就学についての話が途中ですが…



りょうくん、ピカピカの1年生!


学校生活が始まった。


先週が入学式。

昨日は初日で午前のみ。

私も医ケアの為に付き添い。


泣いてばかりのりょうくん…


他に泣いてる子なんていないよ~泣

て言うか、みんなすごい。

なんで玄関でママとすんなりバイバイ出来るんだろう……?


そして同じクラスの子達に、かなり衝撃を受けた。


みんな(気切の子も)お喋りしてる!


かなりしっかりしてる子も居て、平仮名読めたり、数を数えたり、『電車の名前たくさん言える』なんて話も…


あわわ。ついていけるかしら。


でも、なんとかコミュニケーション取れるようになってきたら、きっと楽しいし、たくさん刺激を貰えるよね。


とりあえずは付き添い外れるまで、

一緒に頑張ろうね、りょうくん!







入学式の日に。
大きくなったなぁ…涙



通学か、訪問か。

何年も前から、りょうくんみたいな子が特別支援学校に行く時には、それが問題になる、と言われていた。

通学したいとなると、特に呼吸器がネックになるよ、と。(今はほぼ離脱しているので、またちょっと違うけど)

県内で、呼吸器を付けた子が学校に通った例は、まだ数えるほどらしく。


現在、県内で呼吸器をつけて通っている生徒は、病院併設の特別支援学校に1人。(うちからは少し離れた市にあるので通うのは難しい)
小規模で、ドクターも居ることから、通学が可能になったという話。


りょうくんが籍を置くことになった特別支援学校にも、呼吸器をつけて通っている子がいた。

『ママの付き添いで学校に通っているよ』という話で、だから、通学するなら付き添いなのね…とだけ思っていた。

それが去年、そのママと会う機会があったのでご挨拶したところ

「もう通ってないのよ」
「ちょっと疲れちゃって…」

と聞いて愕然。

噂には聞いていたけど、遠くの市から毎日付き添いで通うことは、本当に色々負担だったようで。

それでも、視線入力で話す(文字が分かる!)その子が「学校に行きたい」と言うので続けてこれたらしい。

「疲れた」というのは、ママだけではなくて、その子も…ということだった。なんてやるせない話。。

今は、自宅の近くにある特別支援学校の訪問籍になっているらしい。穏やかに過ごせているなら、それはそれでいいのかもしれないけれど……


その頃まだ呼吸器を離脱していなかったりょうくんにとっては、頼もしい先輩だと思っていた子が、まさかの転校。


そして去年。
りょうくんの身近な呼吸器仲間が、就学問題で揉めに揉めた。

かなり重度で、少し呼吸器を外すのも大変なそのお友達。
今回りょうくんの行くことになった特別支援学校に、『付き添い無しの通学』を希望していたんだけど…

学校は『訪問籍』を譲らず。

結局その子が通うことになったのは、近所の市立小学校。(看護師さんの付き添いで、ママは送り迎えのみ!)

市内の小学校では、気切しているお子さんが看護師さん付きで学校に通う例が、既にあった。

そのやり方で何とかならないか、平行して市に相談していたのが、特別支援学校がいよいよ無理そうだとなって、本格的に動き出して…


普通の小学校は市の管轄。
特別支援学校は県の管轄。

県より市の方が進んでる、ということみたい。


 それでも、正式に通学が決まったのは、なんと3月末。

市はもともと、受け入れに否定的ではなかったらしいけど、いざ『こちらが本命』となると、あれやこれやあったらしく。

でも一旦決まると、学校にスロープを設置したり、迅速に動いてくれて、晴れて入学式を迎えられた。

看護師さんは家族が探さなければならなかったけど、決まって引き継ぎが済んだら、夏休み前にはママの付き添いがいらなくなった。

なんて素晴らしい!



それにしても、特別支援学校って、
支援が必要な子の為の学校じゃないのかなぁ…?

呼吸器や医療的ケアって命に関わるから、受け入れに慎重になるのは分かるけど。

特別支援学校こそ、積極的に『どうやったら受け入れ可能か』を考えて欲しいのに。
市立の学校に出来ることが、何で県立には出来ないんだろう…?


でもとにかく今、その子が地元の小学校に通い、お友達に囲まれて過ごせているようなので何より。ママから学校での素敵なエピソードを聞く度に、頑張って良かったね~と私も嬉しくなる。

そして、そのママが『市立なら通えるかも』と動くことが出来たのも、別の気切のお子さんの家族が『看護師さん付きで地元の小学校に』と頑張ったお陰なんだよね…と思ったり。

こうやって、もどかしいけど、みんなが少しずつ道を作っていくんだなぁ。

私とりょうくんにも、何か出来ることがあるといいなぁ…





……りょうくんの話に辿り着かなかったけど、長くなったので、またつづきます。





こうくんのランドセルを
背負うりょうくん
(なぜかじゃがいもを挟んでいる…笑)





もう3月後半だけど、昨年の話。


暮れも押し迫った頃。
学校から連絡があり、りょうくんの「通学」が決まった。

家から車で15分くらいの、特別支援学校。

正式に決まるまで、結構長かった…



りょうくんの場合(歩けない、医療的ケアあり、呼吸器持ち、知的に遅れている、難聴…)学校の選択肢は5つあった。

①今回決まった特別支援学校(肢体不自由)
②もう1つの小規模な特別支援学校(同上)
③病弱の子が通う、病院併設の特別支援学校
④普通の小学校の支援級
⑤ろう学校



動き始めたのは一昨年(年中さんの年)から。

まず①のオープンスクールに参加。

次に④も、小学校のオープンスクールの日に見学させて貰った。(お兄ちゃんのこうくんが通っている小学校なので、授業参観のついでに…といった感じ)

④は、たまたま市の中でも(教員数やクラス数が)充実した支援級だということだったので、良ければ前向きに考えてみようかと思っていた。

それが、行ってみると、

みんな歩いてるし、歌ってるし、何なら字も書けるみたい………!
ゴロゴロしてる子なんて1人も居ない。
そんなスペースも無い。

知的障害の子たちがメインだと(←それは何となく分かっていた)やっぱりこういう感じなのね…………

結果、ここじゃないな、と。


①の学校は、さすがに肢体不自由児向けの特別支援学校だけあって、「ここに通えば色々な面で成長が期待出来そう」と感じていた。

それもあって、④で6年を過ごすのは勿体無いよね、という結論に。(周りとレベルが違い過ぎて、ただ「みんなと楽しく過ごした」で終わりそう…)


何となく結果が分かっていたのに④に見学に行ったのは、支援級以外の普通級の子たちとの交流を期待していたから。

①の学校、やっている内容などはとっても良かったんだけど、生徒数が少ないのが引っ掛かっていて。
広い校内に生徒がポツポツ居る感じで『小学校らしい』にぎやかさに欠けると言うか、正直ちょっと淋しい感じで。(求めすぎ?)

だったんだけど、④の小学校の支援級、なんと建物が普通級とは別になっていて、軽く別世界。その棟の中に、小さいながらも体育館まである…!
失礼ながら、『隔離』という言葉が頭をよぎってしまった。

実際、もうすぐ3年生になるこうくんに話を聞いても、支援級の子たちと接する機会はほとんど無いらしく。
年間行事などは、運動会も遠足も、支援級だけ別日程で行う徹底ぶり。(これって最近は普通なの…?)

唯一期待していた面も、当てが外れてしまい、やっぱりりょうくんは特別支援学校だね、ということに落ち着いた。


①以外の特別支援学校については、

②は、ろう学校で長年勤めた先生がいるらしく、いいなぁという気持ちもあったんだけど、
・中学部までしかなく、高校は結局①に通うことになりそう
・家からの距離が①の倍以上ある
・人数がさらに少ない(手厚い反面、お友達からの刺激が少ない?)

ということで除外

③は
・りょうくんのような子はそもそも対象じゃなさそう(行けるよっていう人もいれば違うでしょって人もいるので、保健師さんに確認して貰ったらそういう話だった)
・病気ということを除くと、心身ともに普通の子が多そう
・人数が少ない上に、メンバーの入れ替わりが多くて落ち着かなさそう

ということでこれも除外

⑤のろう学校は、早期教育相談には通わせて貰っていたんだけど、りょうくんみたいな子の対応に慣れていない先生が多く(かなり気を遣ってはくれるんだけど、何をするにも怖々…という感じ)、付き添い無しで通うのは現実的ではなさそうなのと、コミュニケーション以外の面(例えばトイレトレとか)を伸ばして貰えるようにはあまり思えなかったのとで、割りと早々に除外。



結局、色々思いつく限りの学校を検討してみたんだけど、こちらの希望としては、もともと「ここだろう」と思っていた①の学校に落ち着いた。

その後、今年度の4月から始まった教育相談でも『①の特別支援学校が適している』という結論を頂いて、学校と直接「通学」なのか「訪問」なのかを話し合うことになった。(ここまでが昨年の秋頃までの話)


長くなったので続きます。




お祝い貰って
にっこりポーズ! 




時期は少し戻って、児童発達支援でおやつを食べ始めた頃。

通院の時に、病院でも食べないかな?という期待からプリンを買い、食べさせたところ、りょうくんペロっと完食した。

家ではおやつを食べるのは日常になっていたので、なんだかいつもの調子でうっかり食べた、という感じで。

一口目は『あ、しまった、食べちゃった』という顔をしたりょうくん。
気付かないフリをしてしれっと食べさせ続けたら、本人も『まぁいいか、おいしいし』と思ったのか、食べ続けた。

それからは、「これを逃したくない」という気持ちで、通院の時には毎回おやつをあげるようになった。


通院時におやつを安定して食べるようになった後、しばらくして、どうかな~と思いつつペースト食(お昼)をあげたら、これは普通に食べた。もう本当に、ちょっと拍子抜けするくらい、普通に。

りょうくんの中で作り上げていた『食事のハードル』のようなものが、少しずつ下がって来ているのを感じた。

そして7月の、呼吸器を外すお試し入院の時には、病院のペースト食も毎回食べてくれた。
りょうくんが気にして食べなくなるのが嫌で、努めて涼しい顔をしていたけど、心の中では大ガッツポーズ!!
ほんとに嬉しい出来事だった。



それからは家でも外でも『食べるりょうくん』が当たり前になった。

夏に家族で近場に1泊した時も、ホテルのご飯をペーストにして朝晩食べた。

外食する時も、持参したペースト食を普通に食べる。

公園ピクニックだって何だって、みんなと一緒にご飯を食べられるようになったのだ。

ペースト食を食べさせ続ける覚悟(大袈裟?)みたいなものが必要で、違う大変さはあるけれど、みんなでご飯ってやっぱり良いなぁと、毎回しみじみ思う。

まだまだ通過地点だというのは重々承知しているけど…




最近ついに、朝・夕のラコールを無くしてペースト食だけにすることにした。(ラコールを無くした分、ペーストの量を増やす)

3食ペースト、15時におやつ、あとは深夜23時に半固形ラコール100gという感じ。

これで食事のほぼ全量を口から食べることになる!深夜はパパが「お腹が空いて起きる」と言うのでまだ無くせないでいる)

本当はもっと早くこの形に出来たのかもしれないけれど、それだけの量のペースト食を作る踏ん切りがなかなかつかなくて。。


そしてさらに、少しずつモグモグの練習も始めている。

今のところは丸呑みなので、小さく切ったお豆腐などをそれとなくペーストに紛れ込ませて、少し口を動かさないと飲み込めないようにしたり。

この前は柔らかく煮た肉じゃがのニンジンも食べられたし、期待は膨らむ。

これからも(先は長いけど)りょうくんが嫌にならない程度に食べる練習をステップアップさせていけるといいなと思う。






本当にここまで長かった。
なるべく悩みすぎないようにしていたものの。

6歳にして、ようやくご飯を当たり前に、口から食べられるようになった。

ほんと長かった…………

1歳で気切した時に、経口摂取は「お楽しみ程度になると思います」とお医者さんに言われたのを思い出す。
まあその時はガッツリ呼吸器だったこともあるのかもしれないけれど。

あの時の先生に、声を大にして言いたい。




「もう、お楽しみ程度じゃないぞーーー!!」





ここまで、長文読んでくださりありがとうございました。

ペースト食作りの話も書きたいけれど、また長くなる予感がするので、別の機会に…




レック  kk-234
アンパンマンスプーン


食べる量も増え
今はなっくんのお下がりの
このスプーン




今年度になって。(りょうくん5歳、年長)

週3回通っていた療育園は卒園になり、別の児童発達支援の施設にやはり週3で通い始めたりょうくん。

その施設には、それまでも週1でお世話になっていて、そこでもやっぱりお弁当に持たせるミキサー食は口からは食べない、という話を聞いていた。



家では『食べるりょうくん』は当たり前になりつつあったので、何とか外でも食べるようになって欲しかった。

家以外では口から食べないとなると、外食した時など、家族の食事中はりょうくんは手持ち無沙汰になる。
そうすると早く帰ろうとグズグズし始めるので、私が一気に食事を済ませて外にりょうくんを連れ出したり、それをパパが交替したり、ゆっくり食事どころではなくなる。

そんな調子なので、特になっくんが生まれてからは、ほとんど外食はしなくなっていた。

他にも。

病院の外来がお昼にかかる時、ペースト食を持参して病院で食べさせようとしても、断固として拒否。

4月に一晩レスパイト入院した時には、初めの内は一応ペースト食を出して貰ったけどやっぱり拒否で、全量ラコールの注入になってしまった。

いつもは1日3回口から食べているのが病院では食べない、となると、何かで入院したらまた食べなくなってしまうのでは…と心配だったし、何よりりょうくん自身の楽しみが減ってしまう(家では喜んで食べていたので)ように思えた。



状況が動き始めたのは6月くらいから。

週3の児童発達支援以外に、月1~2回、同じ施設で土曜日にりょうくんを日中預かって頂いているんだけど、その時に『おやつのヨーグルトを食べました!』 という話を聞いてから。

土曜日はいつもより長い預り時間なので、おやつを持たせていたのだけど(胃ろうからも入れられるような)それを口からペロッと食べたらしく。

その次の土曜預りの時も『おやつのプリン10口食べました!』と聞いて、もしかして甘いものを突破口に出来るんじゃない?と思い、平日の預りの時も、お昼の前にまずおやつをあげて貰うことにした。



ちなみに、りょうくんにおやつをあげ始めたのは、確か去年の冬くらいから。

感染症の季節だし、ということで、なんとなく15時の注入時に半固形ラコールではなくR1ヨーグルトを入れるようになり、段々R1の培養が面倒になって市販の3連ヨーグルトやプリンを買い始め、それを口から食べるようになり…という流れだった。
ヨーグルトメーカーで培養したR1は酸っぱくて、口から食べさせる気になれなかったけど、プリンとかならおいしいし…みたいな調子で食べさせ始めたように思う。

りょうくんもおやつは食べも良くて、やっぱり子供だな~なんて微笑ましかった。




話を戻して。

平日おやつ作戦は、初めの内はうまくいかず。

記録を見返すと

6月13日()  プリン10口食べました!

の後、

17日(水)  ゼリー、口につけるだけ
19日(金)  ヨーグルト、1口なめただけ
20日()  おやつ、全量食べました!
24日(水)  プリン、食べませんでした
26日(金)  ヨーグルト、味見せず
30日(火)  プリン、完食!
↑30日の記述『初めはイヤ~だったのですが、急にスイッチが入り食べちゃいました』

こんな感じで『土曜は食べるけど平日は食べない』という日が半月続いた後、ついに平日も、おやつは口から食べるようになった。

この後、おやつは食べるけどご飯は注入、という日が続き、

7月7日(火)  カレー、スプーン8杯

で、初めてご飯も経口で食べるも、その後しばらくはおやつだけの日が続き、

7月22日(水)  カレー、全量お口から摂取!

この日から突然、普通に口から食べるようになったのだった。
(③で書きますが『入院中に病院食を食べた』という出来事の後だったからかも)




余談だけど、児童発達支援のスタッフさんにも、りょうくんとの相性みたいなものがあるようで、「◯◯さんが担当だとよく食べるんですよ~」ということが食べ始めの頃にはよくあった。
他の人とどう違うのか具体的には知らないけれど、やっぱり人と人とのことだから、そういうこともあるらしい。
その人は『りょうくんを乗せるのがうまい』らしく(褒め上手という噂)、最近ではスプーンを持って自分で食べるように促してくれたり、色々頑張って進めて下さっている。ありがたい。




岡部洋食器製作所
「口あたりやさしいスプーン(ミニ)」


一口の量が増えてきた頃
摂食外来の先生の薦めで使っていた




③につづく