ある日のこと
開かないままテーブルの上に置き去りにされていた冊子を
ぱらぱらとページを繰るため、手にする。
間もなく、ひとつのページに手が止まり、目も留まる。
もし、私が一人の生命の苦しみを和らげ、
一人の苦痛をさますことができるなら
気を失った駒鳥を
巣に戻すことができるなら
私の生きるのは無駄ではない
(エミリ・ディキンスンの詩)
と、その詩を、
文章を書いた宮本輝氏の想いも重ねてあるかのように
読み解かれていた。
このとき初めてエミリ・ディキンスンという女性詩人(アメリカ)を、
そして、ちょうど、映画『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』が
公開されていることを知りました。
映画を観たい!という衝動に駆られ調べると、、、
最初は、1か月先のことと手帳に記入し、その日を楽しみに
することにしたのですが、見えない采配は振られていたようで
早速!観ることができました~。
(何気なくもう一度調べてみたら、他の観に行ける場所を見つけました)
エミリ・ディキンスンという詩人は、
以前このブログでも取り上げた「シモーヌ・ヴェーユ」と
『死の棘』(島尾敏雄著)で書かれた女(ひと)「島尾ミホ」と
重なる何かがある印象を受けています。
が、それが何かうまく説明できそうになかったのですが
今朝のことです。
新聞に、
「厳しい現実に投げ込まれても、どんな立場の人も
再スタートできるようになってほしい。
人生より素晴らしいものはないのですから。」
という文章を見つける。
エミリ・デイキンスンもシモーヌ・ヴェーユも
島尾敏雄&島尾ミホも
厳しい現実に投げ込まれたどんな立場の人でも
再スタートできること、差し伸べる手があることを
伝えているような気がしています。
誤解を恐れずに言えば、厳しい現実の現実は、
体験したものでなければ、わからないものであることを
『シモーヌ・ヴェーユの生涯』(大木健・著)を読んで理解した
わたしは、わたしも
手を差し伸べる人になりたい、と同時に
ひとりひとりが差し伸べられる手をもっていることを
伝えられる人になりたい・・・・・・。
わたしの想いを、懸命に、言葉にしてみました。
まだまだお伝えしたいことはあるのですが、
なかなか言葉になりそうにありません
が、少しずつでも言葉にしていきたいと思っています!
ここまで、拙い話にお付き合いいただきまして、
ありがとうございますm(__)m。懲りずに、
また、おつきあいいただけましたら、嬉しいです
寒くなり、台風の接近もあるようで、皆様どうぞご自愛くださいマセ。
本当に、ありがとうございましたm(__)m