「自分を愛する」って聞いても

ものすごーーーく難しく感じてました。

 

 

 

「自分のことキライ」

「何も成し遂げてない自分はダメ」

 

って思っていて

 

 

 

はたまた

「今の自分で愛したら、もっとすごい自分にはなれない」って

甘えのようにも感じてました。

 

 

 

 

それに、

 

そもそも

「自分を愛すること」

 

『望む人生を創ること』

 

関係性があるなんて思えなかったのです。

 

 

 

 

何かを手に入れることに、

自分を愛しているかどうかなんて

関係ないでしょ。

 

って。

 

 

 

 

 

 

でも実は・・・

 

そのスタートが

まさに【思い込み】でした。

 

ガーン

 

 

 

 

 

わたしの思考パターン

 

 

「自分のことがキライ」

 

 

「もっとすごい自分になれたら好きになる」

 

 

「だから、たくさん願いを叶えたい!!」

 

 

でした。

 

 

 

 

 

「たくさん願いを叶えられる自分」

=

「すごい自分」

=

「その自分なら愛せる」

 

 

 

 

 

 

 

でもね、、、

 

本質的な願いは、

 

「自分を愛したい」ってことでした。

 

 

 

 

しかも 無条件で。

 

 

 

 

 

何かを達成して

賞賛を得た自分だったら愛してあげるって

ものすごく自分に対して優しくない。

 

 

 

それをすると

何かを失うのがこわくなるし

失敗もこわくて挑戦できない。

 

 

 

条件を付けて愛そうとすればするほど

自分自身をジャッジして

気分は悪くなる。

 

 

 

 

 

負のループにハマったからこそ気づけたのは

 

「自分を愛する」を

めちゃくちゃ難しくしていたのは自分自身だってこと。

 

 

 

 

『愛する』って言葉に重しをつけていた。

 

「愛される自分」という理想の自分=本来の自分ではない何かに

なろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『無条件の愛』

 

この言葉をもっとライトにポップにしたら

 

 

『いいねグッ』って感じ

 

 

 

 

ほら、誰かの投稿を見て

『いいね!』押すじゃないですか。

 

その時って

 

共感、承認、ステキ、ふーん

へぇ~、見たよ~

 

って、いろんな感じがありますよね。

 

 

 

 

そんな感じの意味の

 

 

『いいねグッ

 

 

 

 

いまここの自分に

 

今はそんなこと思っているんだ~

 

『いいねグッ

 

 

そう感じたんだ~

 

 

『いいねグッ

 

 

 

これがしたいんだね~

 

『いいねグッ

 

 

 

これが好きなんだね~

 

 

『いいねグッ

 

 

 

 

 

 

 

って感じで

 

ただただ、それが在ると認める感じ。

 

今の自分が感じること思うこと

湧いてくる望みや好み

すべてに対して

 

ジャッジなく

ただ見る。

 

 

見てあげること

=

愛すること

 

 

 

 

それだったら

出来る♡

 

で、

実は、

それが一番欲しい

「愛されてる」を得られるんだなぁ~照れ

 

 

 

 

 

 

 

ほら、

子どもが

「ママ~見てみて!!」ってすごく言うじゃない。

 

で、見てもらったら

それだけで愛を感じるんだよね。

 

そんな感じ♪

 

 

 

 

 

自分自身もね。

 

内側のことを「見てみて~!!」ってなってるから、

それを ただ真っすぐ見てあげるってだけで

もうそれだけで

 

愛なんだよね飛び出すハート

 

 

 

 

『いいねグッ

 

あげよう。

 

 

 

 

 

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