創世記、神は人間を創造された。

アダムとイブ。イブはアダムのあばら骨から造られた。

世界最初の人類。二人は神から与えられた楽園に住んでいた。

その楽園のルールは禁断の果実を口にしない事。

二人は神との約束を守って幸せに暮らしていた。

そこに、蛇からの誘惑が。

二人は、蛇の誘惑に乗って神が禁じた果実を口にした。

とたん、二人は互いが裸である事に気づき、恥ずかしさからイチジクの葉で腰を覆った。

神は、二人の裏切りに怒り、服を与え楽園から追放した。


これが、原罪である。

絵画の題材に使われる事が多い聖書の中でのワンシーンだ。

誘惑をした蛇はサタンの化身とされている。

最近、この失楽園の話が頭をよぎる。

信仰の葛藤があるからだ。

洗礼を受けて、教会ではこの世はサタンが支配していると教えられてきた。

だからこそ、私達クリスチャンが主の福音を述べ知らせ、世の光とならなければと思っていた。

堕落しているこの世から身を守り、主の教えのとうり清くあらねばと信じていた。

だが、今は、堕落したこの世に居心地の良さも感じている。

そのことへの罪悪感に苛まれているのだ。


もともと、早熟だった(頭の中だけ(笑))私は、幼い頃から禁断の文学や映画が好きだった。

中学生の時にはフランス映画漬けで、様々な愛の形を知った。

デュラスの「愛人」も思春期の胸を高揚させながら読んでいた。
性愛のエロティシズムよりも、性愛の末にたどり着いた愛に胸が切なくなったのを覚えている。

澁澤龍彦の本もいけないものを覗くような感覚で読んでいた。

好きなアーティストはジェーン・バーキンにセルジュ・ゲンズブール、そして二人の娘のシャルロット。

好きな映画監督はゴダール、好きな女優はアンナ・カリーナ。

ルキノ・ビスコンテ監督の「ヴェニスに死す」も大好きで、原作のトーマス・マンの同名小説も読み、映画で印象的に使われていたマーラーの「交響曲第5番」の第4楽章が聴きたくて買ったCDが自分のお金で初めて買ったCDだ。

こんな中学生では同年代とは話が通じず、好きな映画を観に行く時は必ず一人。

学校帰りに制服で性描写の露骨な映画を観るせいか、映画館ではよく痴漢にあった。

負けじと学生鞄で応戦してやったが。

フランス映画に出てくる女優に憧れ煙草を吸ったのも中学の時。


こんな自分が紆余曲折あってクリスチャンになった(笑)人生分からない(爆)

このまま順調に信仰を守り続けていけると思っていたが、今は俗世間に浸かってしまっている。

優等生?(笑)のクリスチャンがすっかり堕落した。

洗礼と共にやめたお酒もまた飲んでるし。

でも、心のどこかで帰りたい思いもある。それに反して以前のように神様だけを見つめて奉仕出来るのかも疑問。

どっちつかずの私の心。超不安定!(笑)


今は震災の支援の事が頭の大部分を占めていて、考え過ぎる事もないけど、でも私はどうすればいいのだろうと思う時もある。

いったい自分が求めているのは何なのか?それが問題だね(笑)

人生なんて地球の瞬きぐらいでしかないのだから…