N氏の休日
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詩的

「倚りかからず」   

もはや
いかなる権威にもよりかかりたくはない


ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい


じぶんの耳目
じぶんの二本足のみでたっていて


なに不都合のことやある
よりかかるとすれば


それは
椅子の背もたれだけ

<>

    


「自分の感受性くらい」  


ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ




茨木のり子さんの詩集です。


なんかいいね。


よくわからんけどいいっ!


<>

これいいね

『きらりと光るダイヤのような日』

短い生涯、
とてもとても短い生涯
60年か70年の

お百姓はどれだけの田植えをするのだろう。
コックはパイをどれくらい焼くのだろう。
教師は同じことをどれくらいしゃべるのだろう。

子供達は地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる。

それから品種の改良や
理不尽な権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたり、もっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品となってしまう。

世界に別れを告げる日
人は一生をふりかえって
自分が本当に生きた日が
あまりに少なかったことに驚くであろう。
指折り数えるほどしかない
その日々のなかのひとつには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう。

<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う。
きらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ。






これは久しぶりにいいなとおもったので転載させていただきました。


つい何度も読み返したくなる言葉です。



投資について

現在国債を150万。信託を100万。貯蓄口座に70万。


5年後にははたしてどうなるのでしょうか。信託は心配要素がつよいです。


今日会社の給与規定に変更があり通達をうけました。


なんか横文字の役職でよくわかりませんが細かくいうと


33万


40万


45万


50万


60万


70万


とあがるそうです。



45万までは最低でもあがらないと恥だとの事で30までには到達できるように


がんばらないといけないようです。


むしろ逆にあがれないと左遷がまってます。


お金がほしいというよりは左遷で飛ばされるのが怖いと言うのが


みんなの本音です。


ほんと怖いところです。



最近は毎日ぴりぴりしてきました。



上場ももう一歩すすんでほしいものです。



微妙ですが・・・