【見るか見ないか、見てやめるか、、、】


昨日ブログに書いた田中好子さんの特別番組をしっかり観ました。

ちゃんと自分で受け止めて、最後まで見ることが出来ました。



1年8か月の間に、何人かのがん仲間の旅立ちを見送りました。

このアメーバーで、お気に入り登録しているがんブロ友さんの

未更新をわかっているのに時々のぞきに行く自分がいます。

先日もこのブログでおひとり婦人科腫瘍の方が旅に出られました。


わかっていることなんですけど、見るには勇気のいることです。

『初告白!初公開!秘蔵映像・田中好子最後の180日』

180という日数がどれほどのものだったのかと思うと切ないからです。


原発再発して、肺縦隔リンパ節まで転移して、水腎症がでている自分は、

見るべきことなのか、避けておくべきことなのか悩みました。

だって、未来の自分の姿だとわかっているからです。

でも、ちょっと考えて思ったのは、

私でなくても、さっき道ですれ違った高校生も、

生きている人間全員が行く道だから・・・

やっぱり特別なことではなく、見ておこうと思ったのです。



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【生きるための人生】


田中好子さんの人生は、

生きることを大切にした生き方だったように思いました。



19歳の弟を骨肉腫で亡くし、結婚して翌年には自身が乳がんに、

更に3年後に、義理の妹の夏目雅子を白血病で亡くしているのです。

19年間、乳がんを秘めながら、強く芯のある生き方をされています。

雰囲気は優しそうで柔らかい印象でしたが、

昨日の秘蔵ドキュメントを見て、力強くたくましい力を感じました。


「家なき子」では、特殊な血液を持つ心臓病の母親役。

その母親の治療費のために、娘は盗みや人を騙すことをして、

母親を想い、最後は母親が娘に最大の愛情を注ぐのです。


「神様、もう少しだけ」では、HIVに感染した娘を懸命に支える母親役。


ご自身には子どもはいなかったけれど、

母親役を通して子ども役をしてくれた

47人を心から愛していたと、メッセージを残しています。



抗がん剤などの脱毛で悩んでいる人のために、

かつらの無償貸与をする夏目雅子ひまわり基金 にも関わっています。


そしてご自身も生前の意向から田中好子“いつもいっしょだよ基金

設立し、東日本大震災で遺族にたいして、ひまわりがいっぱい書かれた

天使がまっている写真が入れられるモニュメントを

贈る活動に代えられています。




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【余命宣告は旅行の準備】


医師から余命宣告を告げられた時の夫の心境については、

本当に痛々しくなんと言葉で表現すればいいのか・・・

見ていて涙しかでてきませんでした。


医師が「奥様は長い間、歌手として女優として生きてこられました。

ご自分の幕引きはご自分でなさるべきかと思います。」と夫に言う場面に、

夫が余命宣告を自分からすると申し出たことも、

とても深く熱い絆で結ばれた夫婦だと思いました。



その後、余命宣告のリハーサルをするのですが、、、

「もしかしたら、夏も難しいかもしれない」と夫がやっとの思いで

医師に向かい言葉を発している、その声を遮るように、

「奥様の病状は思いのほか深刻です。GWも難しいかもしれません。」と

医師から更に生存の可能性を短縮された時の姿は耐えられませんでした。




その当時の様子を思い出し、カメラの前で涙して語ってくださる

その遺族の深い悲しみと大きな苦しみが切なすぎました。

20年間、共に寄り添い闘ってきたからこそ、心に残った傷を

癒すには、それ以上の年月が必要なのかもしれないと感じました。


その夫からの余命宣告に、田中好子さんは、

泣きながらも遺される夫の心配をしていました。

芯の強さがあり、心からの愛情の表われだと思います。






もし余命宣告の場面があるのであれば、早めがいいです。

夫にはプロポーズ以上に精根尽きることだから余命宣告は頼めません。

むしろ、子どもの精神的なケアをとにかく頼みたいです。



余命宣告は、主治医から客観的に冷静に具体的な数字をもって。

できれば笑顔でなんか美味しいスイーツでも食べながらがいいですね。

「そろそろ、旅行の準備しましょっか♪」と。




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【女優として生きて、女優として去る】


あの肉声のテープについても、色々考えることがありました。



「息苦しくなってきました。」とメッセージを涙声で締めくくっていました。

私は、息苦しさもあったけど、あれ以上話したら涙声になり、

泣き崩れてしまい田中好子という女優の役が

できなくなるって思ったのかもしれないと、勝手に読み取りました。



肉声のテープには、「みなさん、さよなら」とも入っていました。

自分の死を受け入れ、最後まで気丈に振る舞いセリフを言い切った、

そういう女優魂が感じられるメッセージだったと思います。





そして、余命宣告後に

「何かしたいことはありませんか」の問いに「女優」と答えていました。

そこまで演じることを愛し、女優という仕事に誇りを持ち、

亡くなる1か月前まで仕事をしていた事実を知った時は、

悲しむということを忘れ、尊敬と憧れの気持ちでいっぱいでした。





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【がんとラッシュ】



自分の死生観についても考えることができました。


ドキュメントの中で医療業界で使われている「ラッシュ(rush)」が出てきました。

ラッシュがきた、ラッシュ状態に入りました、と言われたら、

もう誰にもどうにもできない状態です。

つまり、免疫力が極端に低下することで、

がん細胞が爆発的に加速度的な威力をもって増殖して、

急速に全身状態が悪化して、成す術がなくなることです。



自分がラッシュ状態と言われたらどうしたいか、、、

エリザベス・キューブラー=ロスの死の過程 を勉強したけど、

あんなに理論的に段階を踏んで受容できるもんじゃないって思います。

わたしだったら、取り乱し泣き崩れ、黙り無になり、

暴れ泣きじゃくり、わがままを言い通し、できないことを要求し、

周りに当たり散らし、あやゆる医療行為を拒むかもしれません。

でも、これもあたしの自己表現なので見守ってほしいです。



私が思うのは、こうなってからは

余計な慰めや過度の延命行為はしてほしくないってことです。

疼痛緩和だけはしっかりしてもらいたいので、

医療麻薬のスペシャリストにコントロールしてもらい、

少しでも眠らずに起きていられる時間を増やしたいです。



あれが食べたい、これがしたい、ここに行きたいと思っても、

たぶん体力も気力も難しいところまで来ているので、

車椅子での座位や移動も苦痛を伴いそうだから、

どこかでやっぱり大事なことは意を決して

準備しておかなければいけないと思いました。



看取りを経験した家族を引き続きケアした時に、言われました。

こうすれば良かった、この治療はやめておけばよかった、

こんなこと言わなければよかった、あの時行っておけばよかった、

どんな形で旅立っても、後悔が付きまとうのが切ないと。



死の話って、ほとんどの人がしたがらないので

あいまいなことを多く残してしまうと、

死んでからもめることや争うことになるのが嫌です。

大事な人たちが自分のことで言い争うのは絶対に望まないから。

ちゃんと向き合い、話し合うことが大事なんだと思っています。



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【18歳の自分へ】




「死」、一番最初は18歳の現場実習中でした。

今も、実習記録を開くと出会って数日の方の死を受け止めきれず

どうにもならない自分への憤りみたいなものが

鮮明に素直すぎる表現で書き残されています。


「死をわかっていない」という感じの文章です。

相手の立場になっていないというか、

ただただ何もできなかった自分を責め、

どうしたら良かったのかと自問自答し、

結論がでないまま通常の実習体制に戻らなければいけない

そういう現実とはざまに立たされて葛藤していた18歳の自分。

「死」はまだまだ遠い、遥か彼方、泣くしかできない18歳。


あれから約20年くらいが過ぎて、

また全然違う死生観を持つことができています。

生きていることが素晴らしすぎて、明日が待ち遠しいです。


スタイルやちっぽけなコンプレックスで悩んでいたね、18歳。

人生はディズニーランドよりおもしろいんだから、

「一生券」を持っているうちに閉園時間まで楽しまなくちゃ損だよ。



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【愛しているよと言ってほしい】



「死は寂しいけど怖くない」と思った出来事があります。

一度だけ、抗がん剤投与後に急変して意識喪失したことがあります。

血圧が50まで低下して、心拍が30台でした。



息苦しく血圧が急激に下がる虚脱感があり、

異変を感じてナースコールを押してから、

どんどん体から力が抜け、楽になっていきました。

苦しかった胸の窮屈感や、体の強ばりがほどけていって、

眠くもないのにまぶたが閉じていって、息を吸おうとしなくても平気でした。

あの時に見た、キラキラな白いもやとか無色透明な空みたいなところ。


でも、耳だけはしっかりと聞こえているので、半分くらい覚えています。

すんごくうるさいくらいに耳元で「あみっちさん!あみっちさん!」と叫ばれ、

「あみっちさん、わかりますか!」と体を揺さぶられて、

「あみっちさん、目を開けてください!」とほっぺを叩かれて、

「2本目、入れて!」と右腕に針がぶち刺さる感覚で目が開きました。

なんの痛みも苦しみもなく、不思議な浮遊感を味わえそうだったんです。



ベッド周りには申し送り中だった医師達がずらっと並び、

AEDが準備されていて、担当看護師が天使のように安堵の微笑みを見せ、

同郷の病棟部長医が「俺がいるから、まだ行かせないよ」と

ドラマみたいなセリフを言ってくださいました。



聴力は最後まであるというのは、本当だったと思います。

聞こえているんだけど、返事ができない状態です。

呼びかけやお別れの言葉をかけるというのは儀式的なものだと

教科書を読んで、ずっとそう思っていました。


やっぱり聞こえていることを思うと、泣き崩れたりせずに、

ちゃんと「愛しているよ」とか「可愛いよ~」とか、

「今までうまい飯をありがとう」とか、

「つらい治療、勤勉に勤めてえらかったね」とか、

心を込めて言うことが大事だとも思いました。



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昨夜の田中好子さんのドキュメントを見て、

またたくさんのことを学べました。


あたしも、最後まであたしらしくあたしのできることを・・・

今しか、このあたしにしかできないことを大切にしていこうと決めました。



田中好子さんの、次の世界での活躍を期待し、

心からご冥福をお祈りしたいと思います。

ありがとうございました。


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