こんばんは、ほのかです。
5歳の娘が自閉症、重度知的障害と診断されております。
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コメントの返信ができていず申し訳ございません💦
来年には6歳になる娘。
今更感は否めませんが、最近お家でABAという療育をちょっとずつやっています。
先週は娘も先生も疲れ気味ということで、先生からのABAはなし。
そして今週は先生がお忙しいのでなし。
自分だけでやっていると……やはりうまく行きません

始めた当初の方がずっと素直に椅子に座っていたのに今は拒否

非常に疲れます

先生が貸してくださった『わが子よ、声を聞かせて〜自閉症と闘った母と子』という本をもうすぐ読み終わりますが、何となく気が滅入ってきてました

1歳半くらいで娘さんの障がいを疑い出し、2歳前で診断され、そこからABAを自宅でやってくれる方と言語療法をやってくれる方を探し出し、抱擁療法というものと併用しながら、母である筆者も全てのものを投げ出して娘さんに向き合って障がいを克服しようとするお話しなんですよ。
その甲斐あって娘さんは『自閉症だと認められない』というレベルにいくのです。
知的にも全然問題ないレベルに。
しかも後に産まれてきた息子さんも自閉症と診断されたのですが、そちらも治ったと呼べるレベルにまでなります。
これを読むと「娘がもっと幼かった時、一体私は何をしていたのだろう……」と自己嫌悪になっちゃいます

でも冷静に考えてみると、娘は赤ちゃんの時から寝ない子で、私は常に睡眠不足。
癇癪もすごく長時間泣き続けることなんてざらで、この著者のようにお手伝いさんがいる訳でも長時間療育に従事してくれる療育者を探せた訳でもなく、とにかく日々を生きるだけで必死でした。
ですから、過去の自分のことも出来れば認めてあげたい。
でもこのような実話を読むと「もし私があの時……」とか。「ここまで重度になったのは私がきちんと向き合わなかったからでは?」と思ってしまうことも事実。
過去のことを考えても無駄。
今できることをするしかないーー
そう思って今、頑張って娘を少しでも変えようとしています……。
でもそれは娘にとってストレスなんでしょう。
まぁ上手くいかなくて今日は泣かれてしまいました

凹みます

ちょっと肩の力を抜こう。
私は別に娘が幸せでニコニコしていられるなら、障がいが重くても良いのではないかと、語弊があるかも知れないですが、そう思っているのです。
筆者の激しい『自閉症への嫌悪感』『自分の子供を沼から引っ張り上げる』というような強烈な感情表現に引っ張られ、自閉症自体が悪そのものであると言う考えに染まってしまいそうで怖いです

自閉症は恐らく確実に生きづらさを生じさせるものではある、とは思います。
娘を見ていても『辛いこと』『疲れること』がどれ程多いことかと愕然としますから。
けれどもそれと不幸とはイコールでないのです。
お家にいる娘は満たされ、幸せそうな時間がほとんどなので、そのように思います。
例え癇癪を起こして泣き喚いても、抱きしめてくれる大人がいて、好きな物を食べて好きな物に囲まれて、安心しきった顔でいるこの子が幸せでない訳はない。
そう思えるので、とりあえず辛いことは少しでも軽減できるように、そして本人の自己肯定感が育まれるように、できることを少しでも増やしてあげられたらーー
そんな風に思って深呼吸。
どうも私は本に影響されやすすぎるので、自分の考えの原点に戻ってみました。
考えを整理するために書いたこの文章は支離滅裂かも知れません。
ここまで読んでいただき、感謝いたします

皆様もどうぞ無理することなく、穏やか日をお過ごしになりますように

いつもありがとうございます
