2026・3月 乳癌発覚 非浸潤小葉ガン と告げられました

早期発見で良かった!と思いきや

医師から告げられたのは、『右胸全摘』でした

 

選択の余地はなく、全摘一択

 

ケロイド体質なので、胸元に大きな傷跡がついて

それがケロイド化した時のことを考えると

とても恐ろしいものがありますが

(若い時、ホクロが巨大化してきて痛かったりしたので、皮膚科で取ってもらい

メラノーマではないかどうか検査に出して貰ったことがある。

その傷跡がケロイド化し、どんどん広がり、今も痛かったり痒かったりする。)

 

せっかく早期発見できたガンです

 

さっさと取ってしまいましょう!

 

ガンを告げられた瞬間に脳内で1人会議

 

一緒に宣告を聞いていた横にいる夫と顔を合わせ

‎「手術します‎‎」

と二つ返事したのを覚えている

 

 

そうしてあれよあれよという間に手術日程が決まった

1ヶ月後

 

すぐに手術してもらえてラッキーだ

 

非浸潤が浸潤ガンになる前に取ってしまいたいから

他に転移する前に取ってしまいたいから

 

私はまだ50歳

息子も不登校の中2

長男もこれから大学院

 

まだまだ長生きせねばならないのですよ

やりたい事もたくさんある

 

という事で

あっという間に手術日が訪れ

手術は終わった

 

 

入院して手術まで記録はこちら

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

そうして術後2日目

痛みも無く傷跡も良好

ただテープに肌が負けてしまい痒いのなんの

一箇所水膨れになって破れてしまったようだ

優しい若い看護師さんがすぐに対処してくれ保護テープが貼られた

 

 

術後2日目の朝6:00前

看護師さんが傷跡を圧迫していた大きなガーゼを剥がしにきた

 

やっとテープの痒みから解放される‼️

 

いよいよ傷跡との対面だ

 

ガーゼを剥がしたのちに、こんな感じになってますが見れますか?

と看護師さんが言ってくれ、私は傷跡を覗き込む

 

思ったよりも傷は大きく無くえぐれてもいなかった

綺麗な平面になっていた

 

胸から腋のリンパまでひと繋ぎに傷がある?

不思議な感覚だ

 

看護師が去ったあと洗面所に行き鏡でしかと確認した

思ったほど悪くない

けども残った左胸とのアンバランスは半端ない

脇の贅肉は残っているが胸が綺麗に無くなっているので

姿勢によってはかなりえぐれて見えるかも・・・

 

うん。

やっぱりエグい

 

決して綺麗なもんじゃ無い

これがわたしの新しい身体となる

でも、なんだか進撃の巨人に出てくる無垢の巨人みたいだぞ

ある意味面白い

 

私はありのままの術後の姿をすんなりと受け入れた

 

傷は胸と腋の二箇所に分かれているようだ

だいぶん内出血している

 

身体の重さも左右違う

 

再建するつもりだがどうなるかわからない

ケロイドだけはならぬよう願うばかりだ

 

あとで夫に写真送ってあげよ〜

となぜか武勇伝のように心がはしゃぐバカな50歳

若かったら相当ショックだろうに

私はもうこの年なのでショックが無いのかも

それとも人それぞれかな

 

 

と書いていたら夫からLINEがきた

どうやら次男がずっと行けていなかった部活の土曜日練習に参加する気になったらしい

 

珍しく朝7時だというのに起きていた

びっくり

何があったのだ・・・

薬が効いてきた?

行く気になって良かった

 

息子の不登校についてはこちら

 

 

 

 

私は今まで大きな勘違いをしてきた

初期ガン、特に乳がんは早期発見の転移無しなら

そこだけ手術で取り除けば良いものだと思っていた

 

ところが、私のように腫瘍がたとえ0.8cmでも

周りに前癌状態の細胞があったり、乳頭に近い場所だったりすると

全摘手術になるようだ

勉強になった

 

 

 

写真を記念に撮ろうと改めて鏡越しに傷跡と対面

えぐれてるな・・・

結構グロいな・・・

という印象

 

これはちょっと痩せて脇肉減らさないと

かなり不恰好だぞ

じわじわと実感が湧いてきた

 

 

 


 

 

術後3日目

 

恐ろしく元気でピンピンしとる

傷口もさらに痛みがひき、手術したのを忘れそうなほどだ

内出血もだいぶ引いてきて、ドレーンから出るのも血液から薄い色へと変わってきた

 

人間の身体って凄い

切り刻んでも、数日で細胞を作り替え回復していく

なんと素晴らしい作りなんだ、と感動する

「はたらく細胞」みたいに色々な細胞たちの攻防が私の体の中で行われているんだろうな・・・

と想像してしまった

 

夜もぐっすり寝られ、いつもなら睡眠時間6時間なのでその時間には一度目が覚めてしまい、

二度寝するくらいだ

 

窓がうっすら明るくなりかけた頃に目覚めるので、

明るくなるまで見届けようかと窓の外を見ているのだが、

いつもそのうちまた寝てしまう

気づくと外は明るくなってしまっている

 

週末で一般患者さんが外来にいないチャンスで

外来を通っていかなければならないコインランドリーまで洗濯に行く

 

近くの院内コンビニで水やお茶、タンパク源をゲット

(病院のご飯はどうもタンパク質が少なめ)

暇すぎるのでお絵描きに使うペンとメモ帳もゲットした

そして癒しのコーヒー☕︎

 

何度か洗濯と買い物で行き来して歩けたのが嬉しかった

歩かないとなんだか身体が腐ってしまいそうだ

 

 

時間をあまりに持て余しそうなので

今日は<進撃の巨人>の映画版アニメを観ることにした

 

実は、冬に次男と共に見始めた進撃の巨人

2人でどハマりしてしまい数日でイッキ見したのである

見終わったあと、2人で色々と考察したりして

 

で、映画版もあることを知り、いつか見ようと思っていたのだ

こんなに時間があるチャンスはまたとない

一日中、進撃の巨人を観て過ごした

 

ガン手術後の私に幾つかのセリフがとっても刺さってきたので

それについてはまた後日したためたい

 

そうして術後3日目は進撃の巨人のおかげで暇せずに終わった

これは、明日からまた進撃の巨人のアニメ版をリピート決定だな

と目論みつつ日を終えた

 

 

 

 


 

 

 

 

術後4日目

 

朝6時起床

 

やはり9時に就寝、6時間後の3時過ぎには目が覚めてしまい、また空が明るくなるのを見届けようとするも、

途中で二度寝してしまうという・・・

 

今日は天気が良い

 

気持ち良さそうな外の景色を見ると、外に出られない自分が悔しくなる

きっと、重病で病院生活を余儀なくさせられている、特に若い人たちは、

相当な心痛を感じているのだろうな・・・と何もしてあげられない自分の無力さ、

世の中の無惨さに心が痛む

 

息子は不登校でも元気だし、外にも出られる

感謝して自分の命を大切に生きねばならない

私もだ

 

 

先生の回診

明後日、退院で良いんだもんね

明日、管を抜くからね

と、退院OKを

いただいた

 

ちょうど入院から1週間で退院出来そうだ!

やった!

 

 

不登校の次男は、今日が始業式

さすがに始業式は最初から登校したい

と前から言っていたが、気持ちは変わらなかったようで

朝から登校するようだ

 

 

以前は次の日学校へ行くと思っただけで、寝る時に緊張してしまい、

熟睡出来ずに朝には体調不良

という事がほとんどだったのだが

 

昨夜も3時間くらいしか寝てないけど緊張は無かった

と本人

朝もしっかり起きて、電話した時には朝食中だった

 

私が家にいないという通常とは違う環境になったので

息子も少々心境に変化でもあったのだろうか

 

始業式というまずいタイミングで私の入院が決まってしまい

可哀想だったかな、と心配していたのだが、

どうやらプラスに働いたのかもしれない

 

 

退院も決まった事だし、今日から退院まで、

進撃の巨人の2周目鑑賞する事にしようと思う

 

 

結局、1日中、アニメ進撃の巨人に没頭して過ごした

2度目なので、結末を知った上での鑑賞

どんなところでどんな風に伏線が張られていたのか、探りながら観る

 

そうか!

ここでこんな風にこんなに馴染ませてこのヒントを言わせていたのか!

などと、昨年、大学で学んだシナリオ演習にも繋がる学びがある

大学で映像科で学んでいるのだが

それには映像に関わるあらゆるジャンルの学びが含まれている訳で

こうして学んだ上で映画やアニメ、ドラマ、お笑い、いろんな映像で実際に見て学びが活きてくる

 

改めて、‎『進撃の巨人』は名作中の名作だな、と思う

進撃の巨人についての話もいつか書いてみたい

 

 

 


 

 

 

術後5日目

 

 

今日は雨降りだ

ヒカキンのYoutubeテーマソングが頭の中で流れる

 

 

明日の退院が決まったので、今日はドレーン(手術跡からの排液を流すチューブ)が取れる

やっとこの厄介なチューブとおさらば出来る

 

毎日朝方、起床前に看護師さんが溜まった排液を容器から捨ててくれていた

昨日1日で溜まった液は200mlくらい

貯めるバッグにメモリが付いている

 

最初の頃は思いっきり血液が流れ出ていたのが

だんだんと色が薄くなり透明感のある液体となる

どうやらこの透明な液に変わるのが順調に回復している目安らしい

 

 

胸の傷跡の下から腹部にかけてチューブがあり、テープで固定してある

手術した場所から少し下から新たに穴を開けチューブを出し排液している形になる

 

中がどうなっているのかわからないが、動く時に外してしまわないかと気を使う

移動する時は必ずドレーンのバッグを肩に下げ移動するし

下半身シャワーの時もシャンプーの時もぶら下げている

近くに置いたりぶら下げたりもするが、とにかく外れないように、

絶妙な距離と動き方をしなければならない

 

これが取れれば、本当に自由だ

普通に動けるようになる

良かった

解放だ

 

 

 

昨日、不登校中2になった次男と電話した

始業式、無事に朝から登校し、最後まで学校で過ごせたようだ

 

担任の先生や新任の先生とも無事顔合わせをでき、ホッとしたようだ

 

私がいない間に、彼はずいぶんと色々と考えていたようで、進学のために焦りもあるように感じた

また、新学期になったのを機に頑張りすぎて燃え尽きてしまわぬよう、

上手にバランスをとりながら過ごす術を身につけねばならない

 

明日には次男ともまた再会出来るので、共にじっくりと話し合いながら作戦会議だ

 

次男の話については、また別日に記そうと思う

 

 

とブログを書いていたら、朝6:30頃

主治医の先生に引きつられて、手術を担当してくれた若い先生達が数人

ドレーンを抜くために来てくれた

 

この先生達も、こうして経験を積んで、将来名医になるのかな

と期待しつつ、チューブを抜いてもらう

 

長男の同級生も医者を目指し医大に進んでいる子が何人もいる

そういう若い医師達には、勉強面を始め、いろんな努力が伴っているわけで

彼らのその医者になろうという立派な志と努力は報われるべきだ

そういう意味でも、私は若い医師に診てもらうことは嫌ではない

いつも、彼らの成長に協力するつもりで診てもらっている

 

今回の病院選びで、私は癌を初期発見してくれた主治医の病院を選んだが

ここは若い医師を育てる場でもある

 

親戚も夫も、そこで大丈夫か?と札幌市の有名な病院に行っては?

とちらっと言われたりもしたが、私はそう思わない

重症なら考えたかもしれないが

どんな名医でも初めての手術もあり、たくさんの経験を積んでこそ名医となった

私は長男の話を聞いて、医者を目指す若者達の苦労を知っている

その努力が報われて欲しい、これからの日本の医療を担う医者の卵たちに

是非とも頑張って欲しいと思っている

そんなわけで、この病院にお世話になった

 

ちゃんと主治医の監修の元

彼らは勤めを果たしてくれた

ありがとう

これからも皆さんを応援している

 

医者って、本当にどんなに頭が良くてもなれなくて、

息子のようにアンバランスな人間は絶対に無理なんだ

バランスよく全てをこなし

精神を制御し

タスクを効率よくこなす

いろんな能力が問われる

その上で、人格も慕われるものを持っていたらもう、完璧に近いだろう

本当に尊敬する

 

 

 

話が色々飛んでしまったが

そんなわけで、私はようやく自由の身だ‼️

 

かなり動きやすい!

 

床に落ちてしまった鼻かみティッシュもヒョイと拾い上げられるではないか

先ほどまでは、ドレーンの管をお尻で踏んでしまわぬよう

いちいち体勢を整えながら慎重に拾っていたのだから

 

夜もぐっすり寝られそうだ

寝ている時もドレーンを気にしながら数回目が覚めていたのだから

 

さて、何もせずに過ごせる入院最終日

今日も『進撃の巨人』ざんまいで過ごそう

 

 

 

 

 


 

 

術後6日目 退院日

 

 

長いようであっという間に過ぎた入院生活

今日、ようやく自宅に帰る事ができる

 

ドレーンが抜かれた後の傷跡を保護していた分厚いガーゼも外された

傷跡も良好のようだ

 

ドレーンが抜かれる時、実は身体からスポッと抜ける感じかな?

と想像していたのだが、ブスッと管を切った感じの感触だった

 

はて、傷跡にヒントはあるだろうか?とガーゼが取れた後を覗き込むと

T字の小さな切れ目が2つ並んでいた

 

なるほど。こんな風に切れ目を入れて管が通されていたのか

それならば、あの感触なのかもしれない、となんとなく納得した。

 

さて、朝ごはんまで2時間たっぷりある。

身支度を整え、進撃の巨人を観ながら朝食を待つ。

朝食後、退院出来るまで荷造りして待つ。

意外と早くに退室OKの連絡が来たのだが、迎えに来てくれる夫に連絡すると、

到着は遅くお昼頃になりそうだ。

 

このまま部屋で待っても良いが、なんだか落ち着かない。

11時ごろに1人で退室し、手術していない逆の手で重たい荷物を持ち、下へ降りた。

喫茶店があるので、コーヒーを飲みながら1時間ほど迎えを待った。

ここでも進撃の巨人を3話制覇した。

が、公共の場でオープンイヤー式のイヤホンはやはり音が聞きづらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

↑↑この2タイプを愛用中なのだが

一つもセリフを逃さずにしっかりと聞き取りたい場合

公共の場だと周りの音にかき消されてしまい、難しい

 

普段、何気なく使用する分には外音を取り込めるのがとても便利なのだが・・・

結局、この時観た3話はセリフが心に入って来なかったので、また見返したいところではある

 

4月末に新しく出るshokzのOpenfit Proというのが、ノイズ低減機能があるらしい・・・

こちらに買い替えてしまいたいがお値段が結構します・・・

(shokz、着け心地もよく快適、音質も良いのでお勧めです)

 

 

 

 

迎えが来てから自宅まで約3時間

車に乗る時は、右胸を摘出しているので、左側の席だとシートベルトが傷跡を圧迫してしまう。

傷が落ち着くまで、右側に座るのが良いだろう。

運転は右側席なので問題なさそうだ。

左を手術した方は、シートベルト問題を解決する必要があるかもしれない。

 

 

家に着くと、少しばかり散らかっていたが、1週間、夫と息子が頑張ってくれた痕跡がみられる。

落ち着かないのでさっさと片付けをし、部屋を整えて、ソファに横になる。

ずっと動いていたり、座ったままでいると、リンパの辺りが熱を持ち、硬くなり、パンパンで痛くなる。

そうすると休憩の合図だ。

横になったり、腕を心臓より上に上げて、リンパの辺りが落ち着くのを待つ。

 

やはり、家は良いものだ。過ごしやすい。

今日から少しずつ、身体慣らしだ。

毎年、この時期に窓拭きなど家の大掃除をするのだが、今年はもう少し後にならないと出来なさそうだ。

 

 

そうそう、入院する時に庭に残っていた雪が、全部溶けていた。

庭に昨年秋に植えた宿根草と数ヶ月ぶりの対面だ。

どれも生き残っていてくれると良いが・・・

宿根草、雪解け後はすっかり姿を消してしまっているものもあるので、新芽が出てくるまでどうなるかわからない物も多い。

早く庭仕事、出来ると良いな。

秋植えの球根が幾つか花が咲いていた。

 

 

リンパを一つ取っているので、術後はこちらの手の傷や感染に気をつけるように、と言われた。

ばい菌が入ると、やはりリンパが減っている分、身体が対処しきれない事が増えるのだという。

ガーデニングの時は特に気を付けねば。

採血や血圧を測るのも、反対の腕でしてね、という事だった。

あ・・・大好きなマッサージチェアもしばらくはお預けか・・・

残念😢

 

 

帰宅後、下着問題をどうするか考えた。

手持ちのユニクロブラトップはゴムがドレーン傷痕にちょうど当たってしまう。

ナイトブラはホールド力が強過ぎて、まだパンパンで固く痛いリンパが圧迫されてしまいアウト。

新しく揃える必要がありそうだ。

という事で色々検索してグンゼの物を通販で購入してみた。

アンダーゴム無し、背中部分のホールドも無し、前側のみパッドが付いて若干のホールド力がある物。

そんなイメージで探してみた。

使用感が良ければまたレビューを載せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1週間後、抜糸のために通院

さらに3週間後、生検の結果が出る。

 

この度の初入院にして初手術、初ガン体験。

今後どうなるか、とりあえずは、しばらく安静にして回復したい。

まずは、久々の全身シャワーからだ!

 

2026年3月

非浸潤小葉ガン になりました

以下はその記録と日記です







先日、がん宣告を受けた

以下、経過について記録する


2026 3/2 乳がん宣告を受ける

非浸潤小葉ガン ステージ0

リンパ転移無し 

ホルモン依存性 マイナス

HER2タンパク マイナス


全摘手術決定


2026 4/1 入院  

         4/2 右胸全摘手術・センチネルリンパ生検で1番胸側下のリンパを一つ取る

術後、薬物治療の予定


手術説明書には

ステージ1A

と記載



がん宣告って、こんなにあっさりとされちゃうもんなのだ

と拍子抜けしたのと同時に

どこかで自分は大丈夫だろうと過信していた部分があり

なんの心の準備もしていなかったので

まるで夢を見ているような感じだったのを思い出す


まあ、定期的に人間ドックを受け、

数年前から異常を指摘されていたので、

早期発見ではあった


2年前の細胞診検査では、1回目に判別が出ず、

2回目で陰性との結果になった


半年後の経過観察検査では

怪しい細胞が無くなったと言われたのだが

今後も定期的に検査を、とは言われた


その後、さらに半年後

人間ドックでまた再検査を勧められた

同じ場所

やはり消えてはいなかった


今度は地元の病院で検査

1年前の細胞診で陰性だった事もあり経過観察する事に


その後1年経ち、再度確認してみましょうとの事で

2年ぶりに再び細胞診検査


結果は陽性だった


再度、検査をしてくれた医師に感謝せねばならない


当の本人は1回目の結果もあり

呑気に構え、ガンだとは思っていなかったのだから


早期に対処出来る事になったのだから本当に良かった



窓からの夕焼け空と山並み





入院日初日

病棟について、しばらく待ったのちに病室へ通される

昼食を取ったのち、午後に麻酔科の説明を受ける


暇でしょうがない‼️


私はじっとしていられない性分なんだ・・・

なので、本やらお絵描きセットやら、iPadやら持ち込んできたのだが、

間がもたん・・・


なのでブログを書いている


明日は何時に手術になることやら、術後はこんな呑気なことは言っていられないだろうが、

今日はまだ元気なもんで。

お昼に病室に入ったら、ホント何時間暇なのだ!って感じである



術後数日経ったら、また元気にこんなことを思えるようになるのだろうか


私は自分が癌になったのは肥満が原因だと思っているので、これから本気でダイエットに励まねばならない

独身時代、食が細く虚弱体質で、もっと太らないとダメだと言われたのが、

結婚を機に食事が増え、出産と共に栄養バランスよく食べ始め、

全く筋肉のない身体には脂肪がどんどん蓄積された


今回の件で、20キロは落とさないと命の危機を感じた


あまりに暇なので、病室内でスクワットをしとる

(個室なので)

個室じゃなかったら、廊下をうろうろ歩き回ってやろうと思っていたのだが、

どうもこの病院では廊下はうろうろできないっぽいじゃないか

とてもそんな雰囲気じゃない

ほとんど人が歩いていない・・・

しょうがないので狭い部屋でうろつくしか無いじゃないか・・・


退院まで、まじでこの"暇"に耐えられるか心配だ😟



と、したためていたら、乳腺外科の若い先生達が挨拶に来て去っていった

実にサラッと、明日よろしくお願いします~って


患者は自分で頑張れることは何もなくて、せいぜいコンディションを整えておくぐらいしか出来ないのだ

医者に全てを委ねるしか出来ない

なんとも不思議な感覚だ


外はとっても良い天気


こうして空を眺めていられるだけでも本当にありがたい事なのだ

自分だけでなく、いろんな人に助けられて、自分の命がある


親から命を授かり産んでもらい、親をはじめ沢山の人たちに育ててもらい、教えてもらい、

こうして成長して、また自分も命を育む側となり、さらに教えられ、助けられ。


本当にありがたい事だ


命を粗末にしないよう、心して健康な身体づくりに励まねば


入院1日目は、昼、夜、普通食で過ごす

術後も次の日から普通食に戻るそうだ


いつも病院食のコメが多くて食べ切るのに苦労するので、今回はコメを110gの一番少ないのにしていただいた

家でも毎食、100gしか食べていないので

(なのに肥満な私って何なのだろう・・・💦

よほど運動不足なのだな・・・)

おかげで全部の食事を気持ちよく完食出来る感じになって調整していただけ助かった


夕食後、暇ではあるが、幸いこの日はファイターズの試合があり、大好きな北山投手が先発だ

TVで試合を見守って時間を潰す


が、やはりじっとしていられなく、部屋でうろうろ動き回っていた


そうして試合が終わる前に消灯時間


仕方なく就寝した



個室にしていただいたおかげで、空調も自分に合わせて変えられ、静かなのでしっかりと眠ることができた

家では夫と寝室が一緒で、夫のいびきで寝られない事もしばしばだが、1人は実に快適だ

だが、病院のベッドと枕なので、首や背中が痛くなり、何度か目が覚めたが、許容範囲だ




窓から見える空と街並み







手術日当日


6時に起床


先生の回診が6時からと言われていたので、しっかり起きた

看護師さんが来てトイレ回数や血圧・体温チェック


乳腺外科の病棟だけで50人も入院しているみたいだ

医療に携わる方々には感謝しかない


さて本日は

手術予定がお昼頃なので、それまではたっぷりと時間がある

という事で

手術日は絶食でする事もないので手術前にシャワーを浴びる


呼ばれるまでは自由時間だ

ゆっくり過ごす



結局、予定から1時間ほど遅れて呼ばれ、看護師さんと共に手術室へ。

たくさん並んだ手術室の中央にある、医療器具とスタッフが溢れた広い通路を通り手術室へ。

麻酔の点滴が始まって間もなく、いつの間にか意識が飛んでいた。


術後、不思議と麻酔ってちゃんとしたタイミングで切れるように調整できるものなんですね。

終わりましたよって起こされて、ベッドを移動させられて、

先生からはリンパの転移はありませんでしたよ!

って声をかけられた。


朦朧とした中、部屋までベッドが運ばれる。

生きて帰られた。先生たちありがとう。

転移なくて夫も子供も安心だろう、と思ったのも束の間。



ここで、私に大問題が発生したのです。



麻酔が覚めた時から、実は、

ものすごい尿意

を感じたのです。


あれ?尿管入れているはずなのになぜ?


痛いとか、終わって安心したとかよりも何よりも、

私が思ったのは


膀胱破裂しそう‼️


だった



こんな人いるのか?

いや、担当してくれたベテラン看護師さんも初めてみたいだったぞ。



部屋に入って30分は我慢したが、どうもおかしい。

我慢の限界。

マジで、傷の痛みよりも膀胱!尿意!


ナースコールしてみてもらい、管がテープで固定されていなかったから流れが悪かったかな?

と調整してもらう。

しばらく待つが、一向に尿意が治らない。

膀胱破裂寸前の感覚。



1時間耐えたが、やはり改善されず限界だ。

またナースコール。


また管を微調整。

少し出たようだ。

だが、まだまだ。

まだ膀胱はパンパンの感覚。


異物が体に入るとすぐに拒否反応を起こす私の身体のことだ。

管に違和感があるのかも。

と、看護師さんは痛み止めの点滴入れてみる?と試してくれた。


程なくして、猛烈な尿意からようやく解放された。


本当に耐え難い苦痛だった。

傷の痛ではなく、尿意が❗️



ほんと、なんなんでしょう・・・恥ずかしい🫣




と、部屋に戻ったのは3時30分ごろ

尿意からやっと解放されたのは5時過ぎだったかな?



こんなに長い時間、膀胱破裂しそうなのを我慢した事が無かったので、苦しかった。


お腹がゴロゴロ鳴りだして、どうやら内臓が動き出したタイミングで、膀胱も動いてくれたのか?

内臓が動き出したタイミングで、激しい尿意からは解放された




で、尿意に解放されてから、今度は傷の痛みに悩まされるのかな?

と覚悟していたのですが、

なんにも痛くない‼️



ちょっと筋肉痛かな?くらい。



痛み止めが効いているのかどうか。

ピンピン元気なんで、ずっと横になっていなければいけないのが辛すぎて。



1時間寝ては目が覚める、を一晩中繰り返す。

でも。

尿意がなくなっただけで、私には天国だった。

消灯時間までは、手元に置いて貰ったiPadでファイターズの中継を見て、

あとはひたすら、うっすら寝ながら暇を潰した夜だった。






入院中の点滴と点滴ポンプ






手術翌日



時計を見ながら

あと⚪︎時間、あと⚪︎時間・・・

6時過ぎに先生が回診に来てくれるというので、カウントダウンしながら待った。

じっと横になっているのが辛すぎて、異常に長く感じた。


私も子供と同じく多動なのだ。じっとしていられないのだ。


7時前に先生が来てくれた。

傷口は問題無し。

あとで看護師さんが点滴と管を取ってくれるから、動けるようになるよ、と。


ホッとして看護師さんを待つ。


8時前に看護師さんが来てくれた。

トイレまで自力で歩ける事を確認し、やっと解放‼️

自由だ‼️

Freedom‼️

まるで、ショーシャンクの空に のラストシーンのような気分だった。



自力で思うように動ける事が、こんなにもありがたい事だったなんて。

改めて、動ける身体と自由に感謝した。




そうして、ゴロゴロなっていたお腹と背中がくっついちゃいそうなくらい空いてしまった胃へ、

1日ぶりの朝食をいただいた。

ご飯を食べられたのにもめちゃくちゃ感謝した。




さあ、これからは自由の身。



下半身シャワーok、洗髪okとの事で、さっぱりするとしよう。



あとは、リハビリ兼ねて、家から持ってきたお絵描き道具で、

お絵描きでも楽しむとしよう。



病棟内だけ動いてオッケーなので、エレベーター前に来てくれた移動販売でお茶と水、小魚スナックを調達

そして誘惑に負け、甘いものが欲しくなり、豆大福を一つ

美味しかった



腕を動かすリハビリと、足腰を動かして身体がなまってしまわないようにした


暇つぶしにiPadで博士ちゃんのドゥブロヴニク特集を観る



死ぬまでにやりたい事リストに

新たな願望が加わった

✍️ドゥブロヴニクに行く‼️



日に日に増えていくやりたい事リストを果たすには、まだまだ長生きせねばならない


息子もまだ中学生

長男は成人はしたけども、まだまだ一人前とは言えなくて心配だし、何よりもっともっと家族と共に時を過ごしたい


発達障害の息子2人をしっかり社会に適応させてからでないと、生きられる道を息子たちが見つけた後でないと、安心して離れられない


最悪、家族と一緒に時間を過ごせたなら、納得いくまで過ごせたなら、それだけで願望は果たせたと言っても良い


それが私の一番の願いだから


もっと自分の身体を大切に、自分と家族のために過ごそうと決意した




明日、術後2日目は、

いよいよ傷跡を圧迫しているガーゼが取れる


新しい身体と対面だ

(といっても、傷跡をみられるかどうかは不明)



続きはまた後日。







最後に

皆さん、人間ドック、受けましょう!!

小さな異常が見つかって、余計な心配が増えるデメリットもあるのは確かですが、何よりガンは早期発見が一番。


周りで何人も癌で亡くなってきました。余命宣告された時の残酷さも目の当たりにしました。お見舞いに行った直後に亡くなった方もいました。

癌は発見が遅れると命取り。

わかってはいても、私のようにどこか他人事に感じてしまう。


けど、後悔しても遅いのです。

是非とも、健康診断を受け、更には要再検査の時には必ず受診してくださいね。




乳がん体験記 後編はこちら




2025年 11月の終わり頃

息子の突然の告白から始まった不登校


4月になり、とうとう息子は中2になってしまいます


その第一話はこちら『中1次男が不登校になりました…その時は突然やって来る』昨年の11月の終わり頃中1次男が突然不登校になりました。予兆も何も無く突然に。本人は学校へ行きたい部活もいきたいなのになかなかいけない。かれこれ4ヶ月経ちまし…リンクameblo.jp


ざっと経過を説明すると

まずは落ち着くまでかかりつけの小児科の先生に相談し

健康上の問題が無いことを確認

不眠改善に取り組み始めたのが12月初旬


息子とじっくり話をしながら、何がどう問題なのか見極めつつ、どうやら問題の根本には

息子の発達障害が関係していそうだ、という事で

精神科か心療内科を受診したほうがよいという判断に至り

予約を取ったのが12月半ば


予約は一ヶ月後の1月下旬


初診察では

紹介状の内容から、心理検査(発達障害の診断に用いられるもの)を受けましょうと言われ、テスト受診が2月の初旬。


結果説明と2回目の受診が2カ月後の3月下旬。


ADHD多動と、ASD傾向が見られるので、薬を飲んでみませんか?という事で、ストラテラを飲むことになりました。


はじめはインチュニブを処方されたのですが、息子はウェレケバッハ房室ブロックを持っているため、インチュニブが服用できず…。

私のイメージでは、インチュニブが一番穏やかで依存性も無いのかな?と思っていたので、服用出来ずに少々残念ではありました。


薬の服用に関しては賛否両論と飲む飲まないで好みが分かれてしまうところではありますが、

我が家では、息子の様子が本人の意思とは相反して制御できずに困ってる部分が多々あることもあり、

薬の力を借りる事に。


大好きな部活も、相当ストイックに練習に励み、自主練を欠かさない真面目さ。

勝利への貪欲さ。

とても良いものを持っているのに、緊張のあまりに力が出せない。

試合に行くと思っただけで、緊張して具合が悪くなる。

心臓がバクバクし、パニック状態に近いものが出てしまう。

時が経つにつれ、前日の夜も眠れなくなり、顔が勝手に動いてしまうチック症状みたいなものが出てくるまでに。

試合だけでなく、練習にも気軽に参加できなくなってしまった。


バスケットボールが大好きなのに、個人での練習をすることしかできない。

もどかしい日々が続き、本人も不安と怒りと焦りが募る。


認知行動療法も必要かと考えているが、今の主治医はまずは薬からという方針で、まだそこまでは辿り着けていない。

私の持ってる書籍、認知行動療法に関するものを読むように勧めても、

現在は本を読むのも少々困難。


勉強もよく出来るので、都市部の高校へ進学希望だった。

でも、今は教科書を見るのも嫌で、全く勉強する気になれないようだ。

ペンを持って字を書くのが辛いらしい。


なかなか前へ進めずに、本人は相当辛いだろうなと思う。


最近増えていると言われる不登校


学校のシステムを見直す時が来たのでは?と思う


特に公立では、全員一応に同じ課題が課せられ、強制的に提出を求められる

長男の時はすでに習得済みの事ばかり中学で習っていたのもあり、

課題提出が本当に時間の無駄でしかなく、苦痛だったみたいで。

長男はハートが強く自己主張がかなり強かったので、先生にはかなり反抗して課題も出さずにいた教科もあったみたいです。

そのせいで、テストがどんなに高得点でも、相性の悪い先生の教科では成績が最高点になる事は無かったですけど・・・


そういう、自分の主張を押し通せる強さみたいなのがあったので、長男はおなじくADHDでも普通に学校へ行けていたのだと思う。

おそらく、自ら過ごしやすい環境へと自分の力で主張し調整していったのでしょう。

次男には、ASD要素もありその強さは持ち合わせていません。

むしろ、無理に周りに自分を合わせようと苦労してしまう。

そこで小さなストレスや失敗経験からくる心労と自信喪失がどんどんと積み重なったのでしょう。

今になって、耐えきれずに症状が出てきたのでしょうね。


ただ、次男も長男と同じく、クラスメイトからは慕われており、

クラスを引っ張る存在として頼られているみたいではある。


状態がわかってきたので、今度は対処法を取得していかねばなりません。

息子の人生、これからですから。

生きていく術を身につけねば。


発達障害と言いますが、これってほとんどの人が持っているものです

あるところとあるところの能力のバランスが崩れていて、その強弱で困難さが出る人でない人がいる

性格によっても、気にする人しない人がいる


ほとんどの人が気づかずに過ごしているだけ


周りとの相性や環境の相性も大いにある


我が家の場合

・多動への対処

・過集中への対処

・完璧主義への対処

・不器用の対処

・ワーキングメモリの不足を補う


色々とやる事があります


焦らずに一つずつ



今回の件で、次男への理解が深まり、改めてしっかりと向き合う機会となったので、逆に良かったと思っています

同時に、これは、タイプが似ている自分、私自身と向き合う機会でもあります


親子で共に頑張って克服しようと思います


幸い、田舎なのもあり、学校も先生も割と話せば理解ある事が多い

長男の時よりも先生方も今どきで理解がある

時代も不登校や発達障害に関しての理解が深まっている

長男が中学生だった7〜9年前よりはかなりありがたい世の中である事は間違いない


北海道では、2028年度から高校受験に際しての内申点表に出席日数の欄が無くなるそうだ。

息子がちょうど受験の時だ。

助かった。

時代の追い風を味方に、次男にも自分の希望を叶えて欲しいと願う。







心理検査について



息子が受けた心理検査は

・WISC–V

・AQ–J

・Conners


次男の主治医は詳しい説明はしてくれませんでしたが

長男が以前の違う病院で検査を受けた際に、先生が詳しく話してくれた説明によると


WISC–Vで出る各能力の差

・言語理解

・視空間

・流動性推理

・ワーキングメモリ

・処理速度


それぞれの能力間でのレベルの差や

一つの能力内での分野ごとの能力差が大きれば大きいほど

能力の乖離ゆえに生じる困難が生じてくる

それゆえに日常生活に支障が生じる

日常生活に大きな支障が生じ、自力で対処が難しい状態だと

発達障害との診断がおりる


との事で


長男の場合

能力差がもの凄かったのですが、それを自力でなんとか解消して過ごす事ができていた

ゆえに診断は出しませんよ

と言われました


次男はそこまで差が大きくなくとも、登校困難という障害が出てきてしまった

ゆえに診断がおりた

とでも言いましょうか

私はそう解釈しています


次男はワーキングメモリが平均値ではありますが

その中で視覚情報に対するものと、聴覚情報によるものとの差が大きいようです。

確かに、息子、音を聴き分ける能力に長けているんですよね。納得の結果です。


上位の数値が出ている言語理解との差が大きいのが処理速度。

31ほど差がありました。

処理速度が遅いゆえ、どうも家庭科の実習や美術の実習が苦手なのね。

だからいつも行動がゆっくりなのね。

それだから、部活等で身支度などのみんなの行動スピードについていくの大変よね。

と、納得がいったのでした。



不得意分野がはっきりとわかった事で対処もできるようになります

これからの課題です









私が認知行動療法に使った本がこちら

臨床心理士の方とこれで行動療法に取り組みました