母性本能と言われるものが、先天的なものだとは思えない。

なんだか、女性が子育てするのが当たり前の意識をすり込む意図があるように感じる。

その方が男性社会では都合が良いから。

こんな事を書くとフェミニストと思われそうだが、そうでもない(笑)

女性には女性にしかない魅力があり、その魅力は最大限発揮すべきだと思うし、何も男性と張り合う必要はないと思ってる。

互いに全く異質の性で体や脳の仕組みも違うのだから、足りない部分を補い合えばいいのだと思う。

何故、こんな話を書いているかというと先日観た映画「愛を乞う人」に触発されて、心の奥底にくすぶっていた思いが浮き上がってきたから。


映画は、幼い頃母親から凄まじい虐待を受け育った主人公の女性が、幼くして生き別れになった台湾人の父親のお骨を高校生になった娘と探す旅に出て、

封印していた鬼のように凄惨な虐待をした母親の記憶を辿るようなストーリーだった。


高校生の娘を持った大人になった主人公と、娘を憎悪を込めて虐待した母親とを原田美枝子さんが一人二役演じている。

時代は戦後まだ10年ぐらいしか経っていないまだまだ貧しい日本。

映画の出だしが土砂降りの雨の中、幼い主人公を連れて温厚な台湾人の父親が歩いていく後ろで、

派手なワンピースを着た母親らしき女が罵声を浴びせている所から始まる。

妻の娘への虐待があまりに酷い為、娘と二人台湾へと帰る父親。

だが、父親は結核で幼い娘を残して亡くなってしまう。

父親の親友に一時預けられたが、家計が逼迫している中育てきれず孤児院に預けられる少女。

そこに、母親が引き取りにきたが、母親には既に別の男とその男との間に出来た異父弟がいた。

そこから、地獄のような母親からの凄まじい虐待の日々が続く。


高校を卒業し、弟の助けを借りてようやく母親から逃げおせた主人公。

映画では描かれていないが、ずっと母親の記憶を意識の奥底に封印していたのだろう。


父親のお骨探しの旅の間、母親との記憶が回想される。

封印していた扉を開いて少しずつ鮮明に蘇る記憶。

その記憶の母親は、何故そこまで執拗に娘を虐待するのだろうと思わされるぐらい、娘を蹴り殴る。

夏祭りに友達に誘われ、母親に恐る恐るお小遣いをねだる少女。

その手の平に母親は火のついた煙草を押しつける。

熱がり悲鳴をあげて床に倒れこむ少女を母親は執拗にベルトで殴り続ける。

2番目の男とも別れ、この時は3番目の気弱な男のもとに母子3人転がり込んでいた。

内縁の男はおろおろするだけで助けの手は伸ばさない。


目を覆いたくなる程あまりに酷い虐待に、憤りとどうしてこんな事をという思いが沸き立つ。

虐待を受けた少女も、ずっと「どうして、私のお母さんは私を殴るのか…かわいがってくれないのか…」と思い続けて育ったことだろう。

だが、映画が進むにつれ母親もまた酷い育ち方をした事が匂わせられる。

母親もまた、愛されない子供だったのだろう…

冒頭の土砂降りの雨のシーンが後半でも登場し、「台湾でもどこでもいきやがれ~!ばかやろー!くたばっちまえ~!」と罵声を浴びせていた母親が、

振り返りもせず去ってゆく夫に向かって「あんたがいなくなったら、どうすればいいんだよ…怖いよ…見捨てないでよ…」とまるで幼い子供のように泣き叫ぶのだ。


そこに、母親の心の奥底にある傷が見えたような気がした。

求めても、求めても与えられない愛…

母親に虐待され続けた主人公もそうだが、母親も愛を乞う人だったのだろう…。

この世に生まれ出たばかりの赤ちゃんは、まっさらの白紙のキャンバスで、まだ愛も憎しみも知らない状態だろう。

そこから、愛されて人としての様々な感情を学んでいく。

溢れんばかりの愛に満たされれば、人を愛するのも容易なんではないだろうか。

しかし、暴力しか与えられなかったとしたら他人の愛し方も愛がどういうものなのかも分からず、暴力をふるってしまうのかもしれない…


虐待を受けた親は我が子をも虐待してしまう負の連鎖を聞くが、暴力しか学んでいなければ、いくら我が子といえども我が子だからこそ憎悪してしまうのではないか…


人は愛も暴力も学ぶのだと思う。

そして、人という存在自体が愛を乞う者なのだろうとも思った。

心に渇きを覚えて、高価で贅沢な物を手に入れても喜びは一時だけだった。

私自身も愛に渇望する人間だったのだ。


だから、愛したくても愛せない、逆に憎悪してしまうどうしようもない気持ちが自身と重なって胸がヒリヒリした…


今は、昔よりはマシになったが…(笑)


映画として、傑作とまでは言わないものの、心に訴えかけるものは感じた。

多分原作の小説を読んだ方がより理解しやすいのかもしれないのかな。

原田美枝子さんの演技は凄いと思った。母親と娘の静と動を見事に演じ分けていたと思う。

今でも、しつけと称して暴力を振るわれている子供達が数多くいるのだろう…

報道される子供達の虐待等は氷山の一角だと思える。水面下ではより拡がって複雑化しているのではないか…


隣近所との人間関係が希薄な現代だからこそ、周囲の大人達が子供達の異変に敏感であらねばならないと感じる。

世界中の子供達の心の器が愛で満たされ、笑顔の花が咲く事を祈って…


まゆみ