
「モンパルナスの女王」「モンパルナスのキキ」と呼ばれた女性がいた。
芸術家達に愛され、彼らの創造を引き出す泉、芸術のミューズでもあった女性。
本名はアリス・プラン(1901.10.2-1953.3.23)フランスのブルゴーニュ生まれ。キキとはギリシャ語でアリスの愛称であり後に出会ったロシア人画家がつけた。
彼女の父は妻帯者で彼女が産まれても認知せず母は祖母に彼女を預けてパリに出稼ぎにいった。
祖母の元にはキキの他に5人の孫娘がいたが皆私生児だった。
12歳の時パリの母に引き取られ読み勘定が出来るようになった13ぐらいから働きにだされたが、どこの職場も長続きせず困っているキキを見たある彫刻家がアトリエでモデルにならないかと誘われ、裸になったら5フランがもらえた。
それ以来モデルになって金を稼いだ。
その日暮し、その日の宿と食事を与えてくれるなら、どんな男の後でもついていった。
そんな生活の中でリトアニアからパリに出てきた画家のスーチンと出会う。
体だけを求めてきた男達と違ってスーチンは彼女を人間として扱ってくれた。
1910年代観光地化したモンマルトルから新興地区のモンパルナスに芸術家たちが集った。第一次世界大戦中、キキはパリの画家や彫刻家の住居を転々と渡り歩きながら過ごす。
いつしか彼女は「モンパルナスの女王」「モンパルナスのキキ」と呼ばれるようになった。
続く…