今日も栃木市の災害ボランティアに行ってみた。

今回は沼和田町というところ。

先週の薗部町に比べると浸水深は浅かったようだけど、やはり床上浸水。

深さに関わらず、床上まで水が来ると床も家具も泥だらけ。

主にキッチンの清掃が今回の依頼だったので、重くてひとりでは動かせない冷蔵庫や食器棚を動かしながら床の掃除をしてきた。

地味に重労働だったけど、一緒のグループの人たちの手際がよく、2時くらいには作業終了。今回も依頼者のおばあちゃんに喜んでもらえたのはよかったな。

ちょっと早く終わったので、帰りに永野川の決壊箇所を見てきた。



土嚢が積まれ、仮復旧が行われていた。

近くに災害派遣で来ていた自衛隊の人たちがいた。流されてきた瓦礫がそのままになっていたのでその片づけについて調べていたのかも。

そのあともうちょい足を延ばして新大平下駅前に行ってみた。駅前広場がきれいに整備されていた。


ちょっと仕事で関わったので気になってたんだよね。

地域の人に喜ばれているといいんだけどな。

午後は畳ではない部屋の下のかき出しを本格的に始めた。
午前中にもある程度進めていたが、より奥まで、より隅々までという意気込みでみんなが取り組んでいた。

 

特に那須塩原から来た彼は、ほとんど床下に寝そべり、体半分畳ではない部屋の下にもぐっていた。突出した働きぶりだった。
感化されるように他のメンバーも一生懸命作業していた。そんな中、俺はすぐにバテてしまうので歳の差を感じた。
スコップで、あるいはクワで、あるいは手で泥をかき集め、すくいあげ、土嚢袋に詰めていった。

1時間ほど作業すると、最後の休憩タイムになった。
依頼者夫婦がペットボトルのお茶と缶箱いっぱいのお菓子を庭に出してくれていた。
座るところを作ろうとひっくり返したバケツの上に土嚢袋をかけて椅子まで作ってくれた。
原則として依頼者から金品を受け取ってはいけないことになっているが、あまり断り続けるのも失礼かと思い、配られたお菓子を一つだけ受け取り、ポケットに突っ込んだ。
バウムクーヘンも進められたが喉が乾くのでそれはいらないかな、と言ったら笑われた。
お昼過ぎに見知らぬ若い男性が一人来て、依頼者夫婦と親し気に話をしていたのを見ていた。実は離れて暮らす娘婿なのよ、と依頼者夫婦の奥さんが説明してくれた。
なんとなくそんな気はしてましたと答えたらまた笑ってた。
来てくれたことが嬉しそうだった。


そんな話をしているとスーツを着た男性と作業着の男性が訪ねてきた。スーツの人はNHKの人だった。
どうやら取材の交渉に福祉協議会の人と廻っているようで、被災者のコメントやボランティアの様子の撮影をしたいようだった。
依頼者夫婦はコメントは遠慮しているようだったがボランティアの撮影については許容するような返事をしていた。
おいおい、いきなり俺たち撮影されちゃうのかよ…。なぜか俺がドキドキしてしまった。

そんなひと悶着を経て、最後の作業に取り掛かった。

最後の作業は、床下のかき出しはもうほとんど終えた感じだったので、とりこぼした泥を拾ったり、根太をきれいにしたり、サッシや犬走を掃き掃除をしたり、窓を拭いたりした。
那須塩原から来た彼はブロック塀の穴の開いた部分に刺さったままになっていた草を取り除いていた。若いのにとても気が付く人だなと感心した。


3時頃までやっただろうか。
概ね片付いたので、リーダーが依頼者夫婦に依頼内容の完了の確認をした。
十分やってもらえて助かったという感謝の言葉と共に、あとは自分たちでできるので依頼は完了で大丈夫という言葉を聞いた。
気になったのでお風呂とか入れてますかと聞いたら、入浴施設にも行ったんだけど混んでてねと、あまり行っていないようだった。
どうしてるんですか?と聞いたら、水は出るのでタオルを濡らして体を拭いているとのことだった。

感謝の言葉を聞いてお役に立ててよかったという気持ちと共に、俺たちはこれでここから立ち去ってしまえるということに申し訳ない気持ちにもなった。
依頼者夫婦はこれからもこの場所で、この環境で、生活再建できるまで、様々なことを我慢して汗をかき続けなければならないのだから。

挨拶を交わし、持ってきた荷物を持ち、車に向かう。
泥だらけの同乗者は、シートに泥が付かないように土嚢袋を座席に敷いて乗ってくれた。
気づかいのできる、若く、それでいて頼もしいメンバーだった。
この人たちと一緒に作業できたことは、とても恵まれていたことなのかもしれない。
結局NHKが取材に来ることはなかったが、那須塩原から来た彼の働きぶりを撮影してもらいたかったねと皆で話して笑った。

栃木市民会館に到着すると、資材を返却し、手洗い・消毒・うがいをした。
人が多く、手洗いには順番待ちに並ぶほどだった。
それでもどれだけの人数だったんだろうか。
今日の需要に応えることができたのだろうか。少し気になった。
最後にメンバーの名前を確認し、さよならをした。
疲れているだろうに最後までみんな笑顔だった。

ひとりになり、車に乗り、コンビニに寄った。
コーヒーを飲みながら、スマホを手に取り、思ったことをツイッターに書いた。
ツイートの最後に「助けてあげたい」と書いたら涙が出てきた。
それは被災地の現実を知ったからこその涙だと今は思う。
それだけでもこの日参加した意義はあったのかなと思う。
この気持ちを大切にして前を向いていきたい。
やれること、やっていかねば。ね。
 

10時50分、1回目の休憩を取った。
ゴム手袋とマスクを外して、持ってきたボトルコーヒーを飲んだ。
かぶっていた帽子はすでに汗でぐっしょりだった。
リーダー夫婦の奥さんが塩飴をくれた。
メンバーで話をしたり、依頼者夫婦と話をしたりした。
浸水した当日、夜8時には何ともなかったこと。
その後気が付いて戸を開けたら靴が流されてそれを取ろうと外に出てしまい胸まで浸かってしまったこと。
階段の4段目まで水が来てこわかったこと。
まさか浸水するとは思っていなかったこと。
被災して、どこから手を付けていいかわからなかったこと。
被災した現場で聞く当人からの話は昨日起きたことのようにとても生々しく、被災から1週間も経っているということをしばらく忘れてしまうほどだった。

10分ほど休憩すると再び作業の準備。
使っていたマスクを着けると吐き気がするほど臭かった。
草刈り機用のゴーグルも持ってきていたので付けてみたが、マスクからの息で曇ってしまうのですぐに外した。
臭いに我慢しながら作業を開始した。泥を集めて運び出す。同じ作業の繰り返し。目に見えているところがだんだん片付いていき、元の床下が見えてきた。
作業の場が部屋の端の方へと移っていった。
やがて隣の、畳ではない部屋の下のかき出しにも取り掛かった。
暗く、狭く、手探りに近い作業だった。
スコップでは難しいので、依頼者宅に備えられていたクワや熊手などをお借りした。
泥と格闘しているうちに昼になった。


昼休みに入る前に、依頼者に作業状況の報告と午後の作業内容の確認を行った。
すでに畳ではない部屋の下のかき出しに取り掛かっていたが、やはりそこをできるだけやってほしいとのことだった。
ボランティアの作業時間は10時から15時と決められているが、午後も引き続き同じ作業を行うこととなった。

お昼は依頼者宅のお庭を借りてとることとなった。
椅子も何もないことを依頼者が申し訳なさそうにしていたが、ハンドソープを外の水道の脇に置いてくれた。
手を洗うと各自土嚢袋を下に敷いてそこに座った。
それより泥の臭いが漂う中で食事することにちょっと気が滅入ったのが正直な気持ちだった。
でも依頼者夫婦がここで生活を続けていることを考えたらそんな文句は言えるはずはなかった。
朝、コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりを食べた。
リーダー夫婦の奥さんがカットしたリンゴを出してくれた。
こういう準備をしてくるのはさすが女性だなと思った。
みんなでありがたくいただいた。

食事をしながらメンバーと話をした。
那須塩原から来た人は秋田の出身で、栃木にはまだ1年ほどしか住んでおらず、「呼ばれる」とか「ほかす」とか、お互いわからない方言があると言っていた。
市内在住の男性とリーダー夫婦には台風の時の話を聞いた。
みんな自宅への被害はなかったようだったが、リーダー夫婦はたまたま旅行中で預けていたペットが犠牲になってしまったようだった。この時、リーダー夫婦の奥さんが言葉に詰まり、悲しそうな表情になってしまったのを見て、振ってはいけない話をしてしまったと後悔した。

依頼者夫婦の話も聞いた。
ようやく昨日、テレビが見られるようになったこと。
それまでラジオからしか情報が入ってこなかったこと。
看護師の娘からいろいろなことを教えてもらっていること。
教わってもすぐに忘れていつも娘に怒られていること。
消毒をしっかりするよう言われたこと。
流れてきた水が、永野川なのか巴波川なのか、どこから来たのかわからないこと。
トイレの逆流があったこと。
裏の空き地も泥だらけなこと。
市の消毒はいつやってくれるのかわかっていないこと。


この一週間、心休まることもなかったと思うが、とても明るく話してくれたのが印象的だった。

 

こうして和やかな雰囲気の中、30分ほど休憩すると、誰彼ともなく午後の作業の準備を始めた。那須塩原から来た彼が、マスクが汚れてしまったが替えがないとのことなので、俺の持っていたマスクを一つあげた。