トルコと樫野埼灯台☆ | ままゆう☆の気まぐれ色んなブログ&時々ブログネタ☆

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息子は今年中学2年生に☆
「一緒にお出かけをしてくれる内は、沢山の体験をさせて沢山の思い出を沢山の引き出しに詰め込んで欲しい!だから、週末は家族の時間」←中学生になるとそうも行かない事が多々(笑)
これからも、ままゆうの気まぐれにお付き合い下さいませ♪

3月30日(土)
潮岬灯台を後にして、ここまで来たなら♪

トルコとのゆかりのある場所♪

明治23年9月16日
台風で荒れる海でも帰国を望んだオスマン帝国(現トルコ)の船。

その船は、荒れた台風にあおられて、この樫野埼灯台の下で座礁したのです。

その救援・救護に全力を尽くしたのが串本市の人々。

この記念館には沢山の想いが込められています。





この辺りに今現在も眠る
「エルトゥールル号」



1966年(慶応2年)造る事を決定し、
1870年(明治3年)6月に点灯。
日本最初の石造灯台です。

座礁し沢山の犠牲者がいる中、エルトゥールル号の船員が、救いを求めて、この灯台への岩壁を登ってきたそうです。









ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像

近年、この地へ再建された様です!

日本の新潟県柏崎に「トルコ村」が出来ると、トルコでは軍服像であるムスタファ・ケマル・アタテュルク氏の騎馬像を当時の日本の情勢を考え、軍服ではない正装で贈られてきました。

軍服でないムスタファ・ケマル・アタテュルク氏は、この騎馬像だけだそうです。
しかし、トルコ村が閉園になり、以後、トルコでは英雄で、とても大切な方である騎馬像の扱いが無惨な事になっていたそうです。

沢山の複雑な経緯を得て、一度、トルコの手に戻り、再び再建されたのが、トルコとのゆかりの強い、この串本市の樫野埼灯台。







この樫野埼灯台は、沢山の歴史を見て来ているんですね。

「エルトゥールル号」での生存者は日本より無事に帰国され、その後の日本とトルコの関係は、素晴らしいものとなっています。

イランイラク戦争では、「エルトゥールル号の恩返しです!」と日本人をイランイラクより脱出を助けて下さったトルコ。

本当は、もっと詳しく書きたかったのですが、記事にするには文章力のない私には、まとめられないので敢えて控えさせていただきます(^_^;)
今はネット社会☆
「エルトゥールル号」「樫野埼灯台」「ムスタファ・ケマル・アタテュルク氏」の詳細はインターネットで検索して見て下さいね(○´∀`○)


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