「ねぇ、さぁ、もう、そろそろ終わりでいいんじゃない?」


「そうだよね~、放射線60回近くしてるし。」


「そうそう、抗がん剤も21回もやってるんだって。」


「え~、全身の毛も抜けちゃったんでしょ。

暑い節電の夏、かつらかぶって毎週通院してたじゃん。」


「あ~、知ってる知ってる、

まつ毛がないから目を傷つけて流血してたね。」


「好中球も110個になったんだ、

正常な人だと2000~6000個いるんだって。」


「へぇ~、20か月もよく続けているね~。」


「親にも頼らず、

つらくても一人で通院したり入退院してえらいと思うよ。」


「もう行きたいホスピスも決めちゃったし、

潔いっていうか・・・涙でないの?」



昨日のあみっちは、夜な夜な頭の中でこんな感じの会話をしていました。





今、私は毎週、抗がん剤を投与する治療方法をしていますが、

昨日は、外来の化学療法センターで治療をしました。



丸山ワクチンのおかげか、自己免疫力のおかげか

それははっきりとはわかりませんが、

白血球数も正常、好中球数も正常、

クレアチニンも正常に戻り、CRPがやや高いものの

抗がん剤をするには、数値上はなんの支障もなくできる体でした。


しかし、治療終了後から強い吐き気と倦怠感に襲われ、

とても、ひとりで自動車を運転して帰れる状態ではありませんでした。


一時、産婦人科の外来に戻り、「制吐剤」のカイトリルの

点滴を入れてもらい、馴染みの看護師さんに悩み相談をしながら

帰宅ができるまでの回復を待っていました。

でも、全くと言っていいほど変化がなく、外来棟が閉まる時間に

なってしまったので、そのまま救急センターへ移動しました。


治療後に帰宅するつもりでいたのに、とても帰れる状態ではなく、

冷や汗がでてきたり、過呼吸になったり、

嘔吐物がのど元まであがってきたり・・・

連絡手段のスマフォも電源が切れてしまい、

娘にも連絡が取れず、かなり焦ってしまいました。


一度だけ電源を復帰して連絡が出来たので夫にメールをしたら、

6時過ぎには主人が病院に来てくれ、

「一緒に帰ろう。」と言ってくれましたが、


「これでは家に帰っても、何もできないどころか、

家族にお世話をさせてしまい迷惑をかけてしまいそう・・・」

そう思って、緊急の入院をさせてもらいました

いつもの病棟に7時過ぎにあげてもらい、

点滴、心電図モニター、サチュエーションをつけられました。

除脈がある心臓、放射線照射して呼吸苦がでる上気道、

明らかにハイリスク患者の仲間入りです。


娘はファミリーサポーターの方にお願いできたので、

まずは一安心、夫に自分の今の気持ちとこれからについて

精一杯、伝わるように真剣に話をしました。


彼は黙ってうなずいていました。


あたしがこれからどうなるかは、

どこの誰にもわからないから、

あたし自身の手で意志で、

わかっていることとわかってほしいことを

ちゃんと伝えておかなくてはならないと思っています。


疲れている彼に真意がどこまで伝えられたかはわからないけど、

「大好きだよ♪」と目を見て素直に言えました。

「うん、俺も大好きだよ♪」と返してくれた言葉で十分でした。


まだまだどうなるかわからないけど・・・











お癌様がやってきた!笑い薬( *~∇~)_θ で濃く生きる♪ 何があっても私はあたしっ!太陽のように明るく、向日葵のように上を向いて☆-1338294410939.jpg



長い闘病生活もつらいけど、

休薬期間があれば体力を回復させられたり、

抗がん剤に耐性がつかない期間をあけられたりできる。



食事・運動・メンタルヘルス・免疫療法など体力を

下げないようにお金も時間もかけて努力もしたけれど、

劇薬抗がん剤の長期連用で蓄積した副作用には

どうにも厳しいものがあると体感しています。


まだ書きたいことはたくさんあるけれど、

集中して20分間でここまでタイピングしたので疲れました。