石井十次と言う人物を御存知だろうか?日本で最初に孤児院を作った人である。明治の時代、まだ日本は貧しくて社会福祉と言う概念の無かった頃の話であるから、その先駆的な活動は、当初は理解者も少なく大変だったようだ。
当時日本で最大の孤児院が岡山にあったとは、今の今まで知らなかった。その記念館が岡山のホテルオークラ岡山(旧岡山国際ホテル)から少し上がった所にある。記念館といっても展示物があるわけではないが、当時の寄宿舎を再現してある。
石井十次氏は宮崎の出身で、最終的には孤児院を岡山から宮崎県の茶臼原と言う所に移設する。そして岡山からは完全に撤退してしまうのである。
岡山ゆかりと言えば、石井十次と大原孫三郎、児島虎次郎とは密接なつながりがある。大原孫三郎はいわずと知れた、クラボウの社長で、大原美術館、倉敷中央病院、倉敷商業高校などを設立した人でもある。彼が大金持ちのボンボンの故か、大学にもろくに行かず放蕩してしていた頃がある。親から謹慎をくらって郷里岡山に帰ってた時、石井十次と出会うことになる。そして十次に感銘を受けそれまでの放蕩を悔い改めるのである。十次に奥さんを紹介してもらったり、十次の娘の媒酌人を務める等親交は続き、後には十次の事業のよき理解者として、多くの出資に協力することになる。児島虎次郎は先の大原孫三郎の媒酌で、十次の長女、友と結婚をする。つまり、虎次郎にとっては石井十次は岳父にあたる。
十次の人となりを知る興味深いエピソードがある・・・。
「十次が7歳の頃、天神様の秋祭りの日のことである。人々はこの日とばかり晴れ着を着込んで出かけていく。母は十次に、木綿の着物に新しい手織りつむぎの帯をしめさせて参詣させた。
ところが、祭りから帰ってきた十次は、つむぎの帯のかわりに、きたならしい縄の帯をしめていた。不審に思って母がたずねると、友だちの松ちゃんが、きたない着物に縄の帯をしていたのをみんなからからかわれていたので、自分の帯と取り替えてやった。と事の次第を話したところ、母は、「それはよいことをしてあげた。」とほめた。」
この逸話がそのまま現代に当てはまるとは思えないが、如何に教育と言うのが大事かと云う事が分かる。十次はこの母の教えがあったからこそ、自らを犠牲にしてまでも「困っている人を助ける」、その純粋な気持を持ち続けたのであろう。
最後に、彼の生き様は知れば知るほど多くの人に感銘を与え、現在もその精神は受け継がれており、石井記念友愛社 (宮崎県 )と石井記念愛染園 (大阪府 )が各種の福祉活動を行っている。岡山県の人があまり十次の事を知らないのは、岡山にそういった施設が現存せず、最終的には彼自身も宮崎に行ってしまったからなのかもしれない。
今回、案内、説明をしてくださった、岡山石井十次顕彰会設立準備会の中村さんには感謝いたします。



