著でした。今でも家宝にして、自分のクリニックの書棚に飾っています。表紙の裏に先生のサインと一言が添えられています。


今までは心不全症状がなかったので、心房細動や心不全の治療はしていませんでした。


心房細動がはじめて出現したのは40歳を過ぎたときでしたが、そのときは地元の医大に入院してカウンターショックをかけてもらいましたが、結局はまた再発するので、このときはそのまま様子見ということになりました。


当時はアブレーションなどの治療オプションもなく、心機能も正常でしたので、その当時の診断としては孤立性心房細動ということになりました。


そして、まだ若かったしほかの臓器障害もなかったので抗凝固剤の投与も受けてませんでした。


仕事も忙しいし、無症状だし、それといって定期受診も面倒くさいし、もし受診して入院とか言われたら仕事に支障を来たすし。ということで、肝硬変の症状が出らまでの12年間は心臓に関しては放置。


S先生から心エコーのオーダーがあり検査を受けました。放置していたせいもあり、EF(駆出率)40%程度とかなり心臓の動きが低下した状態でした。左心室拡大も来していて弁輪拡大による僧帽弁閉鎖不全も高度にありました。


本来なら僧帽弁閉鎖不全の外科的治療をすべきところでしたが、肝臓の治療が優先です。癌があるわけですから。


S先生は情熱的で熱心にこう言われました。入院中は僕が責任を持って診ますと。最初はその熱さにすこし引いてしまいましたが、S先生との出会いがその後の運命を決めたことは間違いありません(そのことは後日書きます)。


心不全の薬などを処方されて、とりあえず徐脈性心房細動に関しては術前に一時的なペーシングを入れることで、移植手術に耐えれますということでした。


心臓に問題があり、そのために肝移植ができなくなるのではないかとの心配もしてましたが、そこのところはH先生、S先生ともに大丈夫との力強い返事をいただいてすこし安心したのを覚えてます。


という流れで、それ以上の心臓の治療などは入院してからという形になりました。