皆さま、おはようございます!
今朝もご覧下さり、ありがとうございます。
時計の針の音がカチコチ・・・
そういう静寂の中にはいますが、
久しぶりに良く眠った朝を迎えています。
先週の木曜に父の危篤を聞いてから、
葬儀の備えや、霊園に行ったりと
バタバタしています。
でも、ひとつひとつを決めて行きながら、
前に進んで行けているような気がしています。
本当に父が安らかに天国へと旅立てるようにと、
母のことも思いながら、過ごしています。
今朝は、私自身のことを少しお話します。
私は43歳で、洗礼を受けたクリスチャンです。
今が50歳なので、7年前のことです。
当時、娘が学校へ行きづらくなったり、
困った時だけの神頼みが嫌で、
ちゃんと信仰を持ちたいと思ったのがきっかけでした。
実を言えば、宗教なら何でも良かったのです。
ただ、元夫の親族がクリスチャンが多かったこともあり、
母のおふだの真言宗より、聖書の方がわかりやすかった、
そんな理由で導かれていきました。
教会に行って、たくさんの人にめぐり会い、
神さまが与えて下さった家族ができました。
また、
『神さまはのりこえられない試練は与えない』
この思いを胸に色々なことを、
皆さんに助けられて乗り越えてきました。
いつも神さまの家族がいて、子供から大人まで愛しあい、
ご高齢になっても信仰深い方々が
たくさんいらっしゃいます。
皆さん、私のために、両親のために
お祈りをして下さっています。
このようなあたたかい家族の中で生きて、
私は幸せに思っています。
笑う時は一緒に笑って、
泣く時は一緒に泣いて、
そんな神さまの家族にめぐり会ったことも、
私の人生のこの時のためだったのかもしれません。
多くの思い出も皆さんとともにあって、
幸せに生きて来れたことを感謝しています。
母も、今は聖書に心を向けられるようになって
先日土曜日に、牧師のお話をちゃんと聞いていました。
自分がゆるされているのだから
人のこともゆるす
人が私を愛してくださるのだから
わたしも心の限り人を愛する
そんな生き方を心に思って生きてきました。
父にも、神さまの御手が差し伸べられて、
こうして平安のうちに
過ごすことができているのだと思います。
母にも、神さまの愛が届いていると信じています。
きっと父の体調のことが告げられたと思いますが、
穏やかに父と一緒にいると思っています。
私はただ、神さまに心をゆだねて
穏やかにいたいと願っています。
クリスチャンは、
『死んだら終わり』
の考え方ではなくて、
『天国に先に行った方とイエス様と出会い、
永遠のいのちを頂く』
そう考えます。
『どうせ死んだら終わりでしょう』
それまでの私の人生の考え方が変わりました。
だから、今、じたばたするのも、
これくらいにとどまっていられるのだと思います。
こういう時だからこそ、日々愛されている方々のことを
心から感謝して、皆さまのために心からの
お祈りをおささげしたいと思います。
皆さまが、いつも幸せでありますように。
まーちゃんでした!