アムネスティ日本は、

捜査の全過程の可視化(録画、録音)について

法務省の省内勉強会の中間報告の中で議論が後退して

いることに懸念を表明しています。

裁判所が客観的に判断するためには、全過程の可視化が重要です。

一部を都合よく使用することによって、恣意的な誘導が

行われる可能性を排除しなくてはなりません。

国は、密室での強要や誘導により得られた自白で罪に落とされている

冤罪被害を無くす努力をする義務があります。

例えば、仙台北陵クリニックの幻の筋弛緩剤事件の

守大助さんの場合は・・・



2000年12月、ヘッドハントしてくれた

恩人の半田教授に「妻がノイローゼになった」と頭を下げられ、

守大助さんは北陵クリニックを退職した。

退職金もボーナスも満額くれる、次の仕事も世話をするからと

頭を下げられれば仕方がない。むしろラッキーな話だ。

守さんは婚約者と旅行に行き、ふたりで守さんの実家に泊まって

土産話をしたり、クリスマスには有名な仙台市の光のページェント

にも行き、ごく普通のカップルらしい幸せな婚約期間を過ごしていた。

同級生と忘年会もした。翌年の結婚をのろけたりもしただろう。

守さんはこの時、最後のツーショット写真になる、光のページェントで

撮った写真を心の支えに、8年もの裁判を闘うことになるとは夢にも

思わなかったに違いない。

しかも、その裁判で終身刑になるとは・・

2001年。宮城県仙台市。

正月、婚約者と二人で実家に泊まっていた守大助さんは、実家の雪かき

をしてから「また来るね」と挨拶、婚約者と一緒にアパートへ帰って

行った。息子の結婚が決まり、希望に満ちた一年が始まる予感。

両親は、それが自由な息子と会う最後の日になるとは知らず

手を振って見送ったのだ。


正月気分もまだ取れぬ松の内、1月6日の早朝のことだった。

守さんと婚約者は暖かい寝床の中で、まだ甘い夢を見ていた。

突然、チャイムの音が・・

ねぼけまなこでドアを開けると、

ふたりが勤務していたクリニックの婦長さんと見知らぬ男性2人。

刑事だという。

「クリニックの急変のことでみんなに聞いているので

一緒に来てほしい」と刑事が二人に言った。

守さんも婚約者も、クリニックが医療過誤で告訴されるのだと

思い、警察官の息子である守さんは「その際には知っている

ことは隠さずに話さなくてはいけない」と、あわただしく着替えを

しながら彼女に話した。

守さんは警察を信じていたのだ。この時までは。

守さんと婚約者は別々の車に乗せられた。

それが少し不審で、心細かっただろう

車のドアに阻まれたふたりの指。

ガラス越しに見た彼女の不安そうな顔。

見詰め合った瞳が引き裂かれていく。

ふたりが、触れ合うことが出来た最後の朝だった。



自分が疑われているなどと思わない守さんは、当然、弁護士に

連絡するなど考えもせずに言われるまま、素直に取り調べの

密室に入って行った。

刑事は、疑っている気配も見せない。告知もしない。

当然のように弁護士に連絡もさせない。

密室に入れてしまえば、落とすだけ。

守さんが自分が容疑者だと知ったのは、ひとり、取調室に

入れられ、刑事と話し始めてからのことだった。


これでは罠ではないか。

協力するつもりで素直に入った部屋で、守さんは

理不尽な非日常の世界に突き落とされていくのでした。

(つづく・・・参考・守大助拘留日記、最終弁論)



$nekomanekiのブログ

守さんのことを考えると眠れないって?
寝てるじゃない。nekomaneki

寝ているんじゃないの。目をつぶっているの。
守さん、早く自由になれますように・・