月夜の窓辺に〜毒親育ち、元被虐待児のサバイバルブログ〜

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毒親育ちが社会の中でもみくちゃにされながらサバイバルする様をお届けするブログです。
複雑性PTSDとか愛着障害とか、その辺の話もします。

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 前回から、大分日があいてしまいました。

 暑くて家に引きこもっているブログ主です。

 

 最近はネットフリックスでよくドラマを見てます。

 私はホラーやサイコ系の映画をよく見るのですが、最近のヒットは「呪怨」のドラマでした。こちらの作品、ホラーというよりも人間の描かれ方がえげつないのですが、色々と考えさせられるドラマでした。

 

 以下、ネタバレを含むので見たい方はスルーしてください。

 

 

 

 

 

 ホラー要素は見て頂ければ分かるのですが、私がひっかかったのは毒親持ちの女子高生の女の子、キヨミです。

 この子の家庭が、まぁ悲惨なんですよ…母親(毒)には父親を誘惑したあばずれ扱いされるわ、友達に騙されてレイプされるわ…結局母親を殺してしまって、その後は夫からDVを受け、違法売春をして生きていくという悲しい話なんです。

 結局最後は呪われた家で消えてしまうんですが、消える前にこの子が言うんです。

 「人生、やり直したい」って。

 本来呪いの家って、家に入ってきた人を異界に引きずり込むのが技の見せどころ(笑)的なところがあるんですけど、この女の子に関しては、逆にそれが救いになっちゃってるんですよね。

 現実がつらすぎて、人生をやり直す手段としてこの家に入ってくるんです。

 こんなん、呪いの家が情をかけてるみたいに見えちゃいますよね。

 

 ですが、この描写を見ていて、私も他人事とは思えない部分があると思ってしまいました。

 毒親を持つと誰しも思うと思います。

 「どうしてこんな家に生まれたんだろう」とか

 「どうして大人になってもこんなに辛い思いをするんだろう」とか

 「普通の家庭が羨ましい。もっと違う家に生まれていたら」とか。

 つまるところ「人生をやり直したい」って心のどこかで思うことがあると思うんです。

 

 こういう気持ちって、別に毒親持ちに限ったことではないと思います。ただ、毒親持ちの場合は、自分で選んだことに対する後悔ではなく、むしろ選ぶことができなかった環境についてのことなので、悲嘆の深さはとても深刻ですよね。

 

 ただ、毒親を持ったら人生を諦めなければいけないのかといったら、私はそうではないと思います。むしろ、きっと諦めてはいけないのだと思います。

 

 育った家庭がその後の人生に与える影響は甚大です。それこそ毎日、嫌というほどその影響力を痛感します。

 私も心のどこかで、もう諦めて楽になりたい、何をしても無駄だと思うことも少なくありません。むしろ、そんなことをよく思っています。

 けれど、もしそこで諦めてしまったら、自分の人生は親のものだと証明するようなものですよね。

 

 私の人生は私のものです。

 

 どんなに親の影響が大きくても、その影響をゼロにはできなくても、それでも私は自分の人生を生きたいです。やり直しができなくても、今この瞬間も、あらゆる可能性に満ちた新しい時間を生きていることを忘れてはいけないのだと思います。

 

 このような記事を書いたのは、毒親界隈では有名な斎藤学先生が以下のように語られていたからです。

 

「昨今の「毒親」ブームは、親を毒親とそれ以外に二元論で分けて糾弾し、過去と親にばかり注目し、一番大切な自分の現在と未来に目を向けない傾向などの問題があり、毒親本では「これからどうすればいいか」がおざなりにしか語られない」

 

「毒親論は、自分の問題を親子間だけの直接的な原因結果論に単純化し、「毒親の子どもだから自分はもうダメだ」と考える宿命論になってしまっている」

 

 私も諦めたくなることばかりです。日々はつらく、悲しく、ときには怒りに満ちています。

 けれど、毒親から離れ、今こうして過ごす時間の中には、安らぎがあります。

 これから先も、この安らぎが増える可能性もあるのです。

 そういう人生を生きられるように、私は人生を自分の力で作っていきたいと思います。