今回は”お金”について書いてみようと思います。

 

 

昨日、テレビで、”街中のお金持ちに声をかけまくって職業と年収を聞く”ってのをやってたんです。

 

高級車や高級バッグを「安くて恥ずかしいわ」とか言いながら見せていた人々を見て、僕は何となく違和感を感じたんです。

 

とある福祉関連の学校のトップだという女性は、いかにも高そうなスーツを着て、手指に大きな指輪をいくつもはめ、高級外車をこれみよがしにカメラの前で披露していたんです。

 

福祉関連の仕事に従事している人は本当に低賃金で大変な毎日を過ごされている方が大勢います。

 

そのギャップに、僕は、少なからず憤りのようなものを感じました。

 

 

でも、僕は、お金がある人がそれをどう使うかは、基本的にはその人の自由だと思っています。

 

それが資本主義だし、僕自身も共産主義よりは資本主義の方が好きですから。

 

 

日本は、他の資本主義国とはちょっと事情が違ってて、半分共産主義のような考えもあるので、上記のようなお金持ちはどちらかというと批判的な眼差しを向けられやすいんですよね。

 

子供手当の所得制限なんか、よく議論が巻き起こっていますよね。

 

でも、そっちの話は本筋から逸れるので深入りはしません。

 

 

今回言いたいことは、冒頭に挙げたような人たちのお金の使い方は、僕が理想とするお金の使い方とは真逆なんだということです。

 

僕自身、起業を考えている身なので上昇志向は強い方だと思いますし、正直今よりもっと収入を増やしたいとは思っています。

 

問題はそのお金をどう使うかなんですよね。

 

 

僕は以前からミニマリズム(最小限主義と訳されるらしい)に強い憧れを抱いていて、自分にとって必要最低限のものだけを所有して生きていきたいと思っています。

 

うつ病で死の一歩手前まで行ったことで、”自分にとって本当に必要なものって何だろう”といつも考えるようになりました。

 

 

究極的には、最低限の衣食住があれば人は生きていけるんですよね。

 

 

昔の僕は、物を沢山所有することを渇望していました。

 

庭付き一軒家に、外車2台くらい所有して、ガレージには趣味の道具を色々揃えて…。

 

分かりやすくて単純な発想ですよね。

 

 

でも、その気になれば、何も持っていなくても、道端の花を愛でて、移りゆく空の表情を眺めてるだけでも十分幸せな気持ちになれるんです。

 

一度でも本気で死を考えた人は分かると思うんですけど、死ぬときって自分の体一つなんですよね。

 

それ以外は何にもない。

 

だから、自分という存在とそれ以外が完全に切り離されるんです。

 

某カリスマホストの言葉を借りれば、まさに「俺か、俺以外か」の話なんですよ。笑

 

 

僕が、人生で大切にしているのは、「家族」「職業人としての自分の使命」「自分の心の満足感」「自分や家族の健康」なんですよね。

 

 

だから、僕がお金を惜しまないのは、

 

・自分や家族が口に入れるもの、つまり食べ物

 

・自分の世界を広げ、計り知れない満足感を与えてくれる旅行

 

・親しい友人たちと楽しい時間を過ごすための費用。または彼らへの贈り物

 

・ベッドや椅子などの家具、身につける衣服・靴など、体の健康に直結するもの

 

くらいなんです。

 

 

冒頭に挙げたような、高級車、高価なアクセサリーや服なんかは、「他人への見栄」以外に必要性を見出せないんです。

 

(車に関しては、男なので魅力は分かります。笑)

 

 

ボードリヤールが言ってた「記号消費社会」に生きる人たちのお金の使い方は、僕個人のポリシーに反するんです。

 

僕は「記号(=例えばブランドなど)」には一銭も払いたくないんです。

 

 

本当に、必要なものにだけお金を投資したいんです。

 

でも、それは全て個人の自由なので、他の人の消費行動についてとやかく言うつもりはありません。

 

もし、お気を悪くされた方がいたら、ごめんなさい。

 

自分のお金についての考え方を明示的に説明したくて例を出しただけなんです。

 

 

今の僕にはまだまだ時間的・経済的な余裕がなくて、夫として・父として十分な働きが出来ていませんし、作業療法士としてもっと社会貢献ができるはずだと考えています。

 

その為に、本業も起業も頑張って、お金を増やしたいです。

 

 

だいぶ、伝わりにくい書き方になってしまいましたが、僕のお金に対する考え方はこんなところです。

 

(※具体的にどうやって資産を運用しているかの話もいつか出来たらいいなと思っています)






★ランニングはお金をかけずにできる最高の趣味です。