『カルタゴとハンニバル』 | ma-getsのブログ

アポロンです。11月チュニジアに行って来ました。

昔、カルタゴという国がありましたが、現在のチュニジアがその場所に当たります。

この国は、紀元前に大ローマ帝国と国が滅びるまで戦いました。その戦争は、ポエニ戦争と

呼ばれ、私達も良く知っているアルプス越えをしてイタリアに攻め入った、ハンニバル将軍で

有名な国です。

チュニジアの首都チュニスの近くにある、チュニス湖の東部に、今も崩壊したカルタゴの遺跡

があり、その丘から昔のカルタゴ軍港跡が遠望できます。

外海からの軍港への入口には、商業の街があり更にその奥に実際の軍港があったために、

そこが軍港の入口とは気付かれない造りになっていました。写真の椰子の木の先に、池の

ように光る軍港跡が見て取れます。

今回のチュニジアでの目的は、あの大ローマ帝国を、第二次ポエニ戦争におけるカンナエ

の戦いで、7万のローマ軍を包囲殲滅させ、1万人を捕虜にするという、あわやローマ帝国

を滅亡寸前にまで追い込み震撼させた、ハンニバルの祖国の風土を見てみたい一心での

旅でした。しかし結局第二次ポエニ戦争で敗北したカルタゴは、50年をかけて賠償金を

支払うことになりました、

しかし何と驚異的な経済回復で、カルタゴは賠償金を前倒しでローマ帝国に完済してしまい

ました。これに驚いたローマ帝国は再びカルタゴに恐怖を覚えて、カルタゴのヌミディア派兵

を理由に、殲滅を目的に再び先端を開きました。結局この第三次ポエニ戦争でカルタゴという

国は歴史の闇に消え去ってしまいました。

スースの市場で売られていた、干しイチジクの串刺し。

同じくスースの市場で売られていた、デーツ(干しナツメヤシ)。

近世になって、フランスの植民地だったチュニジアでは、フレンチではおなじみの、エスカルゴ

を食す文化が根付いたのでしょう。市場では、山盛りのエスカルゴを売っていました。

チュニジアは現在完全なイスラム文化圏です。この日の朝は早くから稲光りと雷が鳴り響き、

数時間ほど豪雨が降りました。グランモスクの中庭も雨にぬれて輝いています。これはカルタゴ

の守護バール神の歓迎だったのでしょうか。

この時、ハンニバル(バール神の恵み)の事を思い出しました。きっと、この地でハンニバルも

その昔、同じ稲光りや落雷の音を聞いたに違いないと。

               バール神