日々の小さな気づきを、積み重ねていくだけ。 -3ページ目
ー雨が止んだ。
ー紫陽花の季節が、終わる。



仕事ついでに、白山神社に詣でた雨の月曜。町の一角で「あじさい祭り」ののぼり旗を見つけて、思わず足を踏み入れた。
しっとりの梅雨時期には似合わない、雨風の強い午後だった気がする。


出来れば紫陽花の花は、しとしと雨の中で見たかったけど仕方ない。たまたま外出で早終わりの日が、たまたま雨風の強い日で、たまたま「あじさい祭り」をやっていた、というだけのこと。


でも、そこに咲く色鮮やかな紫陽花を一目見た瞬間に、生憎の天候も、足元の悪さも、ぜーんぶ忘れた。



むしろ晴れた日の「あじさい祭り」を見るより、よっぽどいいんじゃないか。


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梅雨生まれのわたしにとって、紫陽花の花は特別。一番すきな花は、と聞かれたら、必ず紫陽花と答える。
色は、やっぱりスタンダードな青色。



6月に生まれたわたしが、紫陽花の花を好きになるのは軽い宿命だったろうな。だってわたしの生まれる年に、母が家の庭(ニワと呼べるほと、広いニワではないけど)の片隅に、青色の紫陽花を植えてくれたのだから。

(あれ、植えてくれたのは爺ちゃんだったっけ。)


料理手芸園芸創作、何においても不器用だった(今は料理が超上手いし花を生けたりするセンスが光ってるから、過去形。)母が、なにかしらの願いを込めて植えてくれたその花は、毎年梅雨の時期になると、その狭い庭の隅で、薄い青の花をポンポン、と咲かせた。

本当に、ポンポン。と。


それは梅雨のどんより雲の下でも、どうしてこんなにと思うほど鮮やかに色をつけて私の目を、心を癒す。私を安心させる。



というわけでわたしは、30年間その青い美しい花とともに育ってきた。
梅雨のようにじっとりした陰気さを纏った根暗女であれど、雨露に濡れても文句ひとつ言わずひっそりと咲く紫陽花のような忍耐強さはあると思ってる。

少し言い過ぎれば、
紫陽花はわたし自身だ。



大人になって、好奇心や感受性を最大限に活かせる環境に運良く巡り会えたお陰で、わたしの感覚は昔より研ぎ澄まされてきてる気がする。

きっとそれだけのせいではないけど、今年は特別に、紫陽花が美しく見える年だった。


2018年、

30歳になった年の梅雨。

紫陽花を一番好きになった年。





ーこんなにも太陽の光が不似合いな花って。
ーこんなにも雨に愛される花って。
ー世界中のどこを探しても見つからない。
ーきっとないだろうな。


なんて、
他愛のない素敵な話を。


毎日ワケあって山手線を1周しているわたしは、最近気付いた。


「定期券内に30コくらい駅があるのに、自分ちの最寄りと会社だけを行き来しているだけなんて、すげーもったいない。」


と。



だから、全部でなくても、ちゃんと暇を見つけて駅を降りて、自分の足で歩いてその町を見ることにした。そんなことができるのも、きっと「今のうち」。

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海外旅行に死ぬほど行ってた大学生の頃、わたしはそんな風に思っていただろうか。たぶん何も考えず、只々思いのまま、気の向くままに出かけていたんだと思う。


だから、今思えば、無意識のうちにそんな感覚をもっていたのかな。


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昨日、初めて猿田彦珈琲なるものに寄った。恵比寿アトレの1階。
会社帰り、大好物のシェイクシャックのバーガー食べに行くことはよくあるけど、猿田彦珈琲は初めて。


シェイクシャックから、初めて隣の猿田彦珈琲をハシゴした。



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名前の由来は、古事記のサルタヒコノカミから、きてるのかな。猿田彦神社が、なんか関係あるのかな。
ま〜〜、なんでもいいや。

わたしは猿田彦珈琲に来たのにコーヒーを頼まず、ウィンターココアを注文。

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これがまた、シナモン効いてて美味いんだわ。なんか、大人な味わいなんだけど、心まであったまる感じ。




また一つ、
東京の良さを知った。


多くを、望み過ぎていたんだろうか。

いま、とても微妙なところにいる。
これを超えて仕舞えば、きっとまた次の場所を探すんだろ。すでに探しているといえば探してるけど、春が来る前に、なにかしらの結論が必要かな。

好きなことをした。
全てを片付けて、仕事を楽しんで、そして旅をした。短くも、本当に濃い旅だった。紺碧の世界。
そこで、かけがえのない出会いもあった。
これ以上ないほど、素晴らしい旅だった。


全部おわった、全部リセットした。
そう思っていたのに。ここ数ヶ月見えなかった幻影が、溢れんばかりに日々の中に現れるようになった。


猫が、いる。
落ち葉が、舞う。
公園で、子供の声がする。


たったそれだけのことが、なぜこんなに懐かしいんだろ。自分でも、いまは自分がわからない。
ただ、世間様に失礼にならない程度に、楽しみ、悩み、そんで歌おう。


いま、
わたしはどこだ。