私が死ぬと
母親が崩壊する
そばにいるとよくわかる
こないだの旦那のLINE事件のあと
私が泣きやんでも泣いていた
私のこれまでの人生を振り返って涙していたそうだ
大阪で過ごした小学2年生までは私の人生は楽しくて明るくて穏やかなものだった
小学3年生から今の地元に引っ越した
引っ越してすぐ盲腸になった
炎症反応が治っても痛みが引かず、1ヶ月後に手術をしたら炎症の後の水が溜まっていてそれが痛みの原因だった
その後小学校に馴染めず、仲がいいと言える友達はずっといなかったように思う
この頃から理由はないけど無性に死にたくなることがあった
大阪に帰りたかった
小学6年生の夏前、上腸間膜動脈症候群になり、3ヶ月入院した
食べたら激痛なのに脂肪をつける必要があり中心静脈カテーテルを入れたらそこから感染し敗血症になりICUに入って生死を彷徨った
その後経鼻栄養に変わり、少しずつ口からも食べられるようになり、なんだかだしているうちに痛みはなくなった
小学校卒業前、右足が痛くなった
これが転換性障害の始まりだった
医大に入院して色んな検査をした
でもいくら検査しても原因が分からない
その後右足は動かなくなった
中学校の入学式は右足を引きずって松葉杖だった
人の目が痛かった
入学して2ヶ月後くらいに足は動くようになった
でも痛みが残った
そのまま中学生活を過ごし、中2の時にはいじめも経験した
中3の修学旅行の最中、徒歩移動が多くて右足の痛みが増大して歩けなくなった
6月から1年間入院した
退院したけど中3の学習範囲が終わっていなかったため高校浪人
車椅子で高校入学
高2あたりから杖と装具で歩けるようになった
大学は県外へ進学
3年生の春精神に不調をきたして1年間入院
入院中のリハビリで右足の麻痺だけ改善
復学と休学を経て大学を卒業
休学中には自殺未遂もした
そして体調と向き合いながら今に至る
「…引っ越してからなんにも楽しいことなかったよね
私たちにできることもっといっぱいあったのかもしれないけど、その時はその時で一番良いと思ったことをしてきたんよ…
必死で大学卒業までやってきて、もう自由に、やりたいように、好きなように生きて行ったらいい
そう思ってたのに、なんでこんなことになるん…
まだ真裕子に不幸が訪れるなんて
かわいそうで…」
母の言葉です
生きてるのにこれだけ私のことを思って号泣する母
私がいなくなったらどうなっちゃうんだろう