先日、めずらしく早い時間に帰宅した娘がとてもひどい表情をしていたので、


何かあったのかと驚いてたずねると、その日あった帰りの電車での出来事を話してくれた






駅のホームに車いすの人がいたので手を貸しましょうかと言ったら


お願いしますと不自由な言葉で頼まれたので車いすを押して電車に乗せてあげた




乗ると




濡れタオルを荷物の中から出して汗を拭いてほしいと頼まれた


暑い日だったし汗をかいてたいへんそうだったので、


生ぬるく少々臭いもしているタオルにだいぶ怖気づきながらも我慢して拭くのを手伝った




しばらくすると今度は




娘の降車駅の3つほど先の駅まで行くので一緒にそこまで行って降りるのを手伝って欲しいと言われた


娘はわざわざ足を延ばしてまで手伝うのはやりすぎではないかとそれは断ったらしい




いつもの降車駅に到着し娘は挨拶をして降りた




すると、その車いすの人は、


もっと先まで行くと言っていたのに、ひとりで器用に電車から降りて


さっさとエレベーターに乗ってどこかへ行ってしまった




せっかく困っている人のためになりたくて頑張ったのに


騙されたような、なんとも不快な思いが残った・・・




・・・と、娘は泣き出しそうな表情で言った






こんなことがあって、本当に困っている人に手を貸すことが出来なくなってしまったら


彼女にとっても、ほんとに助けを必要としている人にとっても、なんて不幸なことだろう




私は娘を騙すようなそんなことをした車いすの人を許せないと思った




娘には、


もし困っている人を見かけたら、直接自分の手を貸すのではなく駅員さんを呼んできてあげようね


と、言うしかなかった




実際、訓練を受けていない素人が人の乗った車いすを操作するのは、事故につながりかねない危険な行為なのかもしれない




やってあげたいという思いだけで軽率に行動することは避けなければならないのだ





デイサービスに両親と一緒に行ってみる


ほとんど二人きりで過ごしているよりは、多くの人と接する機会があることは好ましいことに違いないと思ったから私が行くことを勧めた


通所している高齢者の平均年齢は両親とほぼ同じか少し若いぐらいだから

両親には相応な場所のように思われた



けれど帰宅後、

父はひとこと、なさけないな。。。とつぶやいていた



後日聞いたのだが、

父は「ここは私の来るところではない」と帰り際にデイの方に言ったそうだ


同感だ

私も父がそこで数時間を過ごすのは苦痛だろうとと思う



高齢者は、

四肢の動きが機敏ではなかったり、難聴があったり、視力が衰えたり、記憶に問題があったり、

さまざまなことが若い人より不自由になっているかもしれないが


積み重ねてきた知識や経験や思慮が完全に失われてしまうわけではない

知的好奇心や向上心がなくなってしまっているのでもない


なぜ幼稚園児のやるような幼稚な塗り絵や単純なゲームに一日を無駄に費やさなければならないのか


決して残り多くはない貴重な一日いちにち、一時いっときを、

無難だけれど無為に過ごすことがあなたにふさわしい日々なのだ・・・と言われたら


なさけなくもなる



独りきりでいるのはおおいに心配ではあるけれど、

自分の一日を自分で決め、もてる機能をフル活用し、さまざまに工夫しながら、生活していく


それが「生きる」ってことじゃないのかしらと

思った





義父は少し笑んで、言葉をたしかめるように一言ひとこと、言った



この10年ぐらい、少しずつ、うまくいかなくなってきたんだな。。。

だめだな。。。



出来ていたことが、できなくなっていく。。。


その、なんというのか、淋しさのようなものを


私も日々感じているので、



こころに沁みた



頑張れば、少しずつ出来るようになっていった

すこしずつ上達できた


のに、


頑張ると、あちこちが壊れていく ^^;


悔しいな。。。




まだまだ工夫と努力が足りない


先生が叱咤激励してくれるから、このまま諦めるわけにはいかない!



というわけで、今日も細々と体幹トレーニングをする ^^





手がかからなくなった!

 

…と思う間もなく、入れ替わるように両親の介護が始まった



なんて充実した人生なんだろう!!


…と、感謝しつつ日々過ごしていけたらいいな、と願っている



ぞうさないこと ^^



今朝、今年の最初の真っ赤な大きなハイビスカスが咲いた


そして、夕方にはきゅっとしぼんでいた


昨年は何故か花が小さくて咲いた数も少なかったけど、今年はたくさん咲くといい