突然思い立った感じですが、こんばんは。

 

最近更新頻度がかなり落ちてますが、ゆるく元気にしてはおりますニコニコ

 

は双極性障害(躁鬱)という病気で通院しています。

最初のころから考えればかなり元気になって、やれることも増えたなと感じています。

 

自分を客観視する事が苦手で、起こっている出来事や付き合いのある友人やお付き合いしているパートナーがモラハラが多く、なんでこうなるんだろう、どうして自分ばかり…と考える事が多かったです。

 

基本的に起こる出来事のほとんどは、残念ながら自分の考え方や人との接し方など、自分が選んだ自分自身の性格に引き寄せられて起こる出来事ばかりなんですよね。

 

あの当時は、そんなことあるわけない、運がいい人は生まれつき運がいいんだと、自分はとりわけ運が悪いんだと思い込んでいました。

 

ただ、私は自分を変えたくないなんて思っていなかったんです。

変わりたい、変えたい、どうしたらいいんだろうってずっと悩んでました。

 

幼いころから母が「お前さえ産まなければ」とか「あいつの子供だから」と恨み言を言いながら育てられ、自分の存在価値は紙切れのような物だったので、人を怒らせれば自分が全て悪いんだと自分の体に怪我をさせ自虐をする、それを人に見せたがる…そんな10~30代を過ごした私でした。

 

わるきっかけになったのは小林正観氏の著書を読んだり、講演会に行ったりするようになったのがきっかけだと思います。

 

ある時から、講演会のお手伝いをボランティアで参加させていただくようになり、そのお手伝いメンバーさんの1人から「だいぶ雰囲気明るくなったよね」と言われるようになったのが嬉しくて記憶に残っています。

 

感謝って大事で、日ごろお世話になっている人にも、いつも同じ仕事をしている仲間にも、特にお世話になっていないようでも、助けられていることって沢山あるので、感謝を伝えるようになりました。

 

ご飯を食べる時も「いただきます、ありがとうございます。」「ごちそうさま、いつもありがとう。」と言う事が日常になりました。

 

私は精神疾患持ちなので、最近は食事を旦那さんが用意してくれる事もわりとあります。

どうしても心が不安定な時期が月の物の影響や、子宮筋腫の薬の飲み忘れなどの影響で出たりするんですよね。

 

当たり前のことのように思ったり、体調悪いのにどうしてしてくれないのと思うのはだいぶ前に辞めました。

旦那さんは今まで親元で暮らしていて、家事は母親か祖母が全てする家で育ってきた人なので、具体的にどうして欲しいかを伝えないと理解ができなかったんです。

それを「いい歳してそれくらいわかるでしょ?なんで察してくれないのよ!」と言っていたので喧嘩ばかりしていました。

(人の思ってる事なんてエスパーじゃないんだから伝わるわけないのにねアセアセ)

 

私も旦那さんもADHDのセルフチェックをするとそれなりにシッカリADHD気味なので、お互いに”怒らずに”わかるようにちゃんと言葉に出して伝えようと何度も話し合いました。

もし怒っちゃってる時は、まずは互いに怒りを沈めて、お腹空いちゃっててイライラしてる事も多いからご飯食べてないのに気がついたら「まずはご飯食べよう」から始めて、きちんと話し合うようにしました。

 

話し合いに持ち込むのは私の努力がほとんどなんですが、それでもそこにどうにか前向きに話を聞こうとしてくれ、協力してくれたからこそ今があるのだと感謝しています。

(実際は別れ話のところまで行きましたが、別れたくなかったからこそ聞いてくれたらしいです。)

 

別れる別れないってほんと紙一重なんだなと思い返すと痛感する出来事なんですが、

互いに感謝をできなければやはり人間関係って続かないんだよねと感じています。

 

ありがとうって大事。

 

言葉で感謝してれば何してもいいわけじゃないけど、まずはありがとうだよね。

 

 

0歳超えてる大人なんだからそれくらいの事わかるでしょ!?」と他人に対して怒ってた頃は、沢山友達失いました。

精神年齢が幼い人が甘えに寄ってくる事が多かったのもあるとは思いますが、それよりも

いつも不機嫌も精神不安定も撒き散らしてましたから。

不機嫌を撒き散らす人っていうのはよく聞きますが、精神不安定も同じなんですよね。

 

「どうせ私なんて」っていじけてた頃がそうだったなと思います。

結構これ、いると思います。

周りに「そんなことないよ」って機嫌を他人に取ってもらおうとするタイプなんです。

 

私も実はもれなくそれでした。

 

そして誰にも無視されて「私なんか死んだほうがいいんだ」「みんな私のことなんかどうでもいいんだ」「消えたいいなくなりたい」って喚くんです。人に聞こえるようにとか、SNSとかで見えるように。

 

子供の癇癪と同じなんですよね。

 

でもそんな人をまともに相手し続けれる人って普通はいないんです。

最初のうちは元気だしなよって同じように弱い部分がある人達が構ってくれるんですが、同じように弱い所がある人だから、ネガティブに引っ張られて辛くなるのでいなくなっていきます。

 

そして残ってくれる人っていうのは、家族が発達障害や精神疾患だから見慣れてるっていう友達とか、同じように精神疾患だけど躁鬱ではなくてうつ病で高級アザラシになっちゃってる友達とか、何時間も平気で愚痴愚痴を聞かせにきて自分都合で電話切ってく友達とか…そんな感じになりました。

 

林正観さんの話をあれほど聞きにいってても、自分を俯瞰(客観視)できていないとこういう事態に簡単に陥る事ができるんですよね…。

 

理論はわかってても、実際どう考えて変えていけばいいのか具体的な部分がわからなかったからです。

 

病んだ事がない人には、どう変えていくのがいいのかを説明するのは難しいです。

 

自分大好きもっちーさん(望月彩楓)さんの動画を見た事がきっかけで、自己肯定感の上げ方を知りました。

 

もうどうにでもなれくらい精神的にずぶずぶで心も体もボロ雑巾くらいボロッボロだったのもあるので、アホになったつもりで真似して青い顔しながらひたすら動画かけ流したりしましたよね笑

こんなことして冗談みたいにでも変わるんなら儲けもんやなと思いました。

 

YouTubeっておすすめが結構流れてくるので、それに釣られて気になった動画をずーっと朝から晩まで見続けた日が何日もあったと思います。

 

覚えておかなきゃと感じた物はメモを取って、目に付く位置に貼りました。

 

吉岡純子さんの「全てうまくいってる」とか今も必ず目に付く位置に貼っていますし、

「今感じている事が現実になる」のKenjiさんの動画も見ていますし、著書も持っています

 

自己掘り下げを教えてくれるKIKOさんの動画も見ていますが、自分を俯瞰するにはとてもいい内容を教えてくれていて、毎回とても勉強になります。

 

あと吉岡純子さんとも仲がいいらしいHonamiさんの動画も見ています。

Honamiさんは行動すると現実が変わるといつも教えてくれ、ワンランク上の生活を味わえるような景色をよく動画内で見せくれています

 

そして斉藤一人さんですね。

商売人としての視点からの切り口のお話が中心で、そもそも大成功収めた人のお話なので聞いていて目からうろこが落ちる思いをする事が結構あります

 

最近はひすいこたろうさんの動画も見ています。

ショートが多いので簡潔でわかりやすく、長い動画を見るのが苦手な人にはとてもいいと思っていますし、わりと友人やTwitterのほうにもおすすめさせていただいています。

 

色んな方の動画を見、考え方を修正し、人への接し方を変え、自分の掘り下げをし、

おかげで自分の悪癖に一杯気が付けました笑

最初は自己嫌悪に陥りそうなくらいの箇所もありましたが、「ダメな自分も否定せずに受け入れて、そうしないとここに辿り着けなかったんだから自分を沢山愛してあげて」との言葉に自己嫌悪は手放しできるようになりましたね。

(↑これは吉岡純子さん、もっちーさんが頻繁におっしゃっていることです。)

「今までよく頑張ったね、今日も一日よく頑張ったね」と泣きながら自分の体をさすった日は沢山あります。

 

今も思い返すとここまでよく頑張った!そう思います。

 

私はこの日本にいながら、食べる物もなくて、住むところも失くしてどうしようっていうところまでいったこともあり、

それでも人並みの生活ができるところまで取り戻させてもらえたとてもとても運のいい人だと

沢山の友人が話を聞いてくれるとても恵まれた人だと

そこに至る道を見つけさせてもらえた運のいい人だと

今はそう感じています。

 

それはひとえに支えてくれた友達や旦那さん、動画主さん達のおかげ。

 

今私がこうしていられるのはみんなのおかげです。

ありがとうキラキラ

 

 

追記

思い返してみると、小林正観さんはあの頃いろんな人に感謝する事の大切さを伝えに一石を投じた第一人者みたいな感じに感じますね。

そこからネガティブだった自分を打破して、どうしたら前向きに人生楽しく生きれるか一生懸命考えて工夫して変われた人たちが今YouTubeで配信されたり、著書書かれたり、講演されたりしているんだな~と感じます。

結構小林正観さんの影響受けてるんだなっていうYouTuberさんとかいますよね~。