桜は散り始めた。

疫病流行の中で桜には救われた。

春は夢のようにすぎて、一抹の寂しさを感じる。

毎年「今年の桜はきれい」と思っている。

それは、人生に限りがあるからだろう。

悩んでも悩まなくても、季節は過ぎる。

一度しかない人生だから、しっかり味わって行こうと思っている。 

 

 

桐ヶ丘団地の公園。

誰も腰かけなくなったベンチには物語を感じる。

今、団地の公園で子供が遊んでいることは滅多にない。

時折、野草を摘んでいる老人に出会うだけだ。団地からは若者が消えて久しい。

桐ヶ丘団地は老人ばかりで、栄枯盛衰夢の跡だ。

桜が散っても、どこからか沈丁花がほのかに香っていた。

 

 

桜並木。

信号待ちをしているお婆さんが゜花吹雪を眺めていた。

路上を花弁がさざ波のように流れていた。

 

杖止めて 日射し眩しき 花吹雪

 

新河岸川沿いの桜並木も散り始めた。

夕暮れは花明かりに包まれ夢のようだ。

この桜並木は小さな幼木の頃から知っている。

30年近くを経て、今は見事に成長した。

 

荒川河川敷では山桜が満開だった。

花と葉が同時の野性的な姿は好きだ。

夏には沢山のサクランボが実る。

小さなサクランボだが、アントシアニンが濃く口が赤紫に染まる。

それは人を食べたみたいだ。

 

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Mas

5日発表の新型コロナ感染者は143人。都民にとっては不安に駆られる数値だが、一喜一憂する必要はない。感染者数は検査を増やせば増える。例えば小池都知事が検査対象を増やせと指示すれば、感染者数は急増するし、減らせと指示すれば減る。

 

彼女は政治感覚が鋭く変わり身が早い。

オリンピック延期以後、感染者が急増しているのもその一例だ。

今回、急増したのは都民に対する強い注意喚起と「都市閉鎖」を政府に強く促す意図があったのだろう。都市封鎖については、発令されても我々の生活はほとんど変わらない。ただし、休業補償、感染予防のための強制力と政府の責任が生じる。政府が躊躇しているのは責任と保証の問題だ。

注意喚起は、罹らないうつさないの2点を厳守させる効果がある。新型コロナとの闘いは長く続く。疲れないように、冷静に合理的に心配することが大切だ。

 

感染者143人の意味を説明する。

すでに市中には無症状の感染者が多くいる。

専門家は政治的に変化する陽性者の数値より、検証された検査人数に対する感染者の陽性率で感染の現状を推測する。

都発表データでは、66人の陽性者が出た4月1日の検査人数は164人で陽性率40%。

97人陽性者が出て騒がれた4月2日の検査人数は469人と3倍に急増していて、陽性率は20%と半減。

2日の検査人数の急増は、クラスター潰しのために無症状者を多く調べたことが影響しているが、政治的な作為は否定できない。以上の理由から、5日に143人と急増したのは、検査対象の人数を大きく増やしたからと推測できる。

 

本当に注目すべきは毎日発表されている死者数だ。

これはごまかしができない。

人口当たりの死者数が増えていれば悪化。減少にあれば好転と推測できる。

 

 

荒川土手から見た桜。

今日夕暮れの空気はとても冷たかった。

 

 花の夢 醒めて 青葉の風寒し

 

昔作った句だ。

青葉には早いが、この冷たさで思い出した。

世界の社会活動が激減して、地球の振動が減っているようだ。

今日の田舎のような寒気も、東京が自然を取り戻しているからかもしれない。

 

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Mas

 今の世相は憂鬱だ。昨日、散歩帰りにスーパーによると、買い物客で大混雑し、食品棚の一部は空になっていた。散歩中に悪い速報でも流れたのかな、と帰宅すると「都市封鎖」のフェクニュースが流れたと報じていた。

嫌な時勢だ。ちょっと喉が痛かったり、咳き込むと、新型コロナかな、と心配になる。こんな時には現実離れした話がいい。それで、昔、雑誌に載せた自作短編を探し出して記した。現実と夢が入り交ざっているので、そのつもりで読んでいただきたい。

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       「掘り割り」

 

 40数年前、彫金職人だった頃、東京北部の旧宿場町に住んでいた。

その街には昔の商家が残り、中央に深い掘り割りがあった。

 

 その老人と出会ったのは初夏の頃だ。

掘り割り沿いの遊歩道の縁台で、彼は刻みタバコをくゆらせていた。

頭を剃り上げ、ステテコに糊のきいた浴衣地の甚兵衛を軽く羽織った姿は涼しげに見えた。

老人とは何度か会ううちに、軽く会釈を交わすようになった。

 

 ある暑い午後、汗を拭き拭き歩いていると、縁台でお茶を飲んでいた老人が呼び止めた。

「にいさん、休んでいきな」

老人は体をずらして、縁台のゴミを手ぬぐいで軽く払った。

恐縮しながら腰掛けると、老人は薬缶から冷たい麦茶を湯飲みに注いでくれた。

 

二人で川面を眺めながら麦茶を飲んだ。

涼しい川風が深い掘り割りから吹き上げた。

「いい風ですね」

つぶやくと、老人は「ああ」と応えた。

それをきっかけに、老人と話すようになった。

 

 その日は納品があったので、散歩は夕暮れ前になった。

ぼんやり歩いていると、ふいに後ろから老人に呼び止められた。

これから飲みに行くから付き合えと言う。

仕事が終わって、一杯やりたい気分だったので喜んで応じた。

 

 居酒屋は掘り割り沿いの遊歩道を少し上った木立の中にあった。

その道は毎日歩いていたのに、私はその店を知らなかった。

老人は慣れた手つきでのれんを跳ね上げて入った。

磨き込んだ板壁には戦前の赤玉ポートワインなどのポスターが飾ってあった。

周りは静かで、時折、ヒグラシの声が聞こえた。

昔風の内装は居心地が良かった。

 

「おーい。いないのか」

老人は奥に声をかけた。

現れた浴衣姿の女は三十前後で色白の目元が涼やかな人だった。

女は黙ってカウンターにコップを置いて冷や酒を注ぎ、焼き茄子などをキビキビと並べた。

 

小一時間ほど飲んでいたが、他に客は来なかった。

老人は飲みながら、戦前、隅田川沿いの造船所で船大工をしていたとポツリポツリと身の上話をした。女は終始、笑顔で頷くだけで何も喋らなかった。

 

「かあちゃん」

奥から子供の声がした。

「あら、起きたみたい」

その時初めて、女の下町言葉を耳にした。

小粋で艶っぽい声だった。

 

女は奥から3歳ほどの男の子を連れて来た。

「こいつ、俺のガキなんだ」

老人は嬉しそうに男の子を抱き上げた。

「まさか、そちらの方は "おれの嫁さんだ" とでも言うんじゃないでしょうね」

冗談めかして言うと、「その、まさかだ」と、老人はぶっきらぼうに答えた。

 

 老人と飲んだのはその日だけだった。

それからも散歩は続けたが、その日を境に老人とは出会わなくなった。

居酒屋で聞けば彼の様子は分かると思ったが、一人で訪ねるのは気が引けた。

 

 夏の終わり、縁台に腰掛けている老人と久しぶりに出会った。

老人はいつものステテコ姿ではなく、麻の上下にパナマ帽と盛装して、別人のように見えた。

「これから、三人でお出かけだ」

老人は嬉しそうだった。

老人と話をしていると、遠くで着物姿の女と子どもが手を振っているのが見えた。

「じゃあ、元気でな」

老人は軽く会釈して去って行った。

 

夕暮れの道を親子三人が仲睦まじく歩いていくのを見送ったのを最後に、老人とはプッツリと出会わなくなった。

居酒屋で様子を聞いてみようと、掘り割り沿いの道を何度も往復して探したが見つからなかった。

老人の家の位置は聞き知っていた。しかし、訪ねて行くのは大仰に思えて止めた。

それから散歩コースを変えたので、老人たちのことは次第に忘れて行った。

 

 翌年の夏、思い立って、掘り割り沿いの道を歩いてみた。

老人に挨拶しようと、彼に聞いた記憶を辿って家を訪ねると取り壊され駐車場になっていた。

 

隣家のおばあさんに老人の消息を聞くと、最後に会った去年の夏の終わりに亡くなっていた。

驚いて奥さんや子どものことを聞くと怪訝な顔をされた。

「お嫁さんとお子さんは戦争中、出征している間に東京大空襲でを亡くなられましたよ。それ以来、あの人は独り身だから家族はいないはずです」

おばあさんは昔のことを思い出しながら話した。

居酒屋のことも聞いてみたが「そんな場所にお店があったかしら」と、首をかしげるばかりだった。

船大工だった彼が一人で建てたと話していた古い家は、遠縁の者が相続し、すぐに取り壊されて駐車場に変わった。

帰り道、夏の陽が照りつける駐車場が、急に虚しく見えた。

 

 老人と書いたが、今の私と同じほどの歳だ。

今の私も彼と同じくらいに老いているのだろう。

当時は戦争の生き残りが多勢いた。

街のあちこちに、戦争の悲惨さが記憶されていた時代だった。

 

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Mas

昨日は季節外れの寒さで、満開の桜に雪が積もった。

雪の中では、華やかなはずの桜が暗く沈んで見えた。

 

その前日は汗ばむほどの暖かさで、昨日より20度も高かった。

その日の公園のベンチでは、ホームレスが熟睡していた。

彼は、昼間はそのように休んで、夜に空き缶などを集めているのだろう。そのような毎日を過ごしながら、彼らは人生が終わるのを待っている。ホームレスの多くは生活保護の対象になるがプライドのために申請しない。しかし、中には多重債務を抱え居所を知られたくない人もいる。

 

彼らと私は紙一重の立場で、不安定さはさして変わらない。

違いがあるとすれば、私が生活改善の努力をしていることだ。私はたとえあてがなくても、いつも夢中で絵を描いている。

長生きはできるとは思っていない。年齢が危険域にあるので、新型コロナに罹ったら10日たらずで死ぬだろう。しかし、肺炎で死ぬのは苦しい。経験者によると、終わりのない水攻めの拷問を受けている感じだ。そのような苦しい死に方はしたくないので、健康維持に努めている。

 

夕暮れ、ライフに買い物へ出ることがある。その途中のガード下で、最近よく出会うホームレスがいる。彼は集めて来た大量の空き缶を、その暗がりでせっせと潰している。彼は前記のホームレスと違い、洗濯されたきちんとした身支度で、一刻も早くホームレスから抜け出ようと前向きだ。

 

先月、その彼が暗がりで結跏趺坐-けっかふざ-していた。結跏趺坐とは座禅の姿勢のことだ。買いものを済ませて帰る時も彼は微動だにせずに同じ姿勢のままだった。そして、その日を最後に彼は消えた。彼が何を決意したのか、今も気になる。

 

帰宅すると部屋の中は冷んやりとしている。誰もいない住まいに帰る気分は滅入る。買い物して来た食品を冷蔵庫にしまい、仕事部屋の電灯を付けたりしている内に、住まいが少しずつ生き返るのを感じる。

住まいは人がいないと死んでしまう。10年前までは要介護の母がいつも居た。帰宅すると「おかえり」と明るく声をかけてくれた。それだけで住まいに生命感があり、我が家の暖かさを感じた。住まいを生き返らせるのに家族はとても大切だ。

 

帰宅するとすぐにシャワーを浴びる。

最近、右肩腱板を損傷したので、左手一本で汗でTシャツを脱ぐのが苦労だ。それから、スボンもワイシャツも総て洗濯して部屋干しした。予報では好天は木曜以後になりそうだ。

 

公園では真っ先に柳が芽吹いていた。柳は北方の木で、北極圏までその仲間は多い。その中で一番好きなのはネコヤナギだ。しかしなぜか、公園のネコヤナギは総て刈り取られてしまった。

 

ニュース速報で、志村けんさんが新型コロナで亡くなったと報じていた。

心から哀悼の意を表します。

最後は意識がなくなって、苦しみを感じることなく逝かれたことが救いだ。

 

 

 

消えたホームレス。とても勤勉な人だった。

 

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Mas

昨日はNHKで黒澤監督の「羅生門」を放映していた。

若い頃見たときは、半分壊れた羅生門の迫力に圧倒され、京マチ子の妖艶さに強く惹かれた。それから10年程経た50年前、東寺を見学したついでに羅生門跡地を訪ねた。羅生門は倒壊以来1000年以上再建されていない。そこは羅生門跡の石碑が建っているだけの小さな公園で、子供たちが遊んでいた。

 

その旅で、京都の知人に桐箱入りのメロンをもらった。メロンは持ち歩くのが面倒だ。公園で少し言葉を交わした見知らぬ若い母親へあげた。

「こんな高価なものをいいのですか」とその人は恐縮していた。

すでに奇跡に入っているが、今は、メロンをくれた知人に失礼なことをした、と思っている。

 

平安朝の下膨れの妖艶な美人を演じて、京マチ子以上の女優はいない。

彼女をもっと見たくなり、ネットで探し出した溝口健二監督「雨月物語」を見た。織田信長に滅ぼされた琵琶湖湖畔の朽木家の若い姫の亡霊が陶工を見初める話である。上田秋成の「雨月物語」の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を下敷きに、川口松太郎などが脚色したものだ。

 

男を知らずに亡くなった姫=京マチ子を哀れに思った乳母が間を取り持ち、妻子ある陶工と結ばせる、幽玄で怪しいエロティズムに満ちた作品だ。陶工は最後に高僧に助けられ、妻子の元に帰る。しかし、閨を共にした愛妻はすでにこの世のものではなかった。

 

溝口監督が描く日本女性は本当に美しい。彼の作品では「近松物語」が一番好きだ。それで、「雨月物語」の次に溝口健二監督の「近松物語」昭和29年制作を見た。

 

それは近松門左衛門「大経師昔暦」を川口松太郎が戯曲化した「おさん茂兵衛」の映画化作品。経師とは書画を額や掛け軸に表装したり修理する仕事。その頂点にいるのが大経師で、朝廷から暦の発行を任され独占的な利益を得ていた。物語の大経師の以春は商才にも優れ、金貸しの他に京都近隣に広大な田畠も所持して巨万の富を築いていた。

 

姦通事件を起こしたおさんと茂兵衛と、下女お玉の三人が処刑されたのは1683年9月22日。しかし、川口松太郎の「おさん茂兵衛」の脚本では下女お玉は途中暇を取らされて刑死はしない設定。

処刑された時、おさんは十九歳。裕福な商家に育った美しい少女だったが、傾き始めた実家の為に30歳年上の大経師以春の後添えに入った。だから、不義密通と言うより、始めて恋に目覚めた少女と若い美男手代との純で激しい恋と言ったが良い。

 

おさん=演じた22歳の香川京子は清楚で目を見張るほど美しい。

茂兵衛=長谷川一夫、当時の代表的な二枚目。40歳半ばの完成された見事な演技。

下女お玉=21歳の南田洋子が実に初々しい。

 

あらすじ

茂兵衛は優れた経師職人。彼を想う下女お玉。しかし、茂兵衛は密かに主人の内儀おさんに想いを寄せている。一方、おさんは傾き始めた実家から度々お金を無心され、困り果てた末、主人以春に頭を下げるが、吝嗇な主人は冷たく拒否。

それを知った茂兵衛は、密かに主人以春の印判を使ってお金を用立てようとするが、腹黒い番頭に見咎められてしまう。主人の印判を不正に使うのは重罪。茂兵衛は厳しい処罰を待つ間、倉に閉じ込められる。しかし、茂兵衛は密かに脱出して、おさんのためにお金を工面しようと夜の町へ。

 

一方、おさんは下女お玉にも手を出そうとする好色で不人情な以春に愛想を尽かし、家を出て実家へ夜道を急ぐ。その時、偶然に夜道で出会う二人。それからは運命に翻弄されるように、二人の道行きが始まる。二人の実際の恋の始まりは道行き半ばからで、その構成に、近松のストーリーテラーとしての非凡さを感じる。

 

二人はお内儀と奉公人の主従関係のまま道行きを続けるが、主人の妻との不義は重罪。すぐに役人の追っ手に追いつめられる。

小舟で琵琶湖へ逃れたが、逃げ延びるすべはなかった。絶望した二人は入水を決意した。その時、茂兵衛は死ぬ前にこれだけはと、密かにおさんを想っていたことを告白。立ち尽くし感極まるおさん。おさんも密かに茂兵衛を想っていた。おさんは「聞いた以上、死にたくない」と、小舟の上で茂兵衛にすがりつく。そして二人は本当に結ばれた。

 

やがておさんは、大経師以春の追っ手に捕まり連れ戻される。実家に軟禁されたおさんを、茂兵衛は諦めきれずに追って来る。夜、おさんは裏木戸の影に茂兵衛の姿を認め、狂ったように駆け寄る。二人はすぐにおさんの母親に見つかり諭される。しかし、人目をはばかることなく、おさんは茂兵衛にすがりついた。

 

不義密通の罪で捕らえられた二人は背中合わせに縛られ、裸馬に乗せられ白昼の京の町を引き回される。おさんと茂兵衛はしっかりと手を握り合い、二人は微笑みをたたえながら刑場へ向かった。

 

 

これは不条理な法に追いつめられ、狂ったように激しく燃え上がった恋物語だ。二人は心中を選ばず、敢然と法に立ち向かって処刑される。そこに「大経師昔暦」の近代性を感じる。映画では、おさんは自分を主張する凛とした女に描かれていた。

 

原作の人形浄瑠璃に詳しい人によると、筋立ては映画とは違い、茂兵衛が下女お玉とおさんを間違って結ばれることになっていて興ざめするようだ。しかし、ただの映画好きとしては、原作の細部はどうでも良く、映画そのものを楽しむ。

溝口監督の描く女性たちは、モノクロ作品なのに華麗で、香り立つように美しい。昭和20年代の撮影所は結髪職人さんが豊富で、まるで浮世絵から飛び出たような優雅な結髪は画面を引き立てていた。

 

「近松物語」は若い頃に2度見た。その時は、もっと上手く立ち回れば良いものをと、茂兵衛の行動を馬鹿にした。そして、13年前に見た三度目では、おさんの激しさがとても理解できた。

19歳のおさんも、平均寿命が40歳を切っていた江戸時代では後のない恋である。だから、不義密通の連帯責任で一族を路頭に迷わせたくないと思う理性は、激しい恋に押しつぶされたのだろう。

 

実際の姦通事件当時、近松は浄瑠璃作者としてデビューしたばかりの30歳。事件は心中もの戯曲作家として魂を揺り動かす題材だったがすぐには戯曲化しなかった。「大経師昔暦」を完成させたのは事件から30年以上経た1715年。その年はおさん茂兵衛の三十三回忌であった。

 

極めて強欲で好色な大金持ちの以春。公家も大名も彼から金を借りて窮していた。京の市民も高利貸しの彼を憎んでいたはずだ。おさんが不義を犯したことを、奉行所に隠して内々に片付け、今の地位を保とうとした以春は厳しく咎められ、家財産は全て没収され、茂兵衛を陥れた悪番頭とともに京から所払いになった。彼から金を借りていた公家も武家も町人も、借金が消滅して喜び、彼の零落を哀れむものは一人もいなかった。

気に入った映画は人生の節目節目に、幾度も見ると、とても感慨深い。当時の日本映画は本当に素晴らしい。

 

散歩道の推薦とカラスノエンドウ。

 

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Mas

人体は肌も脳も肺も肝臓も胃腸も、その7割は毛細血管でできている。

毛細血管が減少すると、細胞は酸素・栄養不足に陥り老化する。

その時、肌はたるみシワが増え、肝臓病や認知症などを引き起こす。

言い換えると、毛細血管を増やせば若さと健康を取り戻すことができる。

 

毛細血管減少の確認方法。

手の親指の爪を、片方の親指の爪などで強く押すと、血行が止まり白くなる。すぐに押すのを止め、元のピンクの血色戻る時間が2秒以内なら正常。2秒以上白いままなら、毛細血管が減少している。

ちなみに、私は0.1秒で血色は回復する。

 

毛細血管は正しくケアすることで増え、老いと病気を食い止められる。

その方法は簡単で、2週間ウォーキングを続けるだけで毛細血管は3割増える。ウォーキングにスキップを交えると更に5割以上アップできる。

最も簡単で効果的なのはシナモンの摂取だ。

シナモンは粉末換算で1日にスプーン一杯ほどで驚異的に毛細血管は若返り増加する。

ただし、シナモン摂取には注意が必要だ。

 

シナモンにはセイロン(スリランカ)シナモンとカシアシナモンの2種がある。

両者は別種で、注意点は長期大量摂取で肝障害を起こすことがあるクマリンの含有量である。

生涯食べ続けられるクマリンの1日許容量を、ドイツの公的機関BfRでは体重1kgあたり0.1mgと定めている。例えば体重60kgの人なら1日に6mgまでが許容量だ。

 

1日あたりのクマリンの摂取許容量6mgを含有するシナモンの量。

 

セイロンシナモン      364.6g   クマリン含有は極めて微量で、多く食べても問題は起きない。

カシア・シナモン平均     1.9g    パウダーにすると小さじ少なめの1杯

カシア・シナモン(中国産)  8.6g    小さじ山盛り2杯

カシア・シナモン(ベトナム産)0.9g    小さじ半分で許容量に達するので注意が必要。

 

シナモン特有の芳香はクマリンの香りだ。

クマリン自体は薬にも毒にもなる。

人工的に合成に成功している。

シナモン、桜の葉などの芳香成分はクマリンで、許容量以内なら抗菌作用・エストロゲン様ホルモン作用・抗血液凝固作用、老化や病気から体を守る効果がある。

 

古来使われてきたハーブのメリロートの主成分はクマリン。

クマリン以外にサポニンを含み、総合的に、体内脂質やコレステロールの酸化を抑え、動脈硬化を防ぐ。

 

漢方では多くに、クマリンを含有する中国産カシア・シナモン=桂皮が入っている。しかし、様々な生薬を組み合わせることで副作用が出ないように工夫されているので問題はない。

 

けいひ=桂皮

クスノキ科カシアシナモン、別名・東京(トンキン)肉桂の樹枝の皮をはいで乾燥させたもの。古来,生薬として,健胃発汗解熱鎮痛などに用いる。

 

日本で言う肉桂はカシアの根皮のことだ。

子供の頃は駄菓子屋で乾燥した根を束ねたものを売っていたが、高価で子供たちの憧れだった。

 

 

写真はアメ横で50グラム(17本入り)350円のセイロン(スリランカ)シナモン。

1本で3グラムほど。薄皮がクルクル丸まった黄土色のステック状で、香りは上品で高価。

 

これを1日1本食べれば、毛細血管の増加、血糖値の安定、肌を含む体全体の老化予防に効果がある。大量でも少量でも効果の差はない。治験では半本でも十分な効果があると確かめられている。

 

このまま齧っても良いが固くて粉っぽい。

私は通販で粉末タイプを取り寄せている。

粉末はダマになって水にもお湯にも溶けにくいが、本みりんには簡単に溶ける。

私は、本みりん大さじ一杯ほどに溶かして、豆乳を加え、温めて飲んでいる。

 

シナモンはセイロン(スリランカ)シナモン小さじ一杯に対し、カシアシナモン小さじ半分を調合したものを使う。その程度ならクマリンの過剰摂取にはならない。

効果は1週間ほどで現れる。

 

(S&B食品の業務用シナモンパウダーに「セレクト・スリランカ産シナモンパウダー(セイロン)100g袋入り・705円」がある。当社のネット販売サイトで注文できるが、5400円以内だと送料540円がかかる。それ以上は送料無料。ただし、表記がシナモンのみの商品はカシアなので注意が必要だ。)

 

 

ネットから借用したカシアシナモンの画像。

カシアシナモンはコルク質を含んだチョコレート色の大きく分厚いもので、ココア色のパウダーにして市販されている。写真のような分厚い木皮は通常目にすることはないが、アメ横の専門店や漢方薬店で売っている。カシアシナモンは圧倒的に安く、香りも味も濃厚だ。

シナモンパウダーは、はっきりとセイロン(スリランカ)シナモンと明記されていない限り、カシアだけか、あるいは両者をブレンドしたものが多い。

 

クマリンは許容量以上の長期摂取で感受性の高い人に肝障害や光過敏症を起こすことがある。ただし、社会問題を起こすほど重篤な肝障害はほとんどない。黄疸のない肝機能の数値異常だけなら服用をやめるだけで回復する。

 

合成クマリンは、昔はシナモン香料として市販されていたが、上記の理由で今は市販されていない。

我々の世代は子供の頃、ひょうたん型のガラス瓶に入れた、赤く着色されたニッケ水を愛飲し、ニッケ入り菓子を毎日のように食べていた。それでも何ともなかったのだから健康被害は軽微だと思われる。しかし、基準量は守り、気をつけるに越したことはない。

 

 

インバウンドで賑わっていた頃、アメ横で一瞬すれ違ったラテン系の美女。

新型コロナ騒ぎ以来、閑散とした通りを見るに忍びず、アメ横には出かけていない。

 

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Mas

 

先日、長い付き合いの絵描き仲間と会った。

彼は莫大な親の資産を相続して、生活の不安はない。

 

彼は芸大生の頃から親しくしている老コレクターの話をした。

親族がいないその人は、膨大なコレクションを相続してくれないかと彼に相談した。しかし、彼はコレクションの資産価値に興味はなかった。

「相続するのは気が重い。売却してパーっと遊んでしまったらいかがですか」と薦めた。

しかし、老コレクターは作品に愛着があるから嫌だと答えた。

 

老コレクターは売却したくない理由を話した。

「日本画の大家の作品を2千万で買ったが、売却しようとすると200万にもならない。今、人気が落ちている作家だと20万でも売れない。ばかばかしいから、君がタダでもらってくれ」

「タダでもらっても、美術品保管にコストがかかりすぎるから嫌です」と彼は答えた。

 

そのように有名画家作品の資産価値はないに等しい。

対して江戸時代までの北斎を始めとする浮世絵作家なら、国際価格がつくので安定した高値で売れる。明治以降の具象作家で国際価格がつくのはレオナール藤田くらいだ。

 

そのあと、テレビ番組「何でも鑑定団」の話をした。

番組中で素人が出品した絵画に鑑定家が高額な値をつけるのは絵市場維持の為だ。鑑定家が高値をつけたあと「素晴らしい作品です。売らずに家の宝として大切にされてはいかがですか」と決まって言う。それは、前記のような二束三文の値しかつかないことを熟知しているからだ。

 

海外で認められなければ絵の資産価値はない。

国際的に認められているのは、モダンアートなら、村上隆・奈良美智・草間弥生などがいる。日本画や洋画は全滅状態だ。むしろ、アニメ原画や、伝統工芸作品の方が国債価格がつくので資産価値がある。

 

その点、私の作品は元々安くて資産価値がない。

私の作品のコレクターは、会社や病院の待合室に飾るための実用品として買う。

だから、飾っておくうちに減価償却するので資産価値を必要としない。

 

最後に「生活はどうしている」と聞かれたので「相変わらず自転車操業で大変だ」と答えた。それならペットの肖像画はどうかと彼は薦めた。彼の絵描き仲間にペットショップや動物病院経由でA4サイズほどの肖像を5万ほどで受注して描いている人がいるようだ。写真を見ながら描き写すだけだから、私なら月に10枚はこなせるだろうと彼は話した。

しかし、俗世に疎い金持ちのアイデアだ。

すでに、過当競争が起きて仕事として成立していないはずだ。

「今までペットの絵を幾度も描いているけど、全て親しくして来たワンコやニャンコの絵だ。知らない子を描く気にはならない」と答えて、別れた。

 

先日、旧知の主婦に絵の褒め方を話した。

彼女は私の絵を「印象派のスーラの絵に似ている」と褒めてくれたからだ。

私の絵の点描部分だけを捉えてそう褒めただけで、悪意はない。

それは女優の誰それに似ていると、綺麗な女性を褒める感覚に近い。

「絵描きはオリジナリティを大切にするので、他の作家に似ていると言われて喜ぶ者はいないよ。綺麗ですね、もだめ。作家は綺麗なだけで心がないと言われていると思ってしまう。単純に、いいですね、とか、気に入らなければ黙っているのが一番だ」

そんなことを話すと、彼女は感心していた。

 

今は歳を重ね、とても温厚になった。

30代の頃、アートフェスティバルへ行った時、ブースにいた作家が自分たちの企画のパンフレットを渡した。掲載作品は嫌いなタイプだったので「嫌いだからいらない」と返した。「嫌いとは何だ」と、その作家は激怒してくってかかった。「嫌いだから嫌いと言って何が悪い」私は言い返した。

今思うと随分失礼な言い方をしてしまった。

半世紀近く過ぎても覚えているのは、後悔しているからだ。

 

 

知人から頼まれて描いたゴールデンレトリバーの「ラッキー」

大型犬としては長命で、18歳まで生きた。

 

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Mas

散歩の出がけ、住まいの鍵が見つからなかった。

予備の鍵を使ったが行方が気になる。開けた後に鍵を抜き忘れ、翌朝気がつくことがある。もしかして、抜き忘れた鍵を誰かに抜かれたのかもしれない。そう考えると気味が悪く、結局、鍵を取り替えることにした。

 

ピッキング被害が頻発していた頃に、新しく取り替えたのが今の鍵だ。その鍵も、最近のピッキングではドライバー1本で数秒で開けられるようになった。だから、取り替えるのは良い機会だと思った。

 

赤羽駅近くのビバホームに行き、最新式の鍵シリンダーを買った。一緒に、郵便受けの錠前も新しくした。錠前はレバーを数値だけ、カチカチと回転させる方式なので、暗闇で手探りで開錠できる。住まいの鍵を総て一新し終えると気分がすっきりした。

 

ピッキング窃盗団は見張り役を交えて素早く行動する。彼らが好むのは、通路が複雑で死角の多い住まいだ。その点、今の住まいは見通しが良く、ピッキング被害は聞いたことがない。

 

取り替えた後も、失くした鍵の行方が気になって探し続けた。

すると、長い間探し続けていた死んだ姉の指輪や、ポイントカードなどが見つかった。長くはかなかったGパンのポケットからは500円玉が見つかった。

 

昔、マーフィーの法則が流行した頃、様々な法則を考えた。

「待っている電話はかからない」「電話が通じにくい相手とは、絶対に付き合わない方が良い」

今ならさしずめ「待っているメールは入らない」「メールの返信をくれない相手とは付き合わない」となる。

そして今回思いついたのは「探しものは、探すのを止めたら見つかる」となった。

 

世の中、思い通りはいかない。

昔、なかなか電話が通じない女性とやっと連絡が取れて付き合い始めた。

するとその女性が「出版社を紹介してほしい」と言った。

すぐに中堅の出版社の編集長に頼んで、彼女と待ち合わせたがすっぽかされた。

後日分かったが、約束の日、彼女は他の出版社にも声をかけていた。

彼女は私の方とそちらを天秤にかけ、そちらを優先した。

おかげで、私はその編集長の信頼をなくしてしまった。

利己中な人は、概ね才能もない。

彼女は綺麗だったので、数回は雑誌に雑文を書いていたが、すぐに表舞台から消えた。

 

他にも法則を考えている。

「悪口は必ず相手に通じる」「取り逃した幸運は本当の幸運ではない」「良い友達を持つている人は良い人が多い」「本当に好きな事をしていると、良い友達ができる」などだ。

 

ところで紛失した鍵のことだが、先日、冷蔵庫の野菜を使い終わったので、野菜を包んでいたビニールの買い物袋をゴミ箱へ捨てるとチャリンと音がした。何だろうと買い物袋の底を覗くと探していた鍵があった。

買い物から帰宅した時、使った鍵を一時的に買い物袋へ放り込んだのを忘れていたようだ。

まさしく「探しものは忘れた頃に見つかる」の法則通りだった。

 

自作の漫画

 

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母との死別以来、住まいは静かになった。

住まいではいつも一人で、訪ねて来る人は希だ。

テレビを消すと、時折、新河岸川の鉄橋を過ぎる新幹線や埼京線の音が聞こえる。

そんな時、ふいに心の中に死んだ家族たちが帰って来る。

「ああ着いた着いた。やっぱり家はいいね」

外通路から母の陽気な声が聞こえて、死んだ父、祖母、兄、姉の陽気な声が続く。

皆、南国育ちなので陽気で声が大きい。

家族たちの、にぎやかな声が次第に近づいて玄関が開く。

「ただいま。元気にしていたの。ごはんはちゃんと食べているの」

母の明るい声が聞こえてから・・・

すぐに自分一人だけの現実に引き戻される。

 

先に逝った家族たちとカラスに捕食されたツバメのヒナ。

 

今も、当たり前のはずの死を納得していない。

何故に家族たちが私より先に死んだかではなく、何故にかくも深い哀しみを残したのか理解できないでいる。

今朝、母の使っていた置き時計が止まっていた。

電池を取り替えた頃、母はまだ元気だった。

「やっぱり死んだのか」

電池を取り替えながら、独り言をつぶやいた。

母との死別以来、何かにつけて独り言を漏らすようになった。

 

残された者は辛い。グリーフケアには様々なケースが書かれている。夫を亡くした妻。妻を亡くした夫。親を亡くした子供。子供を亡くした親。

その中で、親を亡くした子供の場合は、その年齢でかなり違ったものになる。私のように十分に長生きした親を亡くすケースが一番自然な死別だろう。それでも哀しみは残るので、他のケースの哀しみの深さは想像に難くない。

 

それらの中で哀しみが深く、癒されることが難しいのは子供を亡くした親だ。

それについてデンマークの調査統計がある。

 

子供を亡くした両親を18年間追跡した結果では、子供が健在の両親と比べて母親の死亡率は1.43倍高い。

内訳は、がんなどの病気による「内因死」は1.26倍。

交通事故や自殺などの「外因死」は2.45倍。

 

子供を亡くした父親の死亡率は、子供が健在な父親と比べて1.09倍。

「内因死」で1.07倍。「外因死」で1.15倍。

同じ親でも、父親と母親では死別の哀しみは大きく違う。

 

交通事故や自殺などの「外因死」の死亡率は、子供が亡くなってから1−3年後に、母親では3.84倍と異常に高く、父親でも1.57倍と高くなった。

母親のがんなど病気による内因死の死亡率は、子供が亡くなってから長期間を経た9〜18年の間は1.44倍と一番高かった。

父親では、この時期の死亡率も、他の時期の死亡率も、一般とさほど変わらない。

 

子供の死が母親の死亡率に与える影響の大きさに、母親の年齢や教育による違いはない。亡くなった子供が一人っ子の場合や、母親自身がシングルの場合は、母親の死亡率も高くなる傾向がある。

 

結論すると、母親の内因・外因死、共に死亡率は高い。

父親の場合は、子供が亡くなって間もない頃の外因死率が高い。

子供の死は父親より母親へ大きな影響を残すようだ。

 

世間では、死別後に母親が人前で笑顔を見せると立ち直ったと誤解する。

しかし、この哀しみは容易に消えるものではなく、安易な判断は禁物だ。子供を亡くした母親の笑顔は深い心遣いと捉え、哀しみは死ぬまで続くものと思うべきだ。

 

漁師町で暮らしていた子供の頃、漁に出た若い息子を海難事故で亡くしたおばあさんが近所にいた。亡くなったのは数十年前のことだが、おばあさんは真冬の夜でも雨戸を閉めずに寝ていた。

「息子が夜中に海から帰って来るような気がして、雨戸が閉められない」

母が聞くと、おばあさんはそのように話していた。

母親の哀しみは深く、生涯消えるものではない。

 

子供と死別した母親のグリーフケアは優しく悲しい気持ちを聞いてあげることに尽きる。間違っても、「死は誰にでも訪れることだから早く忘れなさい」とか「頑張りなさい」とか「哀しんでいると、死んだ人が成仏できませんよ」などと言ってはならない。

もし、そのような励ましで解決したように見えたとしても、それは表面上のことだ。哀しみは心の奥底に澱み、苦しみを長引かせ、時には鬱病を発症する。死別によって残された者は哀しみを隠さず、人へ話すことだ。繰り返し話すことで、やがて哀しみは懐かしい思い出に変化する。

 

どんなに素晴らしい言葉も、哀しみに捉われている人の心に入って行くのは難しい。だから周囲の者は、絶えず寄り添い、ひたすら話しを聞いて、孤独をやわらげてあげることに尽きる。

 

死別の哀しみを癒すには長い年月を必要とする。ひたすら哀しみ、ひたすら話して行く内に自ら立ち直り、哀しみを懐かしい思い出に変えることが出来る。

 

しかし、それらを実行しても、死別の哀しみは終生消えることはない。

母は60代に長兄の繁を亡くした。私は嘆き哀しむと思っていたが、母は一度も涙を見せなかった。それから30年以上過ぎて、母の足腰が弱り車椅子生活になった頃、ふいに母が、その日からのことを話し始めた。

「あれから、夜中に何度、枕を涙で濡らしたか、数えきれない」

母は始めて本心を話してくれた。

そして、在宅で97歳で死ぬ7日前、深夜に様子を見に行くと、「繁、元気だったの」と母は嬉しそうに私を見上げた。長兄と私を勘違いしていると分かっていたが、私は黙って母の頭をなでた。その時、子供に先立たれた母親は死ぬまで忘れないものだと思った。

 

昭和49年5月1日、祖母の葬儀へ兄が上京して来た。

兄は紅型の風呂敷に祖母の遺骨を包んで、母と九州久留米の菩提寺へ旅たった。

翌年、兄は急逝した。だから、見送った姿が兄を見た最後になった。

 

「大きく育ってね」どんぐり山の散歩。

晩年の、散歩中の母を描いた。

 

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 呉須のウサギ模様の小鉢を割ってしまった。小鉢は子供の頃から使っていた。その頃は家族の人数だけ揃っていたが、そそっかしい母のおかげで次々と破損し、60数年を経てその一個だけになった。その母とは死別してから10年が過ぎた。所詮、常なるものはない。誰でも親しい人や馴染んだものを次々と失いながら生きている。どんな権力者でも、資産家でも、やがては親しい人や健康を失いない、最後は身一つの死に行き着く。

 

成功者や権力者たちの多くが終末期に生に執着して苦しむ。

ピカソは終生死を恐れ、近親者の葬儀にも決して参列しなかった。

「どんなに金をかけても、生かせておいて欲しい」

自分の死期が迫った時、狼狽し医師に懇願する者に権力者や成功者が多い。彼らは失うことに慣れていない。障壁を力ずくで組み伏せて来た人生によって、生命までも自分の意のままになると錯覚しているのかもしれない。

 

 親しい者たちと別離して哀しみ、老いて病み、死へ辿り着くのは自然なことだ。死も病も孤独も自然に受け入れられる者は、人生のレールから外れても落伍者ではない。どのような境遇も否定せず、素直に受け入れ、周囲に感謝を伝えるゆとりがあれば良い人生を過ごしていることになる。

 

 NHKが母親との死別についての思いを1600人にアンケートしたことがある。その結果は、25%が3〜4年と哀しみを乗り越えられないでいた。更に2%は10年を経ても哀しみは増すばかりで、治療が必要な鬱を発症していた。

興味深いことに、ペットとの死別でも同じような結果が得られている。以下、共通のグリーフケアとして捉えてほしい。

 

母親との死別後には、誰でも次のような症状が現れる。

母親の死を信じることができず、常に非常に強い孤独感や寂しさがある。故人のことが頭から離れないまま感情が麻痺し、自分の一部まで死んでしまったように感じる。母親の遺品を整理できず、故人を探し追い求め、今も生きているかのようにふるまう。街中で、故人と似た人の面影を追いかけてしまう。強い怒りやイライラが消えず、故人や自分に対する怒り、自分を責める気持ち、治療した医療機関への憎しみが消えない。故人の思い出を避け、将来への不安に囚われ、未来に目的がなくなり無意味だと感じる。

以上は誰にでも起きる自然な反応だ。しかし、1年過ぎても強い悲嘆が持続し、日常生活に支障をきたす場合は「複雑性悲嘆」として専門的なケアが必要となる。それは一般的には「母ロス」と呼ばれている。

 

「複雑性悲嘆」に陥らない療法の一つに、米国・コロンビア大学のキャサリン・シア博士が開発した心理療法・CGTと呼ばれる方法がある。その中の一つに筆記療法がある。その方法は簡単だ。たとえば、一人で家にいる時、散歩している時、友だちと談笑している時、様々な場面での哀しみの大きさを1点2点と数値化して記録する。

あるいは日記に自分の気持ちを素直に書くことでも同じ効果がある。

それらを実行すると、いつも悲嘆に暮れている訳ではないと自分を客観視できて、やがて、哀しみから解放されて行く。

他にも、絵を描いたり音楽に親しむのも効果がある。

少し変わった方法で「私は今、鬱ではないかと心配している」などと独り言をつぶやくことも、自分を客観視できて効果がある。

 

 誰でも、何らかの哀しみを抱えながら生きている。哀しみと明るさを共存させているのは自然な生き方だ。両者は車の両輪のように大切な関係で、明るいだけでも悲しいだけでも不自然となる。

哀しみにも大切な役割がある。哀しみを知る人は、日常生活の中のささやかな出来事にも感動できる。

 

 母は10代の頃、溺愛してくれた祖父と死別した。その哀しさは90歳過ぎても昨日のことのよう記憶していて、思い出す都度、辛いと話していた。しかし、母は常に悲しんでいた訳ではない。日常の大部分はとても明るく過ごしていた。

それは私も同じだ。私は死別の哀しみは死ぬまで続くものと思っている。日常生活に支障がないなら、死別の哀しみを持続させても弊害はない。むしろ、哀しみは感性を豊かにし、人を優しくする大切な役割がある。

 

 普通の死別は突然ではなく、なだらかに訪れる。介護期間はまさしくその猶予期間だ。親を介護すれば、日々緩慢な死を感じて、必ず訪れる死別後の喪失感への対処ができる。

しかし、交通事故や三陸大津波による遭難のように、突然の死別では「複雑性悲嘆」を避けるのはとても難しい。

それを避けるには、子供の頃から死と向き合う必要がある。しかし、最近は病院で死ぬケースが多く、昔のように子供たちが死に接する機会は激減した。子供に死別のショックを与えてはならないとの配慮だが、その結果、現代の子供たちは死別の哀しみへの耐性が脆弱になった。

 

「複雑性悲嘆」に陥った遺族に対処する周囲は注意が必要だ。

周囲の者は、遺族にただ寄り添い話を聞いてあげることに尽きる。間違っても「早く哀しみから立ち直りなさい」とか「悲しんでいると、死んだ人の魂が浮かばれませんよ」などと励ましてはならない。悲しんでいるのは、それらが出来ないからで、それができる人なら手助けなど必要としない。

 

しかし、寄り添ってくれる優しい人がいない孤独な人もいる。その時は、鏡に向かって鏡に写った自分に優しく話しかけ、大泣きすると効果がある。ちょっと恥ずかしい光景で、実行には勇気がいるが、これは実証された心理療法の一つだ。

 

悲嘆は立ち直る為の自然な生理現象だ。悲嘆し涙を流すことで、大切な人(あるいはペット)を失った苦しみから解放されて行く。間違った励ましで、その生理現象を押さつけると、内に籠った悲嘆の感情は肥大化し、病的な鬱へ進行してしまう。

 

「複雑性悲嘆」への心理療法では、故人と自分の関係を真剣に考えて納得できる物語を紡ぎ出し、様々な気晴らしをすることで回復の道筋が生まれる。そうすることで遺族は死をしっかりと受け入れ、思い出を大切にしながら、故人のいない新たな生活や自分の役割を見いだすことができる。

 

 母は5人の子供を産み、その内の2人に先立たれた。残った3人の内、母をしっかりと記憶しているのは母を介護し在宅で看取った末子の私だけだ。母と離れて暮らしていた兄姉の母への記憶は私より薄く乾いている。死者は誰かに記憶されることで生き続ける。だから、たとえ哀しみを伴っても、死者の記憶は大切にすべきだ。

 

 悲嘆にも良いことがある。悲嘆に苦しむと、自分の病や死を素直に受け入れられるようになる。それは、絶望的な喪失感に晒されている内に、悟りや諦観を身につけるからかもしれない。遺された者の悲嘆は死を真剣に考えることから生まれる自然な感情で、その苦しみから人生にとって大切なことを学ぶことができる。

 

 脳科学の東邦大学有田秀穂名誉教授によると、一度泣けば一晩眠ったのと同じだけ、ストレスを取る効果がある。関連して「涙活」と呼ばれる健康法がある。

週に一度、哀しいドラマなどを見て泣くと体調が良くなる。

デート前に泣いてから出かけると表情が優しくなってデートが巧く行く。

ラグビーや野球の試合前、選手たちが思い切り泣くとリラックスして実力が出せる。

重要な会議で緊張する人は、その前に思いっきり泣いておくと巧く行く。

だから、辛くて悲しい時は我慢せず思い切り泣くといい。

 

 

メーテルリンクの「青い鳥」夜の女王。

この戯曲は全編に、作者の死生観が強く反映している。

この作品は2017年に喫茶店で描いた。

 

 

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