こんばんは、ほのかです。


3歳の娘が自閉症、重度知的障害と診断されております。


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突然ですがうちの両親は不仲です。
同じ屋根の下にいるのに顔を合わせれば喧嘩ばかり。
いつも喧嘩している印象です。
見ている方も疲れます。

幼い頃の母は優しく穏やかだった記憶が。
今はすっかり強くなりました。
随分と長いこと父に虐げられてきましたから、その恨みが父の退職後に吹き出してしまっている感じです。

幼い頃は母を殴ろうとする父の間に割って入って泣いて止めていました。
母がお出かけして帰宅が遅いと「もうお家には帰ってこないのではないか……」と不安になりずっと玄関で待ち続けたこともあります。

昔の離婚は今よりも敷居が高かったのでしょう。

「子供たちがいるから離婚できない……」と母に言われ、すごく苦しかったのに「離婚して良いんだよ」と子どもの私は言えませんでした。

父も歳をとり物忘れが多くなりました。

何かにつけて母がそれを馬鹿にするように。
「嫌いだ。馬鹿だ」と本人の目の前で言うので当然喧嘩になります。

こんなに激昂するタイプではなかったと思うのですが……日々のストレスもあるのでしょう。

小学生の喧嘩の方がマシだと思う時さえあります。

でも母は感情を抑えられない様子。

父の今までしてきたことを思えば当然なのかな……とも思いますが、やはりやめて欲しいです。

父は私と兄が子供の頃、子供の世話を一切せず、お休みの日は釣りだゴルフだと遊びまくっておりました。
兄は生まれつき持病があり、赤ちゃんの頃から何度も手術をしたのですが、病院に連れて行くのはいつも母だけ。

こんな父との思い出があります。
久しぶりに車でどこか連れて行ってもらえると思ったら、営業先の自宅付近の駐車場で「お前は車で待っていろ」と言われました。
いつまでも帰ってこないことに不安になった私は泣きながら父を探しました。どこに行ったのかさえ教えてもらっていなかったのです。
その日は珍しく1人で父について行ったのですが、そのことを心底後悔しました。
優しいご婦人がお家に保護して下さり、当時幼かった私は自宅の電話番号を覚えていたのでそのお家から母に電話した覚えがあります。

まぁそんな父でしたので私と兄は一切懐きませんでした。

でも父のおかげで衣食住に困らず、大学まで出させてもらいました。
働き出してからお金を稼ぐことの大変さを知り、父に感謝をするようになりました。
未だに反発することもありますが、やはり世界に1人の大切な私の父です。

母のことはずっと、きっと産まれた時から一貫して大好きです。
いろいろ言われても大切で大事な存在です。
私の娘のことも心から可愛がり愛してくれています。

こんな2人。
穏やかに暮らして欲しいですが、中々難しい様子でお話を聞く度に心に澱のようなものが溜まっていく気がします。
どちらの味方もできませんし、辛いです。

女性は昔のことをよーーーく覚えていて根にもつ方が多いですからね。
男性諸君、ご老人になった時に痛いしっぺ返しをくわないようにどうぞお気をつけください。
いやいや逆もまた然り。
ということで私も気をつけます!


「お別れホスピタル」という漫画があるのですが↓
(以下ネタバレがあります)
死の間際に自分が一番頼りにしていた妻から「ずっーーと、あなたのこと大嫌いだったの」と言われてしまう旦那さんがいて、それを読んだ時「怖すぎる!! なぜ今なの?! もっと早く、旦那さんが元気な時に言えなかったの?」と鳥肌が立ちましたが、このドラマを観た母の感想は「あそこが面白かったじゃない」とのことでした。

ーー皆様どうですか?
いくら嫌いでもできるだけ苦しまずに逝って欲しいと思うんじゃないかな、と思った私は甘々なのか……。

それとも本当に嫌いな人がまだいないだけなのか。

生死を彷徨っている時にそんなことは言われたくないな、気をつけなきゃなと思うのでした。

いろいろ脱線してすみません。
赤裸々に語らせていただきました。

とにかく大人の憎悪は聞いても見ても苦しい。

プラス祖母の狂ったような電話もあるので疲れます。

「はぁ〜……」と面と向かって言えない想いをため息にのせて娘を見ると、心からホッとします。

娘がいてくれて良かった。
今日も心から愛しています!

皆様今日もお疲れ様です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!