続日本100名城を巡る旅も今回を含めあと3回となりましたラストスパート頑張ります💨
まずは津城🏯
津駅が近いのかなと思っていたのですが、津新町駅の方が近いです。徒歩15分程で到着🚶♀️
西の丸角櫓(玉櫓)台がまずは見えてきましたよ。
西の丸は低い石垣となっており、かつてはこの上に土塀が張り巡らされてました。石垣下部の犬走は近年のものとなっております。
慶長16年藤堂高虎は津城の改築に取り掛かり、そのひとつとして本丸の北と東を拡張し、石垣を高く積み上げました。
先程の西の丸の石垣より高いです。
手前にあるのが戌亥三重櫓台の石垣
反りのない直線的な高石垣は藤堂高虎の特徴ですよね〜
戌亥三重櫓のから石垣が奥に続いていますが、その先には丑寅三重櫓があり、北多門櫓で連結されていました。
西の丸二階門跡の虎口
文政3年に第十代藩主藤堂高兌は藩士やその子弟を教育するための藩校として有造館を建て、その講堂の正門がこの入徳門でした。
昭和46年に西の丸のこの場所に移築されました。
西の丸内は今日本庭園?になっておりますが、かつては武器庫などがありました。
西の丸から本丸へ移動💨
左手には戌亥三重櫓台
戌亥三重櫓の内側
津藩の漢学者である土井聱牙の詩句
40歳の時に「書生に示す」という題でつくられたもので、彼の教育方針の一つである読書について、精神を集中して多くの書を読む事が大切である事を述べています。
昭和33年にかつての多聞櫓の跡に建てられた模擬櫓で、位置、意匠も忠実とは異なります。
藤堂高虎像
埋門
天守台
織田信長の弟、信包により5層の天守が建てられたが、関ヶ原の戦いの被害でその後再建されなかったと言われています。
スタンプを頂きに高山神社へ⛩
東京高虎を祭神とし、明治10年に現在の津偕楽公園に建立されたが、明治34年に津城跡に移されました。
スタンプ無事getです✨