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キキは1918年ある画家と所帯を持った。
1920年代モンパルナス大通りとラスパイユ大通りが交差するあたりにエコール・ド・パリと呼ばれる若い芸術家たちが集まっていた。エコール・ド・パリは(パリ派)の意味で20世紀前半各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集いボヘミアン的な生活をしていた画家達の総称だ。
1920年代を中心にパリで活動し、出身国も画風も様々である。
主たる作家はルソー、ブラマンク、ドラン、ユトリロ、モディリアーニ、パスキン、シャガール、キスリング、スーチン、フジタ、クレメーニュ、キコイーヌ等。
1921年キキはキスリングにモデルとして雇われる。
モイーズ・キスリングは現ポーランド領クラクフから1910年にパリに出てきた画家であり、ピカソ、ブラック、フジタ、モディリアーニ他多数と交わりがありドランとは特に親交が深かった。また、ジャン・コクトーらの詩人とも交流し「モンパルナスのプリンス」とうたわれる社交界の花形。そんな彼が持ち前の美しさと妖艶さとで「洗濯船」に集まる芸術家を虜にし「モンパルナスの女王」と称される程の人気モデル、キキをモデルとし100枚以上の肖像を描いた。
キキはキスリングに会いモデルの仕事をもらったことから、画家達の注目を集めることになる。
そして、キキを更に有名にしたのは藤田嗣治だった。

続く…