妙宣寺から東へ “時をかける少女”タイルの小路の残像 2018⇒2019 尾道の旅⑥ | MCNP-media cross network premium/RENSA

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昼食を済ませて18年ぶりの尾道の旅初日の午後がスタートです。
 
まだ初日なんですけどね、風景のひとつひとつに思い入れがあるし、その度に過去の記憶を引き出しから引っ張り出したりしているので、改めての振り返りも長くなりますが、引き続きおつきあいくださると幸いです。
 
 
ここからは長江口エリアをさらに東に向かいます。
ひとまずここからは古寺巡りの案内票通りに進めばほぼ間違いないので安心です。
 
千光寺山ロープウエイ乗り場の東の路地を道なりに進むとお寺が密集しているエリアに出ます。
 
最初に出てくるのは妙宣寺の参道。
 
 
妙宣寺は尾道の古寺巡りルートでは唯一の日蓮宗の寺院になります。
尾道でも日蓮宗の寺院は少ないと思います。
 
 
石段を上がると小振りながら立派な山門。
 

 

本覚山妙宣寺。

日蓮宗。

本尊は法華宝塔釈迦牟尼仏。

文和三年(1354)開基ですからなかなか歴史のあるお寺になります。

 

 

古寺巡りをする観光客もこのあたりの寺院はスルーして、さらに東の御袖天満宮を目指すことが多いと思います。

この時も自分以外には年末のお墓参りに来た地元の家族連れを見ただけでした。

 

ひとまず本堂前で「南無妙法蓮華経」と手を合わせます。

 

 

本堂の裏には加藤清正を祀る清正堂があるとのことなので、背後の墓地の方に回り込んでみましたが、観光客が立ち入る雰囲気でもなかったので途中で折り返しました。

 

手水舎の水盤越しに振り返ると目の前に次に立ち寄る慈観寺の本堂の大甍が迫っていました。

 

 

境内社も祀られていました。

 

 

山門を入ってすぐのところには御題目票。

 

 

妙宣寺を出てすぐ隣の慈観寺に向かいます。

こちらは時宗の寺なんですね。

 

 

山門を潜ると広い境内に大きな本堂が建っています。

 

 

牡丹寺として知られ、春には境内の牡丹が見事だそうです。

 

 

本堂の右手には牡丹庵。

 

 

本堂の襖絵が有名なのですが、わざわざ声をかけるのは躊躇したのでそのまま辞しました。

 

 

境内の南西には虚空蔵堂。

 

 

振り返ると先ほどの妙宣寺の山門が見えます。

 

 

山門を入った右手には夫婦松。

 

 

赤松と黒松が根元から絡み合っている珍しい松。

 

 

よく見ると赤松の色がくっきり映えますね。

 

 

慈観寺を後にしてさらに東へ移動します。

長江口から新尾道駅へと続く道を渡った先の路地の入口に天神様の御紋の入った提灯。

 

この先に御袖天満宮があるのでここから参道ということになるのでしょうね。

 

 

実は何度も尾道を歩いていますが、御袖天満宮の位置関係だけがよく分からず、今回改めてチェックし直して大山寺と隣接することを確認しました。

 

路地に現れた猫に導かれるように先へ進みます。

 

 

と、ここで見覚えある景色に遭遇し、あえて参道を離れて細い路地を進みます。

 

 

ふと思い出して進む先は間違っていないと思いますが、ちょっと雰囲気が変わっている気がしました。

 

雑草に覆われた一画に何やら碑が見えます。

 

 

菅公腰掛岩。

菅原道真が京から太宰府へと左遷させられた旅の途中、尾道に立ち寄った際に腰かけた岩と伝えられています。

 

この時町民たちのもてなしに感動した菅公が、自らの着物の袖を千切ってそこに自画像を描いて礼とした。

その袖を御神体として祀ったのがこの先にある御袖天満宮…つまり御袖天満宮をお詣りするならここも立ち寄るべき場所ということになります。

 

 

しかし実際の現地はご覧のように雑草に覆われたままで、ここに腰掛岩があることを知らないとなかなか足を踏み入れにくい状況になっています。

 

二枚ある腰掛岩の傍らには何か供え物がありましたが、よく見ると梅干しの種かもしれません。

 

 

今思えばこの時の光景がその先で出会う衝撃の再会の予兆だったのかもしれません。

 

ひとまずこの先の路地を進み、さらに石段を上った先にあるあの場所を目指します。

 

映画「時をかける少女」の中のワンシーンで有名になった“タイルの小路”です。

 

 

18年前の写真が残っています。

多くの「時かけ」ファンがここを訪れ、記念のタイルをたくさん置いていく、まさに聖地となっている場所です。

 

 

あっという間にあの時の記憶が甦り、まさにワクワクしながらその路地に足を踏み込むと…。

 

うそ!?

えっ!!

 

本当に自分の目を疑いました。

 

廃墟。

廃屋。

 

 
確かにあの場所に違いありません。
 

 

近年、廃墟ブームなどもあることは知っています。

でもこれはレベルが違います。

 

もはや廃れ去るのみで、そこに過去に思いを馳せる古き良きものという美すらない現実。

 

 

恐る恐る路地を先に進みます。

 
 
映像でも印象的だった水甕がそのまま残っていますが、傍らのエアコンの室外機を見ると確かにここに誰かの生活があったことを実感します。

 
さらに路地のその先へ進みます。
 
 
路地を曲がるとそこにあるべきものがない。
 
 
ヒロインの和子が夢の中で追い詰められた路地奥の建物がありません。
 

 

すでに自分が最初に訪れたときには屋根瓦が落ちているように見えますから、もしかしたら撮影後すぐに廃れていったのかもしれません。
 
 
ガラス戸も外れ、屋内も外から丸見え。
 
 
手前の家屋はすでに外観さえ残っていない。
 
 
何度もこの狭い路地を行き来してみても、間違いなくこれが現実。
 
 
家屋の一部には当時のファンが残した記念のタイルの残骸。
 
 
ここでふと思いついたのはすでに18年前の段階でこの一画は廃墟になっていたのではないかという事実。
 
他人の家の壁に勝手にタイルを貼るなんてできるわけないし。
それでもまだこの一画に暮らしていた方がロケ地としての景観を維持してくれたのか、あるいは市の関係部署で観光資源として対応していたのか。
 
それが今では完全に忘れられた場所になっている。
あの頃の「時をかける少女」の幻影は文字通り過去の時間にしか存在しないものになってしまった。
 
文字も解読できないほど色あせ雨露に洗われたタイルを見て、そんな思いが一気に自分の中に湧き起こってきました。
 
 
この路地へ続く石段の上には「ええ門」で知られる福善寺があります。
 
数回の尾道散策ではその福善寺の境内を通ってこの石段を下りてタイルの小路に入るのがルートになっていました。
 
最初に訪れたときに撮影した写真を振り返ってみると確かに30年以上前からある意味で寂れた一画だったのですね。
 
映画のロケ地というフィルターをかけて見てしまったので現実をあまり見ていなかった。
 
 
福善寺から見下ろすとタイルの小路のすぐ下まで新しい家が立ち並んでいるのが分かります。
もしかしたらロケ地であるがゆえに再生のタイミングを失ってしまったのかもしれません。
 
 
今回の旅では久しぶりにあの頃歩いた映画のロケ地を巡ってみるというプランもありましたが、この光景を目の当たりにしてその思いが薄れていました。
 
事前の情報で一部のロケ地は景観も変わっていることは知っていたのですが、この先にまたこういうショッキングな光景を目の当たりにする恐怖感も覚えてしまいました。
 
 
もうここには来ないかも…。

 

失意の中、古寺巡りは続きます。