呉須のウサギ模様の小鉢を割ってしまった。小鉢は子供の頃から使っていた。その頃は家族の人数だけ揃っていたが、そそっかしい母のおかげで次々と破損し、60数年を経てその一個だけになった。その母とは死別してから10年が過ぎた。所詮、常なるものはない。誰でも親しい人や馴染んだものを次々と失いながら生きている。どんな権力者でも、資産家でも、やがては親しい人や健康を失いない、最後は身一つの死に行き着く。
成功者や権力者たちの多くが終末期に生に執着して苦しむ。
ピカソは終生死を恐れ、近親者の葬儀にも決して参列しなかった。
「どんなに金をかけても、生かせておいて欲しい」
自分の死期が迫った時、狼狽し医師に懇願する者に権力者や成功者が多い。彼らは失うことに慣れていない。障壁を力ずくで組み伏せて来た人生によって、生命までも自分の意のままになると錯覚しているのかもしれない。
親しい者たちと別離して哀しみ、老いて病み、死へ辿り着くのは自然なことだ。死も病も孤独も自然に受け入れられる者は、人生のレールから外れても落伍者ではない。どのような境遇も否定せず、素直に受け入れ、周囲に感謝を伝えるゆとりがあれば良い人生を過ごしていることになる。
NHKが母親との死別についての思いを1600人にアンケートしたことがある。その結果は、25%が3〜4年と哀しみを乗り越えられないでいた。更に2%は10年を経ても哀しみは増すばかりで、治療が必要な鬱を発症していた。
興味深いことに、ペットとの死別でも同じような結果が得られている。以下、共通のグリーフケアとして捉えてほしい。
母親との死別後には、誰でも次のような症状が現れる。
母親の死を信じることができず、常に非常に強い孤独感や寂しさがある。故人のことが頭から離れないまま感情が麻痺し、自分の一部まで死んでしまったように感じる。母親の遺品を整理できず、故人を探し追い求め、今も生きているかのようにふるまう。街中で、故人と似た人の面影を追いかけてしまう。強い怒りやイライラが消えず、故人や自分に対する怒り、自分を責める気持ち、治療した医療機関への憎しみが消えない。故人の思い出を避け、将来への不安に囚われ、未来に目的がなくなり無意味だと感じる。
以上は誰にでも起きる自然な反応だ。しかし、1年過ぎても強い悲嘆が持続し、日常生活に支障をきたす場合は「複雑性悲嘆」として専門的なケアが必要となる。それは一般的には「母ロス」と呼ばれている。
「複雑性悲嘆」に陥らない療法の一つに、米国・コロンビア大学のキャサリン・シア博士が開発した心理療法・CGTと呼ばれる方法がある。その中の一つに筆記療法がある。その方法は簡単だ。たとえば、一人で家にいる時、散歩している時、友だちと談笑している時、様々な場面での哀しみの大きさを1点2点と数値化して記録する。
あるいは日記に自分の気持ちを素直に書くことでも同じ効果がある。
それらを実行すると、いつも悲嘆に暮れている訳ではないと自分を客観視できて、やがて、哀しみから解放されて行く。
他にも、絵を描いたり音楽に親しむのも効果がある。
少し変わった方法で「私は今、鬱ではないかと心配している」などと独り言をつぶやくことも、自分を客観視できて効果がある。
誰でも、何らかの哀しみを抱えながら生きている。哀しみと明るさを共存させているのは自然な生き方だ。両者は車の両輪のように大切な関係で、明るいだけでも悲しいだけでも不自然となる。
哀しみにも大切な役割がある。哀しみを知る人は、日常生活の中のささやかな出来事にも感動できる。
母は10代の頃、溺愛してくれた祖父と死別した。その哀しさは90歳過ぎても昨日のことのよう記憶していて、思い出す都度、辛いと話していた。しかし、母は常に悲しんでいた訳ではない。日常の大部分はとても明るく過ごしていた。
それは私も同じだ。私は死別の哀しみは死ぬまで続くものと思っている。日常生活に支障がないなら、死別の哀しみを持続させても弊害はない。むしろ、哀しみは感性を豊かにし、人を優しくする大切な役割がある。
普通の死別は突然ではなく、なだらかに訪れる。介護期間はまさしくその猶予期間だ。親を介護すれば、日々緩慢な死を感じて、必ず訪れる死別後の喪失感への対処ができる。
しかし、交通事故や三陸大津波による遭難のように、突然の死別では「複雑性悲嘆」を避けるのはとても難しい。
それを避けるには、子供の頃から死と向き合う必要がある。しかし、最近は病院で死ぬケースが多く、昔のように子供たちが死に接する機会は激減した。子供に死別のショックを与えてはならないとの配慮だが、その結果、現代の子供たちは死別の哀しみへの耐性が脆弱になった。
「複雑性悲嘆」に陥った遺族に対処する周囲は注意が必要だ。
周囲の者は、遺族にただ寄り添い話を聞いてあげることに尽きる。間違っても「早く哀しみから立ち直りなさい」とか「悲しんでいると、死んだ人の魂が浮かばれませんよ」などと励ましてはならない。悲しんでいるのは、それらが出来ないからで、それができる人なら手助けなど必要としない。
しかし、寄り添ってくれる優しい人がいない孤独な人もいる。その時は、鏡に向かって鏡に写った自分に優しく話しかけ、大泣きすると効果がある。ちょっと恥ずかしい光景で、実行には勇気がいるが、これは実証された心理療法の一つだ。
悲嘆は立ち直る為の自然な生理現象だ。悲嘆し涙を流すことで、大切な人(あるいはペット)を失った苦しみから解放されて行く。間違った励ましで、その生理現象を押さつけると、内に籠った悲嘆の感情は肥大化し、病的な鬱へ進行してしまう。
「複雑性悲嘆」への心理療法では、故人と自分の関係を真剣に考えて納得できる物語を紡ぎ出し、様々な気晴らしをすることで回復の道筋が生まれる。そうすることで遺族は死をしっかりと受け入れ、思い出を大切にしながら、故人のいない新たな生活や自分の役割を見いだすことができる。
母は5人の子供を産み、その内の2人に先立たれた。残った3人の内、母をしっかりと記憶しているのは母を介護し在宅で看取った末子の私だけだ。母と離れて暮らしていた兄姉の母への記憶は私より薄く乾いている。死者は誰かに記憶されることで生き続ける。だから、たとえ哀しみを伴っても、死者の記憶は大切にすべきだ。
悲嘆にも良いことがある。悲嘆に苦しむと、自分の病や死を素直に受け入れられるようになる。それは、絶望的な喪失感に晒されている内に、悟りや諦観を身につけるからかもしれない。遺された者の悲嘆は死を真剣に考えることから生まれる自然な感情で、その苦しみから人生にとって大切なことを学ぶことができる。
脳科学の東邦大学有田秀穂名誉教授によると、一度泣けば一晩眠ったのと同じだけ、ストレスを取る効果がある。関連して「涙活」と呼ばれる健康法がある。
週に一度、哀しいドラマなどを見て泣くと体調が良くなる。
デート前に泣いてから出かけると表情が優しくなってデートが巧く行く。
ラグビーや野球の試合前、選手たちが思い切り泣くとリラックスして実力が出せる。
重要な会議で緊張する人は、その前に思いっきり泣いておくと巧く行く。
だから、辛くて悲しい時は我慢せず思い切り泣くといい。

メーテルリンクの「青い鳥」夜の女王。
この戯曲は全編に、作者の死生観が強く反映している。
この作品は2017年に喫茶店で描いた。



