罪に落ちた瞬間4「女医の告白」からつづく
2000年11月9日
夫が東京から戻ってきた。
冴えない顔をしている。
「どうでした?」
「A子の症状を話して医療ミスの訴訟が起きた場合のことを
聞いてきたよ」
「毒は?」
夫はあきれたような顔で私を見た。
私はかっとして夫をなじった。
「まさか聞いてくるのを忘れたわけじゃないわよね?!」
夫は疲れた顔でため息をついた。
「話だけでは判断できないそうだ。責任逃れを考えていると思われた
だろうな。荒唐無稽な話をして・・」
責めるような口調がむかつく。役に立たない男だ。
「そんなもの、証拠が無くてはダメだそうだ。
いくら警察だって怪しいくらいじゃ捜査はしてくれんだろう」
「どうするの?毒じゃないとしたら・・。
医療ミスだと訴えられてもいいの?!
もう終わりだわ。何もかも!」
ヒステリーが起こりそうだ。頭痛がする・・。
11月13日
日本小児科学会がインフルエンザ脳症・脳炎における禁忌薬の発表をした。
クリニックで使用していた鎮痛剤が含まれている。
てんかん発作の既往症のある脳性まひの4才の男の子の手術があった。
電極埋め込み手術後21時半に意識障害を起こし、喉の吸引をした結果
酸素飽和量が上がり、一時間ほどで回復した。
(2001年3月殺人未遂事件として逮捕)
また夫と口論になる。
何故、クリニックを始めたかということになると、夫は不機嫌になる。
「もううんざり。
あなたは大学に逃げればいい。でもそれでは済まないわ。
大学だって、このクリニックの医療ミスの裁判が始まったら
無傷じゃすまない。それだけじゃない。あなた、首よ」
次第に声が大きくなって止まらない。
夫が叱りつけるように遮る。
脳裏にA子の両親の顔が浮かぶ。
両親共に医療関係者だ。
彼らが請求する慰謝料はどのくらいになるのだろう?
国や宮城県から莫大な研究費を受け取りながら
13億円もの負債を出しているクリニックがこの上、
背負う慰謝料はA子だけで済むのか。
その前に5才の男の子が・・
これまで亡くなった患者の家族も押し寄せてくるかもしれない。
「どうするつもりなの!何とかならないの?!」
「こちらのミスとは限らないだろう。市立病院とは話し合ったのか?
明日連絡して打ち合わせの日を決めろ。俺も行くから」
夫は言い捨てて部屋を出て行った。
11月14日
市立病院へ連絡。30日のアポを取る。
11月24日
午前中、89才のS子さんが亡くなった。
非常勤のN院長が心筋梗塞の診断。
(2001年1月26日殺人事件として逮捕)
午後、外来で点滴中の45才の男性が抗生剤ミノマイシンの点滴後、
呼吸が苦しくなり、脱力感に襲われ、めまいを訴えたという。
(2001年3月殺人未遂事件として逮捕)
点滴終了後のN院長の診断はミノマイシンの副作用。
私も触診、聴診をし、同じ結論に達した。
ソルコーテフ投与、酸素吸入。まもなく回復し、自分で運転して
帰宅。セレスタミンを3日分処方した。
11月28日
特別養護老人ホームから誤飲性肺炎で入院してきた76才の患者さんが死亡。
クリニックは延命治療をしないことを条件に受け入れをしている。
治療が出来ないのに、受け入れ、看取らなくてはならないこちらの
身にもなってほしい。
せめて安らかにと願う。
川崎協同病院の女医さんの気持ちが分かるような気がする。
(つづく・このお話はnekomanekiの妄想です)
nekomanekiの独り言
裁判で、女医は11月13日には、この男の子の急変を疑い、
誰にも見られないように病室から点滴ボトルを持ち出し、夫に手渡し、夫が
リハビリ室のフリーザーに保管、その際に夫から「ブルート」とささやかれ、
証拠のために血液を保管しろと言う指示だと思い、担当医に指示。
担当医は通常の検査を看護師に指示、看護師は採取した血液を3本外注検査会社
へ送った。
女医は帰宅前に冷凍庫に保存されているK男と書かれたスポイトを夫に渡し、
夫が点滴ボトルと共に冷凍保存し12月3日に警察へ提出したと証言している。
これも鑑定資料は全量消費。物証と被告を結びつける証拠や証言は無く、
自白も無い。
そして、女医自身が書いた12月4日付けの文章がある。
この患者の紹介元にあてたもので「手術は特変なく終了いたしましたが、
術後しばらくしてから急にチアノーゼ、意識レベルの低下が発現、応急処置
にて事なきを得ましたが、あるいは喀痰による窒息かてんかん発作とも
考えられました。以前に一時間以上発作が止まらなかったことがあるとの
ことで、脳波を取りましたところ、両側後頭部中心に鋭波が頻発して
おりました。私としましては、抗てんかん剤を投与して治療した方がよいと
思っておりますが、よろしくお願い申し上げます」
また、この男の子は7月28日、12月16日にもてんかん発作を起こしている。
また、24日の殺人事件(?)では、女医は急変を聞き、誰にも見られない
ように病室に忍び込み、点滴スタンドから点滴ボトルを外し、白衣のポケ
ットに隠し、医師当直室の冷蔵庫内の冷凍庫に保管し、12月9日刑事に
渡したと証言した。
しかし、19床しかないクリニックの急変時の病室には担当医やナース、
老人ホームの見舞い客などが出入りしていたのに、女医を見たという
証言は無い。また、女医は病室の様子や患者の服装、点滴スタンドの
位置などを全く記憶しておらず、答えることが出来なかった。
唯一の物証である点滴ボトルが、殺人事件とされた病室から保管されたと
する証言は女医自身のものだけで、鑑定資料は全量消費されて再鑑定は
不可能。被告の直接関与を示す証拠、証言は無い。自白も無い。
男性の事件(?)では、警察は12月5日か6日に医療廃棄物の中から
患者名の無い点滴用の生食ボトル3本を発見、これを男性のものと断定。
鑑識に依頼したところ、そのうちの1本からベクロニウムが検出されたという。
鑑定資料は全量消費され、この点滴ボトルの領置書、調査資料などは
裁判で明らかにされていない。被告の直接の関与を示す証拠、自白も無い。
2000年11月9日
夫が東京から戻ってきた。
冴えない顔をしている。
「どうでした?」
「A子の症状を話して医療ミスの訴訟が起きた場合のことを
聞いてきたよ」
「毒は?」
夫はあきれたような顔で私を見た。
私はかっとして夫をなじった。
「まさか聞いてくるのを忘れたわけじゃないわよね?!」
夫は疲れた顔でため息をついた。
「話だけでは判断できないそうだ。責任逃れを考えていると思われた
だろうな。荒唐無稽な話をして・・」
責めるような口調がむかつく。役に立たない男だ。
「そんなもの、証拠が無くてはダメだそうだ。
いくら警察だって怪しいくらいじゃ捜査はしてくれんだろう」
「どうするの?毒じゃないとしたら・・。
医療ミスだと訴えられてもいいの?!
もう終わりだわ。何もかも!」
ヒステリーが起こりそうだ。頭痛がする・・。
11月13日
日本小児科学会がインフルエンザ脳症・脳炎における禁忌薬の発表をした。
クリニックで使用していた鎮痛剤が含まれている。
てんかん発作の既往症のある脳性まひの4才の男の子の手術があった。
電極埋め込み手術後21時半に意識障害を起こし、喉の吸引をした結果
酸素飽和量が上がり、一時間ほどで回復した。
(2001年3月殺人未遂事件として逮捕)
また夫と口論になる。
何故、クリニックを始めたかということになると、夫は不機嫌になる。
「もううんざり。
あなたは大学に逃げればいい。でもそれでは済まないわ。
大学だって、このクリニックの医療ミスの裁判が始まったら
無傷じゃすまない。それだけじゃない。あなた、首よ」
次第に声が大きくなって止まらない。
夫が叱りつけるように遮る。
脳裏にA子の両親の顔が浮かぶ。
両親共に医療関係者だ。
彼らが請求する慰謝料はどのくらいになるのだろう?
国や宮城県から莫大な研究費を受け取りながら
13億円もの負債を出しているクリニックがこの上、
背負う慰謝料はA子だけで済むのか。
その前に5才の男の子が・・
これまで亡くなった患者の家族も押し寄せてくるかもしれない。
「どうするつもりなの!何とかならないの?!」
「こちらのミスとは限らないだろう。市立病院とは話し合ったのか?
明日連絡して打ち合わせの日を決めろ。俺も行くから」
夫は言い捨てて部屋を出て行った。
11月14日
市立病院へ連絡。30日のアポを取る。
11月24日
午前中、89才のS子さんが亡くなった。
非常勤のN院長が心筋梗塞の診断。
(2001年1月26日殺人事件として逮捕)
午後、外来で点滴中の45才の男性が抗生剤ミノマイシンの点滴後、
呼吸が苦しくなり、脱力感に襲われ、めまいを訴えたという。
(2001年3月殺人未遂事件として逮捕)
点滴終了後のN院長の診断はミノマイシンの副作用。
私も触診、聴診をし、同じ結論に達した。
ソルコーテフ投与、酸素吸入。まもなく回復し、自分で運転して
帰宅。セレスタミンを3日分処方した。
11月28日
特別養護老人ホームから誤飲性肺炎で入院してきた76才の患者さんが死亡。
クリニックは延命治療をしないことを条件に受け入れをしている。
治療が出来ないのに、受け入れ、看取らなくてはならないこちらの
身にもなってほしい。
せめて安らかにと願う。
川崎協同病院の女医さんの気持ちが分かるような気がする。
(つづく・このお話はnekomanekiの妄想です)
nekomanekiの独り言
裁判で、女医は11月13日には、この男の子の急変を疑い、
誰にも見られないように病室から点滴ボトルを持ち出し、夫に手渡し、夫が
リハビリ室のフリーザーに保管、その際に夫から「ブルート」とささやかれ、
証拠のために血液を保管しろと言う指示だと思い、担当医に指示。
担当医は通常の検査を看護師に指示、看護師は採取した血液を3本外注検査会社
へ送った。
女医は帰宅前に冷凍庫に保存されているK男と書かれたスポイトを夫に渡し、
夫が点滴ボトルと共に冷凍保存し12月3日に警察へ提出したと証言している。
これも鑑定資料は全量消費。物証と被告を結びつける証拠や証言は無く、
自白も無い。
そして、女医自身が書いた12月4日付けの文章がある。
この患者の紹介元にあてたもので「手術は特変なく終了いたしましたが、
術後しばらくしてから急にチアノーゼ、意識レベルの低下が発現、応急処置
にて事なきを得ましたが、あるいは喀痰による窒息かてんかん発作とも
考えられました。以前に一時間以上発作が止まらなかったことがあるとの
ことで、脳波を取りましたところ、両側後頭部中心に鋭波が頻発して
おりました。私としましては、抗てんかん剤を投与して治療した方がよいと
思っておりますが、よろしくお願い申し上げます」
また、この男の子は7月28日、12月16日にもてんかん発作を起こしている。
また、24日の殺人事件(?)では、女医は急変を聞き、誰にも見られない
ように病室に忍び込み、点滴スタンドから点滴ボトルを外し、白衣のポケ
ットに隠し、医師当直室の冷蔵庫内の冷凍庫に保管し、12月9日刑事に
渡したと証言した。
しかし、19床しかないクリニックの急変時の病室には担当医やナース、
老人ホームの見舞い客などが出入りしていたのに、女医を見たという
証言は無い。また、女医は病室の様子や患者の服装、点滴スタンドの
位置などを全く記憶しておらず、答えることが出来なかった。
唯一の物証である点滴ボトルが、殺人事件とされた病室から保管されたと
する証言は女医自身のものだけで、鑑定資料は全量消費されて再鑑定は
不可能。被告の直接関与を示す証拠、証言は無い。自白も無い。
男性の事件(?)では、警察は12月5日か6日に医療廃棄物の中から
患者名の無い点滴用の生食ボトル3本を発見、これを男性のものと断定。
鑑識に依頼したところ、そのうちの1本からベクロニウムが検出されたという。
鑑定資料は全量消費され、この点滴ボトルの領置書、調査資料などは
裁判で明らかにされていない。被告の直接の関与を示す証拠、自白も無い。