”手放し” | あたし毎日眠いんだけど・・・

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バツ2で3度目の結婚を満喫している専業主婦♬
楽しい半ヒキコモリ生活の中での自分の心の動きに向き合いつつ、
日常の小さな出来事をたまに真面目に、基本的にはゆるく書いているブログです。


つづき。

 

自分自身と向き合って、怖さと向き合って、絶対にヒントはもたらされる!と信じてアンテナを張って過ごした1週間。

ついにヒントを見つけ、答えにたどり着きました。

 

 

 

 

結論から言うと、治療に関しては手放さないでいいということ。

結局は軸からブレていて、余計な思考を挟んでいたために、

自分と向き合わせるために、

「治療を手放す」

という言葉を出させたんだと思います。

これが今までなら入院せざるを得ない状態になるか、

精神が病む直前くらいまでに追い込まれることが起きるかだったので、

少しは成長したのかも(笑)

ダウンする前のジャブの段階で気づけるようになったというか。

 

 

 

 

 

 

きっかけは、少し前にFBで友達になった人でした。

その人は友達経由で友達申請されて、同じく整体を職としている人だったので、

なんの気なしに承認しました。

その人は最近お家サロンを開業したようで、FBのフィードにもそのことがほとんど。

きてくれた人のビフォーアフターの写真と、体験談と、東京に勉強に行った話など。

それを見るようになってからザワザワし始めました。

最初はそのザワザワも無視していましたが、やっぱりそうもいかず、

気分のモヤモヤと感覚の鈍りと治療の精度と今まで繋がっていた中心との分断感が出てきました。

そして、「治療を手放す」サイン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

晴天の霹靂のようなそのサインに、最初は疑問を抱き、違うんじゃない?と思いました。

それに関係する何かであってほしい。治療はどんなに少人数であろうと、旦那さんに対してだけでもし続けたい。

そう強く思いました。

でも、そう強く思うということは執着があるということで、

執着とは何かのひずみの結果の感情なので、

そこなんだと思って、自分の中に潜っていきました。

そしたら出るわ出るわ無価値感がwwww

恐怖の底にいつも鎮座する無価値感。

なんだよ、まだしつこくあるのかよって正直思いましたが、

それも私か。仕方ないよね、あるんだもん。

これはもうトラウマとかも多少はまだ関係あるんだろうけど、

そんな過去のことはもういいや。

今まだある。それが現実。

じゃあそれをどうするか。認めて消化して手放すしかないんじゃないのか?って

ある種開き直りにも近い心境に。

 

 

 

 

 

 

 

治療ができなくなっても、ぶっちゃけ経済的に影響出るわけじゃないし、

私という人間が何か変わるわけじゃない。

ただ、

「治療ができるかおりちゃん」

「ゴッドハンドみたいなかおりちゃん」

「何でも応えてくれるかおりちゃん」

などなど、人の評価とそういう肩書がなくなるだけ。

それを最近不安に思っていた。

ということに気が付いた。

それがなくなったら私は本当にただの40歳の中年の女になる。

そしたら社会から本当に切り離されるように思っていた。

それが自分がいてもいなくてもこの世は関係ないんじゃないかというほどの

無価値感と恐怖感を産み出していた。

今は気づいた後だからその思考ぐるぐるに笑っちゃうけどね(苦笑)

 

 

 

 

 

 

 

そんな思考ぐるぐるの苦しみにも飽きて、

もういいや、何もなくなっても私だけは私のそばにいよう。

2度の離婚も何回かの大失恋も繰り返した流産の辛い時も、一緒に乗り越えてこれたじゃん。

そう思ったら、ただの中年のいち女性になることなんて、なんでもないじゃんって思えた。

ていうか、そもそもただの女じゃんって思い出した。

もし本当に治療を手放すことになっても、それはちゃんと受け入れようと思った。

大いなる計画(まぁ、自分で立てて来てるんだけど)を信じて委ねようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

そしたら飛び込んできたヒント。

もうね、10年ぶりぐらいに再読した本の一文でした。

 

 

 

「もし何かが見つからないとしたら、それは自分が頑張りすぎているのだ。」

 

 

 

 

このほんも、結局治療に関わる本。

これ、一度も最後まで読んだことなくて、

当時は全然内容も入ってこなかったのにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

この一文を呼んで、

「何者かになろうとしてた自分」

「治癒をコントロールしようとしてた自分」

に気づきました。

これがあったから、治療の精度が落ちてると感じていたんだと。

それが不安となり、色んな恐れを私の中に呼び起こした。

それもまた、今、あぶり出して手放す時期だったんだと思う。

治療自体は本当は何も変わってない。

だって私が何かしているわけではないから。

治癒は、本人の力だ。

師匠がよく言っていたことを思い出す。

「治らない人は来ない。」と。

それは自分だったら絶対治せるとかの傲慢な想いではなく、

ただ、そういうことなんだ。

ということが、またさらに腑に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

色んな情報が入ることで、軸がぶれてしまうこともある。

でも、自分の信じているものをとことん信じる。

その結果もし何かが起こっても、それを乗り越えられる力が自分にはある。

ということを信じること。

そして、私にとっては今回は治療のことだったけど、

大切に思っているものやことに対して、人生のハンドルを渡さないこと。

それを大切だと思っている私自身の方が、運転手なんだ。

私があるから、それがある。

その順番を忘れないこと。

 

 

 

 

 

 

 

今回の学びでした。