本覚山妙宣寺。
日蓮宗。
本尊は法華宝塔釈迦牟尼仏。
文和三年(1354)開基ですからなかなか歴史のあるお寺になります。
古寺巡りをする観光客もこのあたりの寺院はスルーして、さらに東の御袖天満宮を目指すことが多いと思います。
この時も自分以外には年末のお墓参りに来た地元の家族連れを見ただけでした。
ひとまず本堂前で「南無妙法蓮華経」と手を合わせます。
本堂の裏には加藤清正を祀る清正堂があるとのことなので、背後の墓地の方に回り込んでみましたが、観光客が立ち入る雰囲気でもなかったので途中で折り返しました。
手水舎の水盤越しに振り返ると目の前に次に立ち寄る慈観寺の本堂の大甍が迫っていました。
境内社も祀られていました。
山門を入ってすぐのところには御題目票。
妙宣寺を出てすぐ隣の慈観寺に向かいます。
こちらは時宗の寺なんですね。
山門を潜ると広い境内に大きな本堂が建っています。
牡丹寺として知られ、春には境内の牡丹が見事だそうです。
本堂の右手には牡丹庵。
本堂の襖絵が有名なのですが、わざわざ声をかけるのは躊躇したのでそのまま辞しました。
境内の南西には虚空蔵堂。
振り返ると先ほどの妙宣寺の山門が見えます。
山門を入った右手には夫婦松。
赤松と黒松が根元から絡み合っている珍しい松。
よく見ると赤松の色がくっきり映えますね。
慈観寺を後にしてさらに東へ移動します。
長江口から新尾道駅へと続く道を渡った先の路地の入口に天神様の御紋の入った提灯。
この先に御袖天満宮があるのでここから参道ということになるのでしょうね。
実は何度も尾道を歩いていますが、御袖天満宮の位置関係だけがよく分からず、今回改めてチェックし直して大山寺と隣接することを確認しました。
路地に現れた猫に導かれるように先へ進みます。
と、ここで見覚えある景色に遭遇し、あえて参道を離れて細い路地を進みます。
ふと思い出して進む先は間違っていないと思いますが、ちょっと雰囲気が変わっている気がしました。
雑草に覆われた一画に何やら碑が見えます。
菅公腰掛岩。
菅原道真が京から太宰府へと左遷させられた旅の途中、尾道に立ち寄った際に腰かけた岩と伝えられています。
この時町民たちのもてなしに感動した菅公が、自らの着物の袖を千切ってそこに自画像を描いて礼とした。
その袖を御神体として祀ったのがこの先にある御袖天満宮…つまり御袖天満宮をお詣りするならここも立ち寄るべき場所ということになります。
しかし実際の現地はご覧のように雑草に覆われたままで、ここに腰掛岩があることを知らないとなかなか足を踏み入れにくい状況になっています。
二枚ある腰掛岩の傍らには何か供え物がありましたが、よく見ると梅干しの種かもしれません。
今思えばこの時の光景がその先で出会う衝撃の再会の予兆だったのかもしれません。
ひとまずこの先の路地を進み、さらに石段を上った先にあるあの場所を目指します。
映画「時をかける少女」の中のワンシーンで有名になった“タイルの小路”です。
18年前の写真が残っています。
多くの「時かけ」ファンがここを訪れ、記念のタイルをたくさん置いていく、まさに聖地となっている場所です。
失意の中、古寺巡りは続きます。