乳がんと確定されたのは6月11日
ここからわたしの人生は大きく変わった。
(ってまだ2ヶ月やけど!)

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乳がんと分かった日。
私には1番にしないといけないことがあった。



そう、私を生んでくれた。私を育ててくれた両親に
伝えること。


電話でいうか、メールにするか、会って伝えるか。
どーしようか迷ったあげく、
とりあえず「今日大事な話があるから帰る」とLINE



するとすぐに返信
前置きとして、私の両親は結構仲が良く、毎週火曜日はカラオケに行ってます。


なので、返信は
「え!まさか結婚⁈了解です。今日はいつものカラオケでーす」



結婚すると思ってない両親からのじょーだん。
そしていつもと変わらない母に、これから人生を変えてしまう両親にものすごく申し訳なかった。
カラオケは行けんやろーって思い、
「カラオケ行くどころじゃない。とにかく帰る」
とだけ返信した。




帰るまでの時間。



悲しませてしまう。
それだけが、自分が癌になったことよりも辛かった。
幸せな両親に涙を流さることにただただ悲しかった。



帰宅



いつもとは違う私の雰囲気を察し、
お父さんもなぜか口数が少ない。



実は二人の予想は、
仕事で何かやらかした。辞めないといけない。
だったらしい。



話を聞かないといけないと、
母が1人でどーしたと?ちょっと笑顔




「わたし、乳がんになった」



母絶句。




「なんてー!」といいながら、理解ができない
なんて言ったらいいか分からない母のことは
いまでも忘れられない。



でも親ってすごいと改めて思った。
これは私の価値観ではあるけれど…



泣くこともなく、とにかく
私の身体を心配しつつ、これから一緒に頑張って
くれることをただただ伝えてくれた。



泣き崩れられてたら、
生きて欲しい
なんてまだわからないことを言われたら
私は前向きになることはできなかったかもしれない。




だって悲しいのは私が1番。
泣きたいのは私。
だから2人が泣き崩れない強い両親でいてくれた
ことを私は心から誇りに思う。



救いだったのは母、父のポジティブさ。



運命は受け入れるしかないんやけん頑張ろう
5年後はこんなこともあったねーって笑ってるよ
治療費は心配するな。とにかく後悔だけはするな


などなど。とにかく前向きな言葉をもらった



私は小さい時死にかけたこともあったみたいで、
あんたは2歳で死ぬところだったから、今も儲けもん
泣いたって変わらないから受け入れなさい
でも無理はするな。




今覚えてるのはこのくらい。



でも、乳がんであることでどん底になった私を
救ってくれたのは両親。
普通とは違うかもしれないけど、こんなにも
泣くことが無駄だな。って思わせてくれたのは
この2人のおかげかな。



だから、両親よりも早くは死ねないなっと。
強く思えた。



治療がんばろー。




ただこの時、しこりも1.6センチだから
切って、放射線か。でも治るやろって軽く考えていた
私にどんでん返しが待っていた