今更だけど"仕事の流儀「美術監督・種田陽平」"を某所で観ました。



タイトルは番組中に出て来た言葉。いわゆる『神は細部に宿る』ってやつですな。
依頼主の言う通りに作るのではなく作品の中に必ず自分の爪痕を残すという種田氏のやり方には
深い感銘を受けました。

私事ながら僕もデザインを齧ってたお蔭で以前の仕事で活かしていた時期があります。
スポンサーの希望に沿いながら如何に自分の発想を盛り込むかに苦労したのを思い出したりw
まぁ話の次元が全く違いますけどね(;^_^A




そして『イメージは過去の記憶の中にある。いかにそれを掘り起こして現在に蘇らせるかが大事。
音楽家が新しいメロディなんてもうないというのと同じで新しいイメージなんてそうそうない。』

というのもいちいち頷く事ばかり。

最近のネットを外部記憶装置として使ってる若い人はその肝心な「記憶の蓄積」言い換えると
イメージの発想の源になる引き出しが頭の中に無いケースが多い。
何かあってもネットや資料で調べるだけで現物を知ろうとしない。
これは今後映像作品等の創作の世界で大きな問題になるんじゃないかと思いますね。
(既に歴史物ドラマや映画では時代考証を出来る人がいないと聞いた事が…)

小説でも、僕が敬愛する大藪春彦氏は体を壊すまでは徹底したロケハンを自分の足でして
ディテールを書き込む事で有名でした。
最近そんな作家どれだけいるだろう?




ただ今回番組中盤で取り上げられているくりんくりんの「デラシネ」の件を観てふと思ったのは
カメラに映らない部分まで拘って作り込む種田氏の根っこはやはり美術家なんだろうなと。
恐らく島田監督もベクトルは似た人なんでしょう。だからこその一発OKだったんじゃないか。


で、ここでひとつ同じPerfumeのMVで種田氏と真逆の作り方をした人を思い出して頂きたい。

"シークレットシークレット"や"ナチュラルに恋して"を撮った児玉監督ですよ。
特にこの2つはセットの建て込みはあくまでカメラの画角の範囲のみ。
予算や時間等を考えればそれが普通でしょう。だから、ともすると画がせせこましくなりがち。
ただ児玉氏は恐らく節約が目的だった訳じゃなくメタな映像世界をイメージしていたはず。
(条件を逆手に取ったのかもしれませんがw)

この辺は作家性の違いとしか言いようがなくとても面白いなぁと( ̄ー ̄)
種田氏にああいうシュールな作りを依頼しても無理だろうし逆も出来ないでしょうね。

節操無いけど僕はどっちも好きです。
子供の頃はああいう仕事をしたい希望もあったのにどこで道を間違えたかなあ・・・( ̄▽ ̄:)