「旅猫リポート」 | MCNP-media cross network premium/RENSA

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「旅猫リポート」(2018/松竹)

 

 監督:三木康一郎

 原作:有川浩

 脚本:有川浩 平松恵美子

 

 福士蒼汰 広瀬アリス 大野拓朗 山本涼介 前野朋哉 中村靖日

 戸田菜穂 橋本じゅん 木村多江 笛木優子 竹内結子

 (声の出演) 高畑充希 沢城みゆき
 
 おすすめ度…★★★☆☆ 満足度…★★★☆☆
 

 
まあ予告編を観たときから展開は読めていたし、途中から試写会で客席が涙涙の映像が加わったりして、「こりゃあ徹底して観客を泣かせようとする映画なんだろうな」と思い、その泣かせるツボがどこなのか興味はあったけれど、結果的には肩透かしを食らったような作品になりましたね。
 
でも、結局不覚にも泣かされちゃった。
その話は後にするとして…。
 
肩透かしというのは、まずタイトルに寄せて考えたとき、ロードムービーを期待するわけですが、これってロードムービーになってないよな。
 
そして高畑充希が声を担当して話題の猫のナナの擬人化の浅さというか、猫の心の声というレベルではなく、完全に人間の会話を理解しちゃっているのはどうなんだろ?
 
そもそも作品の構成も破たんしているのは辛い。
主人公悟とナナの出会いを回想するのかと思ったら、延々とナナの前に飼っていたハチの話が続く。
しかもこの回想シーンだけ正直作品全体からも浮きまくっているというか、なんか変。
ム、ム、ム。。。
 
まずは悟の小学生時代を演じた少年が何とも居心地悪いというか、はっきり言って子供らしくないし、とてもじゃないけど子供時代に思いを馳せて感情移入できるような存在ではなかった。
 
どこかで見た子だなと思って後で調べたら「宇宙戦隊キュウレンジャー」に少年戦士として途中から参加していた子だった。
その演技も正直微妙な感じで、最近すっかり子役=天才みたいな風潮が当たり前になっているから、こういう子役を見るとちょっと厳しい。
 
大切なのは最初に飼ったハチが捨て猫で、その部分が悟の生い立ちそのものとリンクしているという部分で、後半の叔母とのシーンでそれが明らかになるのであれば、あえて回想に時間を割く必要もなかった。
 
悟は飼っているナナの新しい飼い主を捜して自ら運転する車で都内から西へと移動する。
その移動の意味は悟の生い立ちとある時期から彼を育ててくれた叔母の存在があってのことで、叔母の転勤で転校ばかりしていたから小・中・高と友達が全国にいて、その中でナナの引き取りを承諾してくれた友達を訪ね歩く。
 
その先々で当時のエピソードが回想シーンとして挿入され、久しぶりに広瀬アリスのJK姿も見られたりする。
でもそれぞれのシーンでは、まだ出会う前のナナとの思い出とは関係ないわけで、一人と一匹の旅とはリンクしていかない。
 
原作を読んでいないからよく分からないけれど、映画の構成としては感情がそのたびにぶつ切りになってしまってなかなか前のめりになれない。
 
どこで泣かせる気なんだ?
 
そしてほぼ想像通りにクライマックスがやってきて、一気に泣かせに入るのか?と思いきや、泣かせるシーンだけ完全に独立しちゃってるんだな、これが。
 
そこはちょっとズルいなと思うけれど、演出側としては正解なんだろうな。
 
そのシーン、悟が息を引き取るシーンなんだけど、その死を受け入れることよりも、そこに立ち会っているナナの姿にやられてしまった。
 
動物は人の生き死にをどう受け止めているのかはわからないけれど、自分にも同様の場面に立ち会った経験があって、それは病床の父の傍らに可愛がっていた手乗りインコがちょこんと乗っているという構図で、父が息を引き取った後で自分がそのインコを側に近づけたときに黙って父の横顔を見守るかのようにしていた。
 
その光景が一瞬にしてオーバーラップしてきてダメだった。
やられたと思った。
 
一方で今自宅で買っているペットの亀の存在もあって、どっちが最期を看取るのかとそんなことまでその瞬間に思いを馳せてしまった。
 
動物は言葉を話せない。
昔から歌でも物語でもよく動物に語らせる作品があるのも、それが絶対に叶わぬことであるからこそだろう。
 
だからこうして動物に語らせる映画は難しい。
かつて「いぬのえいが」というオムニバス作品があって、宮崎あおい主演の「ねえ、マリモ」というエピソードで言葉を発せない犬の心の声が最後に文字で表されて落涙した。
 

今回は猫の擬人化=言葉ではなく、猫の佇まいに泣かされてしまった。

要は動物と人の間には言葉はいらないのだろうと思う。

 

もちろん泣かせるための仕掛けが猫の擬人化にあったのかどうかはわからないけれど、おそらく演出側が意図したのとは違った結果になったのではないか。

 
高畑充希はうまい、それは間違いない。
でも彼女のうまさゆえに、ナナの存在感が異質なものに映ってしまった。
 
福士蒼汰はいつものまま。
この人はずっとこういうタイプの役者さんなんだろうなと思う。
 
その叔母を演じるのが竹内結子というのはちょっと違和感も感じたけれど、姉役が木村多江だから年齢的には問題ないのか。
橋本じゅんは最近ずっとこんな役ばっかりだな。
あとは看護師役で久しぶりの戸田菜穂。
 
同じ猫の擬人化でいえばこの夏に公開された「猫は抱くもの」なんて作品もあった。
あの作品では猫も役者が演じ、人間との絡みのシーンでは完全なる擬人化に挑んだけれど、果たして成功していたとは言い難い。
 
昔から日本では動物で泣かせようとする映画が多く作られている。
そうした作品ではドキュメンタリーならまだしも過度に動物に演じさせようとしていていろいろ物議を醸したりもした…「子猫物語」とか。
 
作品作りの中で人間と動物の距離感をしっかりと保つだけの時間も予算もないのだろうけれど、最終的には主役は人間であってほしいと思う。
 
ちょうど一年前ほどに観た「ボブという名の猫」がその答えなのかもしれない。
 
でも、泣いたら負けです。
お見事。
 
 ユナイテッドシネマ前橋 スクリーン5