20年前の1989年というのは歴史上かなり激動の年でした。
ごく大雑把に挙げると・・・
1月 7日 昭和天皇崩御
1月 8日 元号が昭和から平成に
2月 7日 美空ひばりラストコンサート
2月 9日 手塚治虫死去
2月24日 昭和天皇大喪の礼
4月21日 任天堂ゲームボーイ発売
6月 1日 NHK衛生放送開始
6月 4日 中国天安門事件
6月24日 美空ひばり死去
7月16日 ヘルベルト・フォン・カラヤン死去
11月4日 オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件発生
11月9日 ベルリンの壁崩壊。
12月3日 マルタ会談で東西冷戦終結宣言。
それ以外にも2月15日 西脇綾香生誕(笑)
ーここから、少々私的で長くなります。どうしても今日書いておきたかったもので。
1989年11月6日 一人の偉大な男が去ってしまいました。
松田優作氏(享年40歳)
彼の最後の作品『ブラックレイン』の公開直後、いつ観に行こうか考えている最中
の訃報に接して僕は一時腑抜け状態になってしまい、その後一年間『ブラックレイン』
を観る事が出来ませんでした。
あれから20年・・・もう20年なのか。
優作さんより年上になってから随分経ってしまった。
40歳になった時、一体俺は何をやった? 生きた証を何か残したのか?と自問して
少し危なかった時期もあります。
優作さんの人と成りや言葉等については既に沢山の書籍もあるので、ここでは残した
作品を通して、役者・松田優作に対しての個人的な思いに絞って書きます。
彼の作品は当然全部好きです。中でもセントラルアーツ時代の、遊戯三部作最終章
『処刑遊戯』と、角川の『野獣死すべし』は僕の中で常にオールタイムベストの一、二
を争っています。
実は『野獣死すべし』に関しては、初見時あまりにも原作と違う伊達邦彦に激怒した
事があります(笑)脚本の丸山昇一氏には殺意を覚えました。
(僕は大藪春彦マニアでもあるので)
でも落ち着いてくるとなぜかもう一度観たくなり、いつの間にか劇場に行ってました。
結局、劇場で5回は観たでしょうか。以降レーザーディスク、DVDを合わせれば数え
切れません。あの作品は殆ど観るドラッグです。
優作さんの演技の凄さとは今更僕などが言うのもおこがましいですが、どの作品でも
松田優作そのものでありながら、でも『野獣死すべし』では伊達邦彦に、遊戯シリーズ
では鳴海昌平にしか見えなくなってくる所でしょう。
彼を真似る役者は後を絶ちませんが、物真似にさえなっていないのばかりです。
それも未だに『太陽にほえろ』か『探偵物語』ばかり。
『陽炎座』あたりは存在さえ知らないんじゃないのかな。
僕は役者に限らず少なくとも芸術やショービズに関わっている人には、ある種の狂気が
無いとダメだと思っています。
映画の場合なら、映像から狂気を感じる作品に惹かれます。
その点どんな静かな役をやっても彼が登場した瞬間、画面を支配する狂気が見えました。
『家族ゲーム』や『陽炎座』を観てもらえば分かります。
そして村川透監督作品で撮影が仙元誠三氏ならそれは更に倍増します。
針で突くと破裂しそうな緊迫感を画面に定着できる役者や、監督、カメラマンは最近の映画で
とんと見なくなりました。
(余談ですが、庵野秀明氏や押井守氏の作品に惹かれるのもその辺があるかもしれません。)
また、そうかと思えばハードな映像の中で異様に柔和な雰囲気になる時も魅力でした。
『処刑遊戯』の中でアンティークショップに愛用の懐中時計を修理に持っていく場面がまさに
それです。あの店主役の森下愛子さんの可愛らしさと言ったら!
それに対して一瞬だけ見せる殺し屋・鳴海の人間的な優しさはとても好きなシーンです。
『野獣死すべし』では小林麻美にだけ、心を開くというより情を移しかけるシーンがあります。
これは逆に原作以上に人間性を失っている主人公の狂気をより際立たせる結果になりますが。
この作品では共演者である刑事役の故室田日出男氏、これが映画デビューの鹿賀丈史氏が凄い
存在感を出しています。
しかし圧巻は当然、何かに取り憑かれたとしか思えない松田優作その人です。
特に室田日出男氏との列車内での対決ではルシファーの如き佇まいで魅せます。
日比谷公会堂のラストシーンは白昼夢の様に美しい。
これ以上の心に残るラストの映画は他に知りません。
原作とは全く異なるラストですが、この映画ではあれしか無かったでしょう。
『野獣死すべし』について書くといくらあっても足らないのでこの辺で。
彼の出演作は『蘇る金狼』以外の映画では、アクションシーンも意外に地味です。
全体に静謐とさえ言って良い空気を感じますが、それが却ってハードさを際立たせるんですね。
そこにいるだけで凄みを醸し出す存在感が無いと出来ない芸当です。
彼の不在でもう一つ残念なのは、二度と大藪作品の映画化が不可能になってしまった事です。
同等以上の役者など今の日本にはいませんし。
ーえっと、このままではただの映画の感想文だけになってしまうので、カルトなネタを
ひとつだけ・・・優作さんと言えばジーンズ、というイメージの方が多いと思いますが
その実際身につけていた遺品をお持ちの専属フォトグラファーをされていた渡邉俊夫氏が
『Daytona BROS』 002号の特集『日本一ジーンズが似合う男 松田優作』で紹介なさって
います。それが「HALF」とういうメーカーでウエスト29inch、レングス約90cm!!!
これでちょうど良かったそうです ∑(゚Д゚) ちなみにベルトはあまりしなかったとの事。
いずれにしても、リリー・フランキー氏の言葉で『日本の男には、松田優作が住みついた男と
そうでない男に分けられる。』というのがありますが、まさに同感です。
ところで、白状すると僕は少し前まで彼の奥さんである、松田美由紀さんをあまり好きで
はありませんでした。旦那の遺産をただ食い潰している様に見えたからです。
今思えば実に申し訳無い。
今回の「SOUL RED 松田優作―生きているのは、お前か俺か」のドキュメンタリー映画の話
を聞いてやっと理解しました。
彼女は20年かけて、散らばっていた自分の男の思い出のカケラを繋ぎ合わせていたんだ、と。
必ず観に行きます。これで自分の中の喪が明ける気がするから。
最後に、『野獣死すべし』の劇中でたかしまあきひこ氏による美しい挿入曲に乗せて
優作さんの朗読で流れる、何度聞いても鳥肌ものの萩原朔太郎の詩『漂泊者の歌』を改めて
彼に捧げたいと思います。
もしここまでお読み下さった方には、長々と駄文にお付き合い頂き感謝致します。
漂泊者の歌
日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂ふ。
ああ汝 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。
ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。
ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!
ごく大雑把に挙げると・・・
1月 7日 昭和天皇崩御
1月 8日 元号が昭和から平成に
2月 7日 美空ひばりラストコンサート
2月 9日 手塚治虫死去
2月24日 昭和天皇大喪の礼
4月21日 任天堂ゲームボーイ発売
6月 1日 NHK衛生放送開始
6月 4日 中国天安門事件
6月24日 美空ひばり死去
7月16日 ヘルベルト・フォン・カラヤン死去
11月4日 オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件発生
11月9日 ベルリンの壁崩壊。
12月3日 マルタ会談で東西冷戦終結宣言。
それ以外にも2月15日 西脇綾香生誕(笑)
ーここから、少々私的で長くなります。どうしても今日書いておきたかったもので。
1989年11月6日 一人の偉大な男が去ってしまいました。
松田優作氏(享年40歳)
彼の最後の作品『ブラックレイン』の公開直後、いつ観に行こうか考えている最中
の訃報に接して僕は一時腑抜け状態になってしまい、その後一年間『ブラックレイン』
を観る事が出来ませんでした。
あれから20年・・・もう20年なのか。
優作さんより年上になってから随分経ってしまった。
40歳になった時、一体俺は何をやった? 生きた証を何か残したのか?と自問して
少し危なかった時期もあります。
優作さんの人と成りや言葉等については既に沢山の書籍もあるので、ここでは残した
作品を通して、役者・松田優作に対しての個人的な思いに絞って書きます。
彼の作品は当然全部好きです。中でもセントラルアーツ時代の、遊戯三部作最終章
『処刑遊戯』と、角川の『野獣死すべし』は僕の中で常にオールタイムベストの一、二
を争っています。
実は『野獣死すべし』に関しては、初見時あまりにも原作と違う伊達邦彦に激怒した
事があります(笑)脚本の丸山昇一氏には殺意を覚えました。
(僕は大藪春彦マニアでもあるので)
でも落ち着いてくるとなぜかもう一度観たくなり、いつの間にか劇場に行ってました。
結局、劇場で5回は観たでしょうか。以降レーザーディスク、DVDを合わせれば数え
切れません。あの作品は殆ど観るドラッグです。
優作さんの演技の凄さとは今更僕などが言うのもおこがましいですが、どの作品でも
松田優作そのものでありながら、でも『野獣死すべし』では伊達邦彦に、遊戯シリーズ
では鳴海昌平にしか見えなくなってくる所でしょう。
彼を真似る役者は後を絶ちませんが、物真似にさえなっていないのばかりです。
それも未だに『太陽にほえろ』か『探偵物語』ばかり。
『陽炎座』あたりは存在さえ知らないんじゃないのかな。
僕は役者に限らず少なくとも芸術やショービズに関わっている人には、ある種の狂気が
無いとダメだと思っています。
映画の場合なら、映像から狂気を感じる作品に惹かれます。
その点どんな静かな役をやっても彼が登場した瞬間、画面を支配する狂気が見えました。
『家族ゲーム』や『陽炎座』を観てもらえば分かります。
そして村川透監督作品で撮影が仙元誠三氏ならそれは更に倍増します。
針で突くと破裂しそうな緊迫感を画面に定着できる役者や、監督、カメラマンは最近の映画で
とんと見なくなりました。
(余談ですが、庵野秀明氏や押井守氏の作品に惹かれるのもその辺があるかもしれません。)
また、そうかと思えばハードな映像の中で異様に柔和な雰囲気になる時も魅力でした。
『処刑遊戯』の中でアンティークショップに愛用の懐中時計を修理に持っていく場面がまさに
それです。あの店主役の森下愛子さんの可愛らしさと言ったら!
それに対して一瞬だけ見せる殺し屋・鳴海の人間的な優しさはとても好きなシーンです。
『野獣死すべし』では小林麻美にだけ、心を開くというより情を移しかけるシーンがあります。
これは逆に原作以上に人間性を失っている主人公の狂気をより際立たせる結果になりますが。
この作品では共演者である刑事役の故室田日出男氏、これが映画デビューの鹿賀丈史氏が凄い
存在感を出しています。
しかし圧巻は当然、何かに取り憑かれたとしか思えない松田優作その人です。
特に室田日出男氏との列車内での対決ではルシファーの如き佇まいで魅せます。
日比谷公会堂のラストシーンは白昼夢の様に美しい。
これ以上の心に残るラストの映画は他に知りません。
原作とは全く異なるラストですが、この映画ではあれしか無かったでしょう。
『野獣死すべし』について書くといくらあっても足らないのでこの辺で。
彼の出演作は『蘇る金狼』以外の映画では、アクションシーンも意外に地味です。
全体に静謐とさえ言って良い空気を感じますが、それが却ってハードさを際立たせるんですね。
そこにいるだけで凄みを醸し出す存在感が無いと出来ない芸当です。
彼の不在でもう一つ残念なのは、二度と大藪作品の映画化が不可能になってしまった事です。
同等以上の役者など今の日本にはいませんし。
ーえっと、このままではただの映画の感想文だけになってしまうので、カルトなネタを
ひとつだけ・・・優作さんと言えばジーンズ、というイメージの方が多いと思いますが
その実際身につけていた遺品をお持ちの専属フォトグラファーをされていた渡邉俊夫氏が
『Daytona BROS』 002号の特集『日本一ジーンズが似合う男 松田優作』で紹介なさって
います。それが「HALF」とういうメーカーでウエスト29inch、レングス約90cm!!!
これでちょうど良かったそうです ∑(゚Д゚) ちなみにベルトはあまりしなかったとの事。
いずれにしても、リリー・フランキー氏の言葉で『日本の男には、松田優作が住みついた男と
そうでない男に分けられる。』というのがありますが、まさに同感です。
ところで、白状すると僕は少し前まで彼の奥さんである、松田美由紀さんをあまり好きで
はありませんでした。旦那の遺産をただ食い潰している様に見えたからです。
今思えば実に申し訳無い。
今回の「SOUL RED 松田優作―生きているのは、お前か俺か」のドキュメンタリー映画の話
を聞いてやっと理解しました。
彼女は20年かけて、散らばっていた自分の男の思い出のカケラを繋ぎ合わせていたんだ、と。
必ず観に行きます。これで自分の中の喪が明ける気がするから。
最後に、『野獣死すべし』の劇中でたかしまあきひこ氏による美しい挿入曲に乗せて
優作さんの朗読で流れる、何度聞いても鳥肌ものの萩原朔太郎の詩『漂泊者の歌』を改めて
彼に捧げたいと思います。
もしここまでお読み下さった方には、長々と駄文にお付き合い頂き感謝致します。
漂泊者の歌
日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後(うしろ)に
一つの寂しき影は漂ふ。
ああ汝 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。
ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。
ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊(さまよ)ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!