最近、映画「桐島、部活やめるってよ」
を観ました。


僕はホラーが苦手なので、
所々観たくないなと思う
シーンがありましたが
いろいろ考えさせられる
映画でした。



僕の勝手な解釈ですが
この物語の作者は、
人間は生まれや育った環境も違うし、
「蓼食う虫も好き好き」で、
物事を主観的に捉えて、
自分の価値観で判断するのではなく、
相手の価値観で判断するべきだと
言いたいのだろうと思いました。



この映画の登場人物で言えば、
久保孝介(鈴木伸之)たちは
バレーボールに情熱を注いでいて、
桐島の事が自分たちの価値観での最重要事項である。


前田涼也(神木隆之介)たちは
ホラー映画を撮ることに情熱を注いでいて
ロケーション撮影を良い状態で行うことが
自分の価値観での最重要事項ある。


久保孝介(鈴木伸之)にとっては
ホラー映画などどうでもいい事であり、
映画のセットの隕石も、
石ころのような物であり、
イライラをぶつける対象として隕石を蹴った。


反対に前田涼也(神木隆之介)にとっては
桐島の事はどうでもいい事であり、
撮影を邪魔された上に
映画のセットの隕石を蹴られた。



これを逆の形で表現すれば
久保孝介(鈴木伸之)たちが
バレーボールの試合をやっている所に
前田涼也(神木隆之介)たちが
カメラを持って乱入して
試合を台無しにしたという事になる。


どちらも同じ事で
非常識でひどい事のはずだけど、
両者の力のバランスや
同じ価値観を持った人間が多いか少ないかで、
判断される場合が多い。




僕もフランスにいた時に感じたのですが、
日本では良いとされたり
常識と思われる事が、
フランスでは悪いとされたり、
非常識と思われる事がある。


国や宗教や育った環境が
変わればまったく正反対の
価値観になる場合がある。



戦争などもこれが根底にあるように思う。
自分たちの価値観の正義が
暴走しておきているように思います。



アメリカを見ていて特に思うのですが、
正義という言葉をあまり使うのは
危険だと感じます。


というのも、人間は神様じゃないし、
人間が行うことで
完全な正義なんておそらくないし、
ましてや戦争に正義なんて
存在するはずがない。



例えば、フランス革命にしても
ブルボン朝(ルイ王朝)の圧政によって
長年虐げられてきた平民の
正当防衛による止むを得ない内戦であって、
正義ではない。



正義という言葉を使う事の
危険性は歴史が証明していて、
古くは十字軍、
近代史で言えば
ナチスのホロコーストや
アメリカの原爆の使用や
カーチス・ルメイの指揮した
民間人に対する絨毯爆撃など、
猟奇的な殺人と思うことでも、
正義と言う言葉の力で
良心の呵責なく平気で行える
人間になる。



もし正義があるとしたら
全世界の人の価値観に関係なく

正義と思えるものが正義なんだと思う。


例えば飢えに苦しんでる人に
食料をあげる事などが
おそらく正義に近いものなんだと思う。


ただこれも僕が料理人だから
より感じるのかもしれないが、
食料は人間以外の植物や動物の命であり、
その命をいただくという行為自体は
止むを得ない事であり、
完全な正義ではない。



そう思うと人間の行うことに
正義に近いものはあっても
完全な正義はないと思っていたほうが、
良いように思う。



堺市泉北のフランス料理店 カウンターフレンチ レストランマヴィ