人間は何のために生まれてきて、
いかに生きるべきなのか?
という漠然とした疑問を持っている時に、
いろんな本を読んだりして、
喜怒哀楽の経験をするために生まれてきたんだ
という結論で納得して分かったつもりになっていたのですが、
ここ数日前に頭では分かっていても、
実感として分かってなかったという事に気がつきました。



僕は独立してレストランマヴィを開店してから今で、
7年5ヶ月になります。



その7年5ヶ月の間に2回風邪をひいて2日だけ休みましたが、
それ以外は一年365日休んでいません。



というのも、
接客や調理や片付けを

すべて一人でやっているので効率が悪く
休むと家賃などの経費や

借金の返済ができなくなるし、
料理の仕込みも間に合わなくなるからです。



なぜ一人ですべてやっているかというと
もちろん人件費を削減するためもあるのですが、
部下の仕事の失敗も背負いたくないし、
成功も横取りしたくないからです。



ただ休まないで働くというのはとても体がきつくて、
睡眠時間もろくにとれなかったりで、
確か3~4年目ぐらいだったとは思うのですが風邪をひいて、
一日だけ休んだ時に、

熱は一日で下がったのでそれから休まず働けたのですが、
その後一週間ぐらい経験したことのないぐらいの胃痛に悩まされて、
すごい辛かったのですが病院に行く時間もないので、
薬局の胃薬で何とか治したのをきっかけに、
仕込みの状況をみて遅れているときは
ランチの営業だけを休むようにしました。



そんな必死な試行錯誤の7年5ヶ月で
今も状況は変わらず進行中なのですが、
数日前に何のきっかけもなく、
空から降ってくるように喜怒哀楽すべてが重要で
その四つ感情が互いに関係し合って
相乗効果を生んでいるんだと感じました。



それはとても不思議で、
たぶんマラソンのセカンドウインドウみたいな感じで、
とても感動的でした。



自分の今の状態と比べるのは
恐れ多いし失礼だとは思うのですが、
偉いお坊さんがとても厳しい荒行などをするのは
こういう不思議な体験をするためなのかなと思いました。



ストレスのあるイライラする日々を送っているから、
リゾート地でのんびりすごしたり、

ぼーっとしたりするのがとても幸せに感じますし。



闇の中にいるから一筋の光がとても美しいと感じますし。



それにもし人間が喜怒哀楽の喜と楽だけしか

求めてないのであれば、
説明つかない行動や欲求が多々あります。



例えば、夢というものを考えてみてもそうです。
夢を叶えるというのは困難な場合が多く、
長期間の努力が必要となりとてもリスクが伴います。



恋もそうです。
いくら優秀な遺伝子を求めるとはいえ
実るか実らないか分からない者を求めるのは
とてもリスクを伴います。
もっと確実に遺伝子を残せる相手を求めるはずです。



仕事もそうです。
日本のように物価の高い所にいて
ある一定のお金が手に入れば、
すべての人が物価の安く働かなくていい場所に
移住しようとするはずです。



友達を作ろうとするのもそうです。
自分と違う人間を信頼したり、
関わたりすると裏切られるリスクが高くなります。



あと困難な事や命に危険が生じることに
挑戦しようとする人や、
それを見て感動して応援する人というのも
説明がつきません。



桂枝雀師匠の創作落語で茶漬えんまという落語で、
極楽はとても静かで、
蓮の花が咲く音がするだけの退屈な所だ
という表現があるのですが、
確かに、もし死後の世界に

極楽という場所と
地獄という場所があったとして、
極楽には善人しかいなくて
とても美しい場所でも、
ずーっといると善人や美しいものがすばらしい
という感覚が薄れていくだろうなと思いますね。



それに善人であれば、
現世に苦しんでいる人たちがいたら
もう一度生まれ変わって助けようとすると思うので、
極楽にずっといようと思う善人は

いないような気もしますね。



おそらく人間は、
一年間ぐらいのスパンで
喜怒哀楽の4つの量が同じぐらいの量になった時に、
幸福な人生、充実した人生と感じるのではないかな
と思いました。



ただ僕は喜怒哀楽の量で言うと、
怒と哀の量がちょっと多すぎるので、
いつになるか分かりませんが、
もう少し売り上げを上げて、
週に一回ぐらいは休めるように
しないといけないなと思いました。



堺市泉北のフランス料理店 カウンターフレンチ レストランマヴィ