A través de los tiempos perdidos /「失われた時を超えて」

A través de los tiempos perdidos /「失われた時を超えて」

外国語大学スペイン語学科卒業、メキシコ・グアダラハラにて、半年間、日本語教師。
スペイン北東部のナバラ大学、マドリード近郊のアルカラ大学留学。以後、スペイン語翻訳に従事。

まず、結論から。

 

言語学的観点から、イスラム教のアッラーの神と旧約聖書に出てくるエローヒムは、まったく同じ神である。

 

その理由について、

 

まず、ヘブライ語のエローヒム。即ち、Elohimの最後のmに注目して頂きたい。

 

ヘブライ語においては、語尾のmは複数形のmなのである。

 

例えば、ユダヤ人には、大きくは2種類の血族が存在する。

 

それは、スファラディとアシュケナジーである。

 

しかし、スファラディをスファラディムと呼んだり、アシュケナジーをアシュケナジムと呼んだり、語尾がmで終わっている場合がある。

 

これは、先にも書いたように、mとは複数形なのである。

 

ゴイムも、そうですね。ゴイと言ったり、ゴイムと言ったりします。

 

ですので、エローヒムとは単数形ではなく、複数形の神を意味します。

 

しかし、最後のmを取り除くと、エローフとなります。

 

かたや、イスラム教のアッラーは、アッラーフ、アクバル。神は偉大なりと、イスラム教徒たちが唱えているように、アッラーではなく、正式にはアッラーフであり、最初のalはアラビア語の定冠詞に当たります。

 

なので、この定冠詞を取り除くと、イラーフとなります。

 

先ほどの、エローヒムのエローフとよく似ていますね。

 

つまりは、エローフとイラーフは、言語学的には、同根です。

 

では、エローヒムは、なぜ複数形なのでしょうか?

 

難しい概念ですが、これこそが、まさしく、絶対矛盾的自己同一という、京都学派の西田幾多郎の言葉を想起させます。

 

例えば、薬師如来という、医療系の高級霊がいます。

 

この医療系の高級霊が、戦争や災害などが起きて、一つの魂の高級霊が何百、何千と分光し、もっと下位の医療系の天使たちを指導する際に、活躍する場合があります。

 

本来一つの魂が、一つであって、一つではない。

 

これを、西田幾多郎は、絶対矛盾的自己同一と定義しています。

 

エローヒムが、一つの神でありながら、複数形となっているのは上記の理由によります。

 

今も、イスラム教徒であっても、アッラー以外にもエローヒムの神に祈りを捧げるのも、以上のような理由があっての事なのです。

 

以上が、エローヒムとアッラーの神同根説でした。