うえまさのニッキ

南米ペルーに「マチュ・ピチュ」という世界遺産にもなっている遺跡がある。丁度山の頂に作られており、不便なこの土地にもかかわらず、石を精巧に加工して積み上げてられている。遺跡の規模はこの土地の形状を考えるとかなり大きいもので、このような遺跡を作るのにはかなりの労働力が必要とされたに違いない。何故、この様な所につくられたのか・・・。


今ではインカ帝国の王族や貴族の避暑地や田舎の別荘の様なものであったと言われている。住人は2000人規模とか言われてきたが、最近の学説では750人くらいの人が生活していたらしい。また、インカの神は太陽神であったため、太陽崇拝をするにはより太陽に近い山の頂が儀礼所として最適だったとも言われている。太陽を観測した神殿や、死んだ王を祀ったであろう祠の跡なども見つかっている。


だが、当時のインカ帝国の首都「クスコ」は標高が3000mを超える地で、それ程暑いところではないようだし、高さで言えばクスコの方が太陽に近い。単純に避暑地や別荘を建てたとは思えない。


今のように娯楽が無い昔、古代の人々の楽しみは何であったか?問題を矮小化する様で気が引けるが、日本では江戸時代「お伊勢参り」が娯楽でもあったと言う。旅行としての娯楽である。マチュ・ピチュの場所はクスコから電車で3時間かかる場所にあって、しかも山麓からでも歩けない距離でない。なんとなくインカ人のマチュ・ピチュ巡礼が、当時の娯楽の一つではなかったのかという思いがするのである。