随分書いていなかった、りょうくんの経口摂取について。

以前記事を書いた時には、全然食べてくれないりょうくんに悪戦苦闘していた。
食べたくないならもういいや、とまで思っていた。(胃ろうもあるので)

それが今、もりもり食べている。
ミキサー食。


ここにたどり着くまでの経過を書くととても長くなるんだけど、私も経口が進まず悩んでいた1人なので、誰かの参考になればと思うので書き残します。




一昨年の秋頃(りょうくん4歳)
経口摂取はペースト食をほんの少し、食べるか食べないかだった頃。

それとは別に、胃ろうから入れていたミキサー食の注入の回数を増やした。

それまでも、お昼ご飯だけはペースト食を注入していたんだけど、その他は半固形ラコールの注入のみだった。(お昼以外に1日6回)

りょうくんの体重が増えてきたので、摂取カロリーを増やすことになり、朝食・夕食の注入の時間にみんなと同じご飯をペーストにして入れ始めた。
(朝・夕はペースト食(1回50gくらい)+半固形ラコール、お昼はペースト食、他の3回は半固形ラコールのみ)

初めは、ペーストもラコールと一緒のタイミングで、家族の食事の前にゴロ寝の体勢で入れていた。
それが、段々りょうくんがみんなと同じ食事の席に着きたがり(みんなが着席しているのに自分だけ寝かされていると怒るようになった。多分、弟のなっくん(当時1歳)がテーブルで食事し始めた頃だったと思う。)みんなが食事している脇で座位保持椅子に座らせて注入することに。

みんなと同じテーブルに着いて気分が乗るようになったりょうくん。

試しにスプーンであげてみたりする内に、少しずつペーストを口から食べることが増えていった。ほんとに少しずつ。行きつ戻りつで。

大さじ1くらい食べるようになったと思ったら、祖父母が遊びに来て緊張して食べれなくなったのをきっかけに、しばらくまた食べない期間が続いたり。

家で安定して食べるようになったのは、半年経った、去年の春か夏頃だったと思う。
それでも、外出先や帰省した時などは、環境の違いから、ペースト食を用意しても一切食べてくれなかった。



平行して。

昨年度は通園が午後までに延び(おととしは体力的なことから午前のみで帰宅していた)、それに伴って給食が始まった。

家では少し食べ始めていた頃だったので、給食もその調子でいけるかな…と思っていた。

実際、初めの頃は少しは食べてくれていた。

それが、お兄ちゃんのこうくんが夏休みに入り、りょうくんも1ヶ月くらい通園をお休みした後。その休み明けからなぜか「給食断固拒否!」になってしまった。

全然口を開けてくれないし、怒るし泣くし。

もうそれから本当に難儀で、STさんに相談したり、初めは食べていたんだからと、隙をみてご飯を口に突っ込んでみたり、こじ開けて入れてみたり。
色々したけど、りょうくんも泣くばかりで、無理矢理食べさせても良いこと無いだろうと最終的には胃ろうからの注入になり、ついに卒園まで、りょうくんが給食を口から食べることはなかった。

外出先では食べない、というのも続いていて、どうもりょうくんの中で拘りと言うか、決め事みたいなものがあって、食べることに関しては『家だけ』と決めてしまったようだった。


一方で、家での食事量は確実に増えていって、朝夕ともに子供用のお茶碗に半分強くらいは当たり前に食べていた。
外であまりに食べないので、園などでそれを言うと本当に驚かれるくらいだった。

本当にりょうくんの『気持ちの問題』で、でもそれをクリアすることが、経口摂取を進める上で1番大事、かつ難しいことだったように、今は思う。




ピジョン
「はじめてのフィーディングスプーン」
経口練習は
このスプーンで2~3口
から始まった



②につづく


りょうくん、本日退院。
無事に、呼吸器離脱しました。

とりあえず、昼も夜も付けないでOK。

・SPO2が低い
・陥没呼吸がある
・顔色が悪い

のいずれかを目安に呼吸器使用。

外来で経過をみて、必要なら採血でCO2の溜まり具合を調べたり、という話。

『目安』がやっぱり少しアバウトなところに不安も残るけど、、

とりあえず、やった~!



久しぶりの入院だったので、個室をとって24時間付き添い。

元気な子供と入院すると、暇潰しがまあ大変で。。

不安から、私がトイレに行く度大泣きだったりょうくん。

5日間、ほんとによく頑張った(私も…)



はじめは耳にチューブを入れる手術(滲出性中耳炎のごく簡単な手術だけど、暴れるので全身麻酔で)をして、その後2晩、呼吸器を外して様子をみて。




深夜…


SPO2の値、100!




そして今朝。

案外あっさり、OKが出た。

こんな日が来るなんて!

4年前、同じ病棟で退院目指して頑張ってた頃は、想像出来なかったなぁ。


感無量………


まあ、これで完全に呼吸器とさようなら出来る訳じゃないんだけど、少しづつ、少しづつ、離れていけるのかな。

呼吸器の離脱って、こういう感じなんだな。



これから就学までの半年余り。

呼吸器を使わなかった日を積み重ねて、すんなり通学出来るようになるといい。

もちろん、りょうくんの体調が最優先ではあるんだけど。



今日は、呼吸器の音も、酸素濃縮器の音もしない、数年ぶりの静かな夜。

子供たちの寝息だけが響いている。




りょうくんは今日から、呼吸器離脱に向けての入院をする。
1年くらい前から計画していて、ついにこの日が来たか、という感じ。

はじめは、就学に向けて『日中は呼吸器を外しても大丈夫』というお墨付きを貰う為の入院の予定だった。

だけど担当のお医者さん的には、『日中はおそらく大丈夫、それより夜間がどうか試したい』というつもりだったらしく、いよいよ入院という段になって『夜間も』ということになった。

つまり、OKが出れば『呼吸器は離脱』ということになる。



ただ、なんだか曖昧なところもあって、

「もし数字的に、夜間も離脱出来ることになったとしても、お母さんが不安だったら夜は付けても構わないですよ」

と言われている。

そんなものなんだろうか……


呼吸器を離脱する時って、お医者さんがきっちり慎重に、色んなことを考え合わせて決めるものだと思ってたんだけど。

付けるか付けないか、最終判断が私って。    
せめて「こういう時は付ける」という目安くらい欲しい…


就学の時も、「呼吸器を外してもOK」だけど「不安な時は付けていい」だと学校は困るみたい。何かしっかりした基準があって欲しい。
(私としては、夜間の離脱よりもこちらをメインに考えている)


最近は、日中呼吸器付けることはほぼ無くなってきているけれど、それでもゼロではない。
だけどSPO2が低い時以外は、はっきりした目安があって付けている訳ではない。

何となく苦しそう」「何となく本人も付けたそう」で付けて、しばらくしてりょうくんが「もういいや」とばかりに外したら「ああ、もういいのね」とそのままにしている。(←無理に付けようとしても付けてくれないので)母子分離の預け先でもそれは同様で。

りょうくんとしばらく付き合えば、その感覚は分かってくると思うんだけど、学校に通うにはそれでは困るとはっきり言われている。
                    
だからこの入院で、「付ける・付けない」のしっかりした、でも厳しすぎない(現状に合っている)基準を作って貰えるようお願いしている。数字で計れないことに基準を作るのは、難しいだろうなぁというのは分かっているけど…

就学、特に「訪問籍」なのか「通学籍」なのかに関しては、呼吸器の離脱具合が大きく関わってくるみたい。(うちの自治体の場合)
お医者さん任せだと、「離脱」とは名ばかりのふわっとした着地になってしまいそうな雰囲気なので、そこは私が頑張らなければ。


担当医も変わったばかりだし、不安もあるけれど…諸々うまくいきますように!






私のサンダルを履いて
ご満悦のりょうくん



りょうくんの療育園について、いつかちゃんと書こう書こうと思いながら2年経ち…

昨日、ついに卒園を迎えてしまった。



りょうくんは来年度は年長さん。

このタイミングで卒園なのは、通っていたのが「2年間」と期間が区切られている園だった為。
何歳から通っても良いので、みんな歳はバラバラだった。

病院併設の園で、
「福祉型」(知的障害の子達が在籍)3クラス「医療型」(歩行の獲得が目的)2クラス
という構成。
りょうくんは医療型でも、比較的重度の方のクラスに通っていた。





ボールボートしたり




ハロウィンで仮装したり
(くじ引きで衣装を引き当てて)




こむぎ粘土のお餅をついたり



思い出はたくさんあるけれど、りょうくんが1番好きなのは、毎回はじめに必ずある、歌と手遊びの時間だった。

初めの内は、りょうくんも今よりもっとぼんやりしていたし、訳も分からない子の手を取って手遊びしたりすることに、どれだけ意味があるのか正直半信半疑だった。

他のお友達はもっと達者だったし、りょうくんが何も出来ないのを再確認するようで、苦痛ですらあった。

だけど、毎回毎回のお決まりのこの時間が、泣いてばかりだったりょうくんを園に馴れさせてくれ、分からないだろうと思っていた手遊び歌は、砂に水が染みるようにゆっくりとりょうくんの中に染みていった。

そして1年を過ぎる頃からりょうくんは自分で手遊びの動作をやり始め、それを見た私は「意味の無いことなんて何も無い」ということを思い知ったのだった。

他のことも同様で。
やらされてる感満載でも、泣きながらやっていく内に、少しずつ少しずつ、出来ること・好きなことが増えていった。

本当に、園には感謝してもしきれない。
親子共々、ここで幅を広げて貰った。



そして卒園式。

りょうくんの同期は女の子1人だけだったんだけど、今年は歩けるようになったり来年度が就学だったりで、7人が卒園した。

コロナの影響はりょうくんの園でも例外ではなく、むしろ「病院併設」というところが災いして、

『先生方  対  親子1組づつ  』

完全入れ替え制、もちろん在園生の出席は無し、という、何とも淋しい卒園式になってしまった。

それでも、先生方から手話歌のプレゼントがあったり、休職中の看護師さんが会いに来てくれたり、何も無いよりはずっと良い、りょうくんの大切な記念の日になった。



りょうくんはご機嫌☆



それにしても、ここ1ヶ月は卒園に向けて、先生方への色紙の制作やら、在園生へのプレゼントの準備やらで大わらわ。

さらに先週末は、個人的に卒園生&在園生にプレゼントするお菓子を作ったり手紙を書いたり…



4種類、朝から焼きました…


卒園は淋しいけど、色々終わってようやく一息つけるな~というのも正直なところだったり。



来週からは、早くも来年度に切り替わる。

来年度のりょうくんの予定…

週3回    児童発達支援(母子分離)
週1回    訪問PT
月3回    通いでPT(卒園した園で)
月1回    特別支援学校の早期教育相談
月1回    ろう学校の早期教育相談

あとは、
なっくんの保育園に月2回くらい母子で遊びに行かせて貰う(年明けから2回ほどお試しで行っている)

これに、就学に向けての教育相談がたまに入る。もちろん通院もあるし、なかなか忙しい。

だけど母子分離の時間が週に3回もあるので(ここは昨年度から週1で行っていた施設)、今までやりたくても出来なかった、家のこと、りょうくんのこと、もっとバリバリやるつもり。


就学に向けての1年。

私もりょうくんも、
もっともっと成長出来ますように!




①から時間が経ってしまいましたが…
最近のりょうくんについて。


②呼吸のこと

りょうくん、いつからか、寝ている時以外は呼吸器をほぼ離脱している。

本人が嫌がって付けないので、お医者さんも「仕方がないね」と事後承認した形。
(1~2度外来で、血中のCO2が溜まっていないかは調べた)

お昼寝の時は呼吸器を付けるけど、最近は昼寝しない日も多くて、そうすると起きてから夜寝るまで、全く付けない日もある。
(朝夕の訪問看護師さんが来るときには付けるので、平日は朝夕1時間くらいは付けている)

それでも特に体調に変化がある訳ではないので、なんとな~くOKになっているのだ。



呼吸器と言っても、使う理由は人それぞれ。

りょうくんは気管・気管支に軟化症がある。
(息を吐くときに気道が潰れてしまう病気)

だから呼吸をするために、気管切開して、コイル入りの長くて丈夫なカニューレを入れて気管を内側から支え、呼吸器で圧をかけて気管支を広げる必要があった。(圧をかけるのは軟化症の治療目的でもある)



(画像お借りしました)

気管は相変わらず潰れが酷く、カニューレを抜くと1分も持たずに窒息しそうになるので、症状は良くなっていないよう。

だけど呼吸器を外していられるということは、気管支の方の軟化症はだいぶ改善されていると思われる。

(思われる、というのは、転院して気管切開して以来、軟化症の評価は1度もしていないので…)




来年度は就学相談の年になる。

通学籍になる為には日中だけでも呼吸器を離脱している必要がある。(住んでいる県の特別支援学校の場合)

就学に当たっては『何となくOK』ではやはりまずいようで、来年度になったら早々に、日中呼吸器を離脱出来るかどうかの検査入院をすることになりそう。

問題無くOKが出るといいんだけど。。




昨年度までの主治医が、「大人で気管軟化症の人はいない」 と言っていた。

つまり、大人になるまでには軟化症は治る、ということらしい。

ただ、「疾患によって、治らないこともある」とも付け加えていたので、りょうくんがどうなるのかは分からないけど。



軟化症が完治して、
呼吸器もカニューレも気管切開もいらなくなる

そんな日が、いつか来るのかな?
来るといいなぁ。


とりあえず今は、日中だけでも呼吸器を外して過ごせるようになった成長に、感謝!