次は小牧にやって参りました!
こまき巡回バスで大手口らへんには行けるようだが、徒歩20分で行けるとのことなので、また歩く🚶‍♀️
駅からまっすぐなので、迷わずに行けそうウインク


近づいていくと山上に天守が見えるポーン
え、また山⛰!?私は勝手に少しだけ小高い所にあるんだろうなーとイメージしてたので、こんな山上にあるなんて思って無かった。いや、本当に勝手にイメージしてただけなんですけどねニヒヒもはや願望w
山城に登りまくってて、もうヘトヘトだったので💦
小牧山は本当に公園って感じで、多くの子供連れが
芝生で楽しそうに遊んでおりましたウインク
スタンプがある歴史館への道が整備工事中で、結構山の周りをぐるっと回る羽目に滝汗
後々調べて搦手道から歴史館へ向かってた事がわかりました。これがその搦手道。
大手口から山頂に伸びる大手道があって、それが
後に築かれる安土城跡にも見られて、信長の城の特徴になっている訳だが、帰りもその大手道を通らず帰ってしまった私チーンチーンチーンあほやー
行き方以外何も調べずにいって、現地でパンフレットを貰って帰ってからブログを書きながら色々勉強する
スタイルでやってきたけど、やっぱり先に色々調べておかないと見どころを見逃したりしちゃいますよねニヒヒ
信長の城を移った順番が日本城郭検定準一級の過去問に出てきてましたねキョロキョロ
小牧山城は小牧・長久手の合戦で徳川家康の本陣となった事で知られてますが、そこから21年前に織田信長が初めて自らの手で築いた城(これもテストに出た)で、岐阜に移るまで、4年間居城していました。
岐阜城は改修なので、一から築いたのは、小牧山城→安土城という訳で、小牧山城築城時のノウハウを安土城に生かしてるんですね。
小牧・長久手の戦いの後に家康と織田信雄の群勢が、信長の城跡に大規模な改修を行なっています。
山頂付近に来ると裏込石があったりー
転落石があったりー
信長時代の石垣が残ってたりしまーすウインク
こちらがスタンプがある小牧市歴史館です🏯
中で小牧・長久手の戦いのビデオを鑑賞しました真顔
そして中には徳川、織田、豊臣の家紋をバックに写真が撮れる撮影コーナーが謎にありますw
誰も撮ってくれる人が居ないので自撮り🤳
(初日にコンタクトを風呂で失くすというハプニングで、今回の旅はずっと眼鏡ですニヒヒ
徳川義親の銅像がありました。
尾張徳川家第19代当主で、江戸時代に一般の入山が禁止され、尾張家が管理していた小牧山を、小牧町(当時)に寄付してくれた方だそうです。
ものすごい土塁が現れた!と思ったら、家康時代に作られた土塁の復元だそうです。
小牧山城史跡情報館のれきしるこまきです。
小牧山城は発掘調査に力を入れてるなーという印象。山頂には何らかの建物があったと考えられてますが、どのようなものだったかは分かっていないようです。瓦がまだ出土していないので、瓦葺の建物ではなかったと考えられてます。
今回この展示をみて、発掘調査って面白いなーと思いました。こうやって発掘したものから色々導き出してるんですねー
2011年の第3発掘調査で確認され、佐久間と判読された墨書き石垣。
信長の有能な家臣を評した「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間」の佐久間こと、重臣の佐久間信盛ですねニコ
こういうの探す発掘調査楽しそうだなー
信長の屋敷跡があったとされる所。
普通の公園みたいになっちゃっていますがニヒヒ
この日はまだ続きがありますニヒヒ